自然観察から古事記・・・エーテル思考へ

木村はるみ




10月の連休は、スケッチブックとお弁当を持って、みんなで多摩川に行きました。正直言って、どうして私が(この忙しい私が)多摩川に行かなければいけないのだと思いながら、実はしぶしぶ行ったのでした。
楽しみにしていた私の友人で統合失調症のMちゃんは、大きなお手製のパンを二つも持って、あまりにも嬉しそうでした。
東京と川崎の間を流れる多摩川にわたしは何の魅力も興味もなかった。広い川べりには、スポーツ少年の練習風景とザワメキもあって、わたしの趣味でない雰囲気いっぱいでした。
川向うの風景もマンション群で、しかも天気は曇りがち。
広い緑のスポーツ空間を横切って川のそばの草むらに近づく。
ベンチに腰掛ける。
お腹がすいていたのであるが、30分以上は静かにただ見るというのが約束であった。しかも、そこに自分の感情を抱かない。そしてスケッチブックに見たものを描く。という課題であった。
参加者には絵の上手な人もいてうらやましく思いながら、しかもわたしは鉛筆を忘れ、ボールペンで描くことになってしまった。(失敗できない。どうしよう。)などと考えていた。

10数人はそれぞれ、川の見える好きな場所で好きなスタイルで観察を始めた。
わたしもおとなしくそれに従うことになった。
とにかく久々にスケッチブックを手にして小学生みたいだなと思いながら風景を描き始めた。
川もじっくりとまじめに観た。
飽きたら草むらの写真などをとっていた。
そしてその日はお弁当を食べて戻った。

次の日も同じ課題でした。
Mちゃんは、また手作りのパンを持ってきて先生に渡したりして嬉しそうであった。私の方は・・・。また同じ草むらに座ってまず観察。

と、虫の音をキャッチ。昨日は聞こえなかった。そうだ、その音源まで行ってみようと思った。音のする方へ川べりに歩いて行くと、いました。いました。コオロギさんでした。鳴いている場面を見ても全然逃げないので、会話成立でした。2日 目は土手を降りても良いということだったので、恐る恐る斜めのコンクリートを降りると、ああ水が流れている。川だ。表面にいろいろな形を描きながら、向こ う岸の点のような流れ、その次に逆流しているようなダークな流れ、そして中央の広々とした流れ、手前はいろいろな形が無常に右から左へ流れていき、とても 描けない。足元近くは小さな渦が無限に生まれては消え、一つが三つになったり四つになったりして、絡まったりほどけたりしながら流れていた。そして川底が 見えてきた。たくさんのまるい石がみえた。水のかたまりが動いていくのが見えた。川の表面が底と上と二つあるのがわかった。一面は大地にもう一面は空に接 している。他にも描けなかったけれど、いろいろなものを観た。感じた。自分で作ったお弁当は美味しかった。

部屋に戻ってみんなのスケッチを並べる、いろいろな多摩川が並んだ。みんなで発見を出し合った。そして次の課題は、今日の多摩川と昨日の多摩川の「間の多摩 川」を想うことでした。私たちが帰ったあとも多摩川は流れていた。私たちが寝ているときも真っ暗な誰も来ない夜も多摩川は流れている。昨年は雲の観察をし たらしい。私たちが見ていない間も雲は流れている。いまも、この瞬間も雲は流れている。
 

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一日目の自分がいかに嫌な人間だったことか。
わたしはMちゃんや先生たちを「暇人だな」と思っていたのである。
こんな感動を知らずに。
虫や草が仲間に入れてくれる優しさをわからなかったのである。


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その次の日、両国のシアターχに「天と地のいのちの架け橋 古事記」を観に行った。鎌田先生の超訳「古事記」からの演劇の最終日でした。6月にその予告的試演を拝見していたので、同じような感じかと思いきや、まったく別物のようにわたしのカラダに感動の波動が起こった。一回目には見えていなかったもの聞こえてこなかった声や音、役者のこころや鎌田先生の「古事記」にむけた思いやメッセージ、2回目までの「間」の時間。この間にも「古事記」を演出する時間を生きていた人たちいる。そしてはるか昔から伝えたい神々の話がある。いまもどこかで、時を超えて「古事記」に生きている何か。
実際、見事な演技・演出でいまどき珍しいくらいストイックな現代劇で嬉しくなった。
(演劇論はまた別な機会にしようと思います。)
今日、奈良県立美術館に「語り継ぐココロとコトバ 大古事記展 五感で味わう、愛と創造の物語」に行った。連休のせいか沢山の人が来ていた。国宝の神像、古 事記の原本複写版、絵画、出土品の品々、映像、CGあり専門書も漫画も教科書も、古事記の宇宙を語り継いでいる。実に楽しい展覧会であった。9日には「スサノオの到来」に行く予定である。
古いものを新しく語る。
こころのどこかで再生の力を感じて美術館を出たあと、春日大社に行った。
奈良は大好きな場所である。鹿の子供がついてきた。お腹がすいていたのか松を食べていた。

鹿せんべいを買えば良かった。いまも鹿さんは春日野にいる。また行こう。

 

 
木村 はるみ/きむら はるみ
1957年日本生。やぎ座。東京自由大学会員。筑波大学大学院博士課程体育科学研究科満期退学。現在、国立大学法人山梨大学大学院教育学研究科身体文化コース准教授。舞踊・舞踊教育学・体育哲学。1991ロンドン大学付設ラバンセンター在外研究員、Notation法を学ぶ。1996東京大学大学院総合文化研究科内地研究員、2012年度京都大学こころの未来研究センター内地研究員。2013・14年 度同連携研究員。受入教員の鎌田東二教授を通して東京自由大学のことを知る。驚く。設立趣旨に感動し入会。もっと早く知りたかったですが、今からでも遅く はないですよね。神道ソングと法螺貝が大好き。日本の宗教と芸能の関係を研究中。現在、舞踊作品創作にも取組中。ご興味のある方ご連絡ください。