「歩けども 歩けども」 Vol.6
              

                  浜田 浩之

 
 

昨年も、自然災害の多発、沖縄の基地問題、原発の再稼働、集団的自衛権の行使容認、秘密保護法の施行、衆議院議員選挙など、気になる出来事が多かった。社会 の動きが急で、悪い方向に向かっているようだ。日常生活も、引っ越しなどの変化があって、何をするにも慌ただしく、落ち着かない一年だった。こんな時にこ そ、自分のペースを保つ必要を強く感じるが、依って立つところは自身の身体だと思う。身の回りには、便利で快適、速いものや安いものが溢れているが、何か 身体性を失わせる方に作用しているように見える。

私は、身体を動かしたい、自分でやってみたいという欲求が強いようだ。毎朝、近所の公園の遊具にぶら下がって懸垂などをする。鉄棒は、色々な体の動かし方があって、シンプルで奥が深い。YouTubeにも愛好家や達人のような人の投稿が多い。自己流のトレーニングを終えると、近くの大木の前で深呼吸をする。自宅に戻ると読経(法華経)をして、朝食と昼の弁当を作る。

外出の時は、交通費の節約も兼ね、バスや電車を極力使わずに、歩いたり走ったりする。歩くことが多いと、気になるのが自転車やバイクを含むクルマだ。横断歩 道や交差点で止まらない、威圧的なデザイン、騒音、排気ガスなど年々嫌いになる。歩道と車道は可能な限り分離してもらいたい。

パソコンばかり使用して字を忘れないように、意識して手書きをする。図書館から借りた本で、印象に残った箇所は、ノートに書き写す。こうしてできたノートは20冊位になった。今年の年賀状の宛名も万年筆で書いた。

出かける際は、目的地に行き、帰るだけでは物足りなくて、途中に何か面白いものがないか、ついでに何かできないかと考える。このため、複数の用事をつくったり、途中で寄り道をすることが多かった。

 
2014年9月23日、東京都江東区、墨田区


墨田中央公園で開催された、「さようなら原発全国大集会」のデモ行進に参加。主催者によると、この日の集会には、16000人が参加したという。JRの亀戸駅から公園まで行く途中には、多くの警察官が立ち、会場に近づくにつれて人の数が増える。14時 半頃、公園に着くと、「再稼働反対!」の横断幕を持った落合恵子さん、大江健三郎さん、鎌田慧さんなどを先頭に、デモ行進が始まるところだった。行進の後 方まで歩き、会場の様子を見る。家族連れから学生のグループ、お年寄りまですごい人の数で、様々なメッセージのプラカードを持っている。外国人や障害者も 来ている。生協や労働組合など様々な団体のノボリが立ち、お祭りの雰囲気だ。ドラムなどの鳴り物とともにシュプレヒコールを上げて行進していく。その中 に、黄色い袈裟を着けた「日本山妙法寺」のグループを見つけ、後ろについて歩く。去年6月に参加した、鎌倉〜藤沢の平和行進でお世話になった武田上人をはじめ、僧侶の方たちの他、私のような一般の人もいて、団扇太鼓を叩いている。錦糸町駅近くの公園まで約1時間、「南無妙法蓮華経」をゆっくりと大きく唱えながら歩いた。一緒に歩いた人の中には、川内原発のある鹿児島から、このために来たという女性もいた。東京に住んでいたが、福島原発の事故後に、鹿児島へ移住したという。

16時頃、デモ行進の終了後、荒川土手に向かった。日本の加害の歴史に関心を持つなかで、殺された朝鮮人や中国人を慰霊・追悼する碑が、日本各地にあることを知った。90年前の関東大震災では、デマを信じた日本人が多くの朝鮮人を虐殺した。近所にある、横浜・久保山墓地の慰霊碑に献花をしたことをきっかけに、各地の慰霊碑を訪ねてみたいと思っていた。墨田区にも慰霊碑があるため、これを機会に行くことにした。

JR平井駅から荒川土手に出て、左手にスカイツリーを見ながら、上流に向かって歩く。グラウンドで野球をする人、犬の散歩やジョギングをする人など、夕方ののどかな空気が流れている。薄暗くなりはじめた17時 頃、一つ目の石碑「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」に着いた。石碑は、京成押上線八広駅近く、荒川土手下の住宅街の一画にある。正面に「悼」 と大きく彫られ、周囲には花や木が植えられている。関東大震災時、この近くの旧四ツ木橋近くで、多数の朝鮮人が殺されたことを知った、小学校教員の絹田幸 恵さんが、追悼式などの活動を始めた。石碑は曲折を経て、絹田さんが死去した翌年の2009年、有志によって建立された。石碑に献花をして、八広駅から次の石碑のある両国方面へ向かった。

JR錦糸町駅から蔵前橋通に出て、横網(よこあみ)町公園まで30分 ほど歩く。通りには、居心地の良さそうな昔ながらの定食屋、そば屋、ラーメン屋の他、韓国料理やエスニック料理など、飲食店が多い。大判焼きを焼いている 小さなお店で、大判焼きを買って食べながら歩く。横網町公園は、関東大震災と東京大空襲の犠牲者の慰霊のための公園で、遺骨を納めた慰霊堂の他、追悼碑な どがある。慰霊堂は閉まっていたため、「東京大空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」と「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」に献花をする。朝鮮人犠牲者追悼 碑は、震災50周年の1973年に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」により建てられ、毎年9月1日に、碑の前で追悼式が行われるという。

帰り道、日本の加害の歴史を知り、現場を慰霊に訪ねるのは、気の重くなることだが、やるべきことをしている手応えもあったと思う。

 
2014年10月20日・27日・11月3日、岩手県遠野市東和町


このウェブマガジンを編集している高橋あいさんが、岩手県で行われる「街かど美術館 アート@つちざわ2014」という現代美術展に、作品を出品することを知った。美術展は、遠野市東和町の土沢を中心に、商店街の空き店舗や空き地など、町全体を会場にして作品を展示するという。ABCDの四つのエリアに分かれていて、広い範囲を移動しながら見て回るのは、面白そうだと思った。東和町には、2012年1月に、私が時々記事を書いている東北3県 (宮城・秋田・岩手)の情報誌『まちねっと』の取材で、丹内山神社の巨石を訪れたことがあった。どうせ行くなら何か記事にできないか、東和町周辺を少し調 べると、丹内山神社の巨石の他にも、いくつか巨石があるらしい。そこで、東和町の巨石と「アート@つちざわ」を紹介する企画を『まちねっと』編集者に提案 すると、快諾されたため、土沢へ行くことにする。メインの仕事があるため夜行バスの日帰りで、結果的に3週連続して土沢に通うことになった。

10月20日の6時に、花巻駅前に着く。思ったほど寒くない。釜石線で土沢に向かう。車内は通学の中高生が多い。車窓からは、雪国特有の形の屋根の住宅や稲刈りを終えた田んぼ、畑の風景が続く。7時過ぎ、古い木造駅舎の土沢駅に着く。

土沢商店街周辺を歩くと、昔懐かしい雰囲気の商店街に「街かど美術館 アート@つちざわ〈土澤〉」のノボリが立ち、万国旗や提灯で飾られて、華やかな雰囲 気だ。あちこちの空き家や空き店舗が展示会場になっている。商店街のはずれに鎮座する鏑八幡神社に行くと、神社前の公園や古い境内にも作品がある。

お米などを扱う商店で、「アート@つちざわ」のパンフレットを購入する。店のご主人は、インフォメーションセンターが開く時間まで待てるように、隣りの「ふれあいセンター」のシャッターを開けてくれた。センター内には、イベント列車として花巻〜釜石間を走っているSLの写真が展示されている。

8時半頃、インフォメーションセンターが開き、盛岡から通っているという女性スタッフから「アート@つちざわ」の話を伺う。週末は家族連れで賑わっていて、土 沢周辺だけでなく、静岡や東京など遠くから来るお客さんもいるらしい。各会場の管理は、有償ボランティアの地元の人たちが中心になってやっていて、家主さ んの協力、修繕、天候への対応など、美術館の展示にはない苦労もある。稲刈りの終わった棚田や紅葉など、会場間の美しい風景も楽しんで欲しいとのことだっ た。最後に「アーリージョナ」というおいしそうな林檎を買い、レンタサイクルを借りて、9時半頃、高橋さんの作品が展示されている田瀬湖を目指した。

レンタサイクルはギア無しのママチャリである。登り坂はキツく、押して歩くことが多かった。11時頃、田瀬地区に入る。田瀬湖周辺の人はまばらで、遠くで作業をしている農家の人の声が聞こえるほど静かだ。11時半頃、田瀬釣り公園に到着し、湖畔を背景に屋外展示されている高橋さんの写真作品「HOURGLASS」を見る。会場周辺で撮影されたと思われる作品は、ゆっくりとした時間の流れと、静寂を強く感じさせるもので、周囲の風景によく合っていた。

次に少し離れた、旧田瀬保育所に展示されている菅沼緑氏の作品を見に行く。土沢から最も離れた場所にある作品だ。旧田瀬保育所前の空き地には、5m位 の高さの風船のような輪郭の立体作品「風の楕円」が立ち、毛並みの良い犬を連れた菅沼さんが作業をしていた。菅沼さんは、田瀬が気に入り、旧田瀬保育所を アトリエに創作活動をしている。作品は、水平垂直に細かく溶接された鉄骨の仕切りごとに、赤と白の面を持つ紙が旗のように付けられていて、風を受けて色が 刻々と変化する。

来た道を引き返して丹内山神社に向かうが、道を間違えたりしながら、13時半頃、丹内山神社表参道前に着く。近くの旧谷内村村農会館に展示されている作品を見る。招待作家の百瀬寿(ももせ ひさし)氏の作品「Five Gradation Nets: White to Blue」「Nine Gradation Fibers: Violet to Green」は、暗闇の室内に赤緑青黄などの蛍光色の糸が浮かび上がる、コンピューター・グラフィックスのような立体作品。小原陽子氏の作品「森のおくりもの2014」 は、土沢周辺の葉などをモチーフにしたインスタレーション。どちらも見応えのある作品だった。会場になっている旧谷内村村農会館も、木造の和洋折衷の様式 が独特で、内部もきれいに補修されている。案内係の地元の人の話では、昔は役場だったが、現在は地区の集会所として使われているとのことだった。

丹内山神社表参道前には、宮沢賢治が丹内山神社の祭の賑わいを詠った「祭日〔一〕」の詩碑が建っている。丹内山神社の展示作品を見るため、坂道の参道を登る。2年前に来た時は、この参道には気が付かなかった。苔むした古い境内に、アニアス・ワイルダーの巨大な作品「Untitled #179」 が建っている。木片を社殿と同じくらいの高さまで丁寧に積み上げられた円柱状の構造物で、上部はドーム状になっている。作品の内側に入ることもできて、同 じ木製のベンチもある。木材は地元産だろうか。作品は、ブラインドのように隙間が多くて圧迫感がなく、境内に溶け込んでいるように見える。胎内くぐりので きる神社のご神体の巨石「胎内石」も連想させる。丹内山神社に参拝して、胎内石を撮影する。前に来た時には石の巨大さに気をとられていたが、石の頂上に根 を下ろしている木もかなりの巨木だ。

14時半頃、旧小原家住宅に向かう。薄暗い住宅内には、前からそこにあったような作品(齋藤未来「夢の中」、鈴木圭「ヨロイズム」)、地元の鹿踊りなどを描いた 作品(川杉雅江「北国の心情」)が展示されている。住宅内の囲炉裏には、火が入っていて、座ると煙で涙が出た。地元のお婆さんがいて、鉄瓶で沸かしたお湯 で、お茶を淹れてくれた。後から3人のお婆さんのグループも来る。近隣から来たらしく、東北弁で「昔はこんな曲がり屋で育った。懐かしい」と口々に言った。その中の一人は、ダムで水没する前の田瀬に住んでいたという。その頃の田瀬は、役場などもあり、住民も多かったらしい。

15時頃、自転車を返す時間が迫ったため、土沢駅に戻ることにする。今日は、丹内山神社以外の巨石を見て回ることができなかったため、もう一度来ることにする。収穫を終えた棚田や、柿が鈴なりになっている風景を見ながら土沢に向かう。帰りはずっと下り坂で、気分がよい。約1時間で土沢商店街に着いた。

腹ごしらえに、松葉食堂というお店で「しょうゆたこ焼き」を食べる。店内には、前回の「アート@つちざわ」のカタログが置いてある。高橋さんは、前回も出品していて、子どもを対象に行なったワークショップの様子も掲載されていた。

自転車を返却後、土産物を探して「きのこや」という店に入る。店内は何種類ものキノコの他、米や野菜、果物など地元の様々な農産物や加工品が並んでいる。天 日干しのお米と、キノコの塩漬け、林檎を買い、実家へ送った。店のおばさんから、「アート@つちざわ」の他にも、「アート&クラフト土澤マーケット」とい うイベントが年に3回行なわれていて、商店街は大勢の人で賑わうという話を聞いた。おばさんは、私が横浜から来て、今日の夜行バスで帰ると言うと、数軒隣りで展示されている作品は見たか、見てないならぜひ見て行ってと勧めた。16時 半を過ぎて展示場所が閉まっていることを知ると、そばを通りかかった関係者らしい男性に、横浜から来て今日帰るらしいから見せてやってくれないかと声をか けてくれた。その作品は、電気を使用する作品で、電源を落としてしまったため、見ることはできず、次に来た時、見ることにした。関係者の男性は、「アート @つちざわ」にも出品している作家の柳田亮さんで、夜行バスの出発時間まで、自身が滞在している民家に寄っていきませんか、と誘っていただいた。ビールを ごちそうになりながら、「アート@つちざわ」の話を聞いたり、自分の東北との関わりを話したりした。柳田さんは「つちざわけんちく新聞三たびあらわる」と いう作品を出品していて、「アート@つちざわ」の冊子には「街に滞在し、見聞きし、感じることを新聞にして発行」と紹介されている。新聞はB5の2ページで、文字とイラストはすべて手書きである。今回は3回目の出品で、過去の新聞のファイルを見せていただくと、1回 目から同じスタイルで続けているところに感心した。作品の出品だけでなく、「アート@つちざわ」の運営や、会場内の連絡の役割も担っているようだった。普 段は東京に在住しており、高橋さんとも知り合いで、東京自由大学で行われた『久高オデッセイ』の上映会にも行ったことがあるという。帰る時間になると、柳 田さんは、土沢駅まで見送ってくれた。

20時過ぎに、花巻駅に戻ると小雨が降っていた。駅前の定食屋で納豆定食を食べ、稗の焼酎を飲み、今日のメモを書く。23時過ぎに横浜行きの高速バスに乗った。

 
10月27日、東和町に二度目の取材に行く。前回と同じ高速バスで、6時に花巻駅到着。駅周辺は、濃い霧に覆われている。釜石線で土沢に向かう。外の風景は、先週よりも紅葉が進んでいる。7時過ぎに土沢駅に到着。今日は「コウモリ岩」「博打石」「立石神社の雨乞い石」の3箇 所を見て回るつもりだが、どこから回るのか、まだ決めていない。レンタサイクルのある「アート@つちざわ」のインフォメーション・センターが開くまで、ま だ時間あるため、駅から少し離れた山祇神社を見に行く。途中に「土澤神楽伝承館」という建物がある。早池峰神楽(大償)の流れをくむらしい。市街地を抜け ると棚田の風景が広がる。山祇神社は道路沿いの一画にあった。鳥居は崩れ落ち、社殿は荒れているが、周囲の紅葉が綺麗で風情がある。来た道を引き返して土 沢商店街に戻る。

「ヒラエン」という衣料品店の壁に、宮沢賢治の詩「冬と銀河ステーション」を記した看板がかかっている。この詩は、当時、土沢で開かれていた市を詠ったもので、「あのにぎやかな土沢の冬の市日(いちび)です」という一節がある。現在も第1・第3日曜日に「つちざわ市日」が開かれている。

巨石に関する情報が少ないため、現地に行く前に、花巻市東和総合支所に寄ることにする。地域振興課に行き、取材について話し、巨石について尋ねると、花巻市 への合併で職員が減り、今は〝寄せ集め〟なので、詳しい者がいないとのこと。それでも手分けをして資料を探していただいた。特に「博打石」は、民家の敷地 内にあり、分かりにくい場所にあるが、所有者に連絡が取れて、現地までの詳しい地図を入手できた。応対してくれた女性職員は、最後に「いい記事を書いて下 さい」と言った。

11時前に総合支所を出て、「アート@つちざわ」のインフォメーション・センターで自転車を借りた。始めに、時間のかかりそうな「博打石」を目指して大迫方面に 向かった。地図の通りに現地付近までは順調に行けたが、表札の出ている家もなく、特定できない。庭にいた人に訊いた道を行っても分からない。自転車を停め た時に、近く家から出てきた女性に訊くと、主人に訊いてみてくださいと、少し離れた田んぼで休憩しているご主人に声を掛けた。まだ若いご主人に地図を見て もらい、現在の位置を確認すると、「博打石」のある家は通り過ぎていたことが分かった。自分の目的を話し、雑談をするうちに、ご主人も地元の話や自身の事 を色々と話してくれた。

私と同世代ぐらいのご主人(Kさん)は、東京出身で、東和町に移住して5年 目という。移住先は、東和町だけでなく、日本各地を「パーマネント・カルチャー」という有機農法を実践する世界的なネットワークを利用して、バックパッ カーをしながら探した。東和町で農業研修を受けた時、海外から来ている人も多く、東京にいた頃よりも世界が広がった。都会と比べて地元の人間関係は面倒な 事もあるが、ここは、〝濃い人〟が多くて面白い。食べ物など自分たちで作るものの他、近所の人たちのおすそ分けや、物々交換が活発で、お金もあまり使わな い。仕事の関係で東京方面に行くこともあるが、人や車の多さ、テンポの速さにはついていけない。都会からこちらに戻ってくるとホッとする、などと話した。

Kさんにお礼を言って別れようとすると、「博打石」まで車で一緒に行きましょうと言ってくれた。自転車を軽トラックの荷台に乗せて出発する。博打石のある家には、すぐに着いた。Kさんは、ここのご主人と顔なじみらしく、挨拶を交わした。ご主人も気持ちよく博打石のある裏山まで案内してくれた。地元の人と一緒だと、話がスムーズに進むことを実感する。

霧はいつの間にかはれて、日が射している。切った木をそのまま組んだような素朴な鳥居をくぐると、博打石が杉の木に囲まれるようにして立っていた。高さ4m位の縦長の岩(立石)が並び、岩の下に小さな祠がある。岩の横に回ると、巨岩が重なって、屋根のような空間ができているところがある。ご主人の話では、今は崩れてしまったが、昔この空間は4、5人 入れるほど広く、実際に博打が行なわれていたため、博打石と呼ばれるようになったとのこと。同姓の人が多く住む地域は、家を屋号で呼ぶことが多いが、この 家は屋号も「博打石」になっている。戦時中、空襲の時に家族で避難することもあったらしい。この近くの花見石峠にも巨石があるらしい。Kさんも博打石の存在は知らなかったらしく、巨大さに感心している。個人宅のため、掲載は難しいと思っていたが、ご主人は気持ちよく許可してくれた。最近は、漫画家も取材に来たことがあるらしい。

博打石の家を後にする。Kさんは、次はどこですかと言って、車で同行してくれることになった。立石神社の「雨乞い石」は、Kさんも知らないという。土沢駅隣りの晴山駅近くにあるらしいが、はっきりした場所は分からない。土沢駅から晴山駅方面まで猿ヶ石川沿いに探したが、それらしい神社は見つからない。近くの郵便局で尋ねると、すぐ近くの幹線道路から外れた場所にあることが分かった。

立石神社は、銀杏や杉の大木に囲まれた広く静かな境内に、古い木造の社殿と神楽殿、小さな摂社がいくつも並んでいる。注連縄の巻かれている巨石が「雨乞い 石」だ。高さは人の背丈くらいで、博打石と比べると大きく感じないが、台形の整った形をしている。その岩にひと回り低い水平な岩が付いて、祭壇のような感 じになっている。昔の人は、ここに上がって雨乞いの儀式をしたのだろうか。

Kさんは、「近くにこんな立派な神社があるなんて知らなかった」と言った。神社の建築にも詳しいらしく、社殿のつくりが精巧で、見事な彫刻で飾られていること に感心している。屋根の形によって、その神社に祀られている神が、男か女なのか分かると説明してくれる。後で調べると、立石神社の祭神は、蓆稲魂大神、大 宮賣大神、猿田彦神。本殿の形式は、屋根の両端が×に交差している神明造(しんめいつくり)という様式だった。この神社の石鳥居には、カエルやセミ、トン ボが彫刻されているのが珍しい。これは、収穫の時期の夏秋の虫を鳥居に彫り、願いを託したものらしい。

Kさんは、最後の目的地「コウモリ岩」にも付き合ってくれた。「コウモリ岩」は、土沢駅から北上方面に向かう456号 線沿いにある。毒沢という地区に「冠山 蝙蝠岩 弘法大師霊場」という看板が立っていて、すぐに見つけられた。荒削りの石の鳥居の先の境内は、花崗岩の巨 石が点在しながら、山を背にしたお堂へと続いている。地面も石も何層もの苔に覆われていて独特の雰囲気だ。造園業もしているKさんは植物にも詳しく、これはスギゴケ、これはゼニゴケ、などと教えてくれる。手水の様式が茶室もものと同なのが珍しいという。境内には他に、かつては巨石の下からお湯が涌いていたという、巨石の形を利用して建てられた「霊場の湯」という建物も残っている。

お堂周辺が巨石群になっていて、お堂は巨石に乗っかるようにして建てられている。お堂に参拝して般若心経を唱えた。その後、巨石の間をくぐったり、登ったり しながら見て回る。山の斜面に大小さまざまな巨石が重なり合っている様は圧巻で、写真で全体像を収めるのは難しい。石の下に広い空間が出来ている場所もあ り、弘法大師の石像が祀られている。境内を見て回っているうちに深い泥濘にはまり、両足とも足首まで泥だらけになる。

雨がポツポツ降り始め、コウモリ岩を後にして土沢に戻る。車の中で、Kさんは、境内で集めたという葉(楓?)をくれた。乾燥させると甘い香りがするらしい。嗅いでみると甘く良い香りがする。Kさんは農業の他にも、色々なことを実によく知っていて感心する。自分には向いていなかったというが、地元の石鳩岡神楽を習っていたこともあるらしい。

土沢に向かう途中で、雨が上がり晴れ間が出て、大きな虹がかかった。「道の駅とうわ」で足の泥を落とし、15時半頃、インフォメーション・センター前で降ろしていただく。Kさんに、「おかげで見たい場所をすべて回ることができました」とお礼を言うと、Kさんは謙遜しながら「こちらも何かお願いすることがあるかも知れません。駅前で知人が喫茶店(organic café wacco〈わっこ〉)をやっているので時間があれば寄ってみてください」と言って帰って行った。

先週、知り合った柳田亮さんの滞在先を訪ね、ビールを差入れした。「アート@つちざわ」の各会場の作品を見ながら、土沢駅に向かうことにする。先週見ることができなかった、旧大徹屋という空き店舗に展示されている松本秋則氏の作品「Sound Theater Tsuchizawa」 を見る。薄暗い室内には、木や竹、草や葉などで作られた自然の色合いの、大小様々なオブジェが飾られている。天井からは幻想的な形の飛行機がいくつも吊る されて、プロペラや翼などが動いている。音をたてる楽器のようなものや、水を使用したものもある。それらのオブジェにスポットで光が当てられ、影が影絵の ように動いたりしていて、ずっと眺めていたいような作品だ。「アート@つちざわ」は、どの作品も水準が高く、スケールの大きい作品も多い。遠くからでも見 に来る価値はあると思った。

「きのこや」に寄り、柿とキノコ(ぬめりさいたけ、しもこし)を買う。店のおばさんは、この週末は、「アート@つちざわ」を見に来る人で、すごく人が多かったと話していた。Kさんに紹介された喫茶店は17時で閉店していた。18時頃、土沢を後にして花巻に向かう。

『まちねっと』編集者の田口氏と会うため、花巻駅から東北本線に乗り換えて、一ノ関駅に向かう。20時 頃、一ノ関駅に到着すると、東北新幹線が停電の影響で止まっている。復旧の見通しも分からないため、田口氏に会うことは諦める。駅前で、おにぎりとお酒を 買って駅に戻る。駅周辺や駅構内には、「国際リニアコライダー」という施設の誘致を訴える、ノボリやポスターが掲示されているのが目につく。「宇宙誕生直 後の状態を再現して、宇宙誕生の謎に迫る」国際的な巨大実験施設らしいが、リニア新幹線や道路、ダムなどの大型土木工事と同じ匂いがする。本当に必要なの か、地元住民の多くが要望しているとは思えない。

待合室でメモを整理して過ごす。目的の場所をすべて回り、巨石の情報や資料もある程度集められた。新幹線は思ったより早く、21時過ぎに復旧して東京に帰った。

 
11月3日、 三度目の東和町取材に行く。目的の巨石は、全て見て回ることができたが、文献資料がもっと欲しい。「コウモリ岩」の由緒の看板など、撮影し損ねたものも あった。締切日が近いため迷ったが、この日に「アート@つちざわ」関連イベントとして、「金津流丹内獅子踊」の公演があることを知り、また行くことにし た。納得のいくまで現地を見て、資料を集め、自信を持って記事を書きたかった。

連休ということもあり、花巻方面の高速バスは満席だった。一ノ関駅まで高速バスで行き、鉄道で土沢に行く。前日の23時、池袋発の岩手県交通の高速バスに乗る。乗務員が東北訛りで「皆様、おばんでございます」「ごゆるりとお過ごし下さい」などとアナウンスしていて和む。

翌朝5頃、一ノ関駅に到着。風が冷たい。空はまだ暗く、北斗七星、オリオン座などがはっきりと見える。寒さを紛らわすため、駅が開く時間までストレッチ体操など体を動かして待つ。6時頃、東北本線で花巻に向かう。途中、「線路の安全点検」などで20分遅れて花巻駅に着くと、乗り継ぎの釜石線は出発していた。路線バスで土沢に向かう。外は小雨が降っている。

バスの乗客は2、3人 しかいなかった。車内放送によると、国の補助で維持されている路線らしい。途中、軒下に柿を干している家をよく見る。ススキが伸び、紅葉が進んで、緑・ 黄・赤・茶と色鮮やかだ。新花巻駅を過ぎると、市街地から棚田の風景に変わる。少しずつ高度が上がり、丘陵地帯に入った。

8時 頃、土沢商店街で下車して、レンタサイクルを借りる。はじめに「東和ふるさと歴史資料館」で資料を集める。もとは病院だった建物を改装した、こぢんまりと した資料館で、男性職員が一人だけいた。東和の考古・歴史・民俗・先人顕彰の展示室を見学する。展示は地味だが手づくり感があって、地元の人たちが、歴史 や文化の保存・継承に熱心なことが感じられた。巨石に関する資料のコピーをお願いする。東和町は郷土芸能が多く、ビデオで「立石百姓踊」「早池峰大償流土 沢神楽」「春日流落合鹿踊り」「早池峰岳流石鳩岡神楽」を見る。資料館にいる間、来館した人は一人だけだった。

10時半頃、資料館を出て、毒沢の「コウモリ岩」を目指すが、道を間違えたりして時間を浪費する。地図を確認していると、農家のおばさんが声を掛けてくれたの で、丹内山神社への道を訊き、先に行くことにする。初めての場所に行くと、たいてい道を間違え時間をムダに使う。そんな時、孤独感や心細さを感じ、自分の やっていることを疑問に思う。何のためにこんなことをしているのか。経済的なダメージも大きい、割に合わないのではないか、と自問する。自分にしか出来な いことだと言い聞かせて、修行のようなものかもしれないと思う。来て良かったと思う事も多い。道を尋ねるような短いやりとりでも、現地の人と言葉を交わす 経験は、何物にも代え難い。現地でお世話になった人たちのためにも、最後までやろうと考える。

12時過ぎに丹内山神社に到着。14時の「金津流丹内獅子踊」公演まで時間があるため、境内をじっくり見て回る。2週間前に来た時から、イチョウの葉が落ち、黄色いじゅうたんのようになっている。銀杏も沢山落ちていて、ビニール袋いっぱいに拾った。境内に展示されている「アート@つちざわ」の作品(アニアス・ワイルダー「Untitled #179」)のベンチに座って林檎を食べ、「東和百姓おどり」という日本酒を飲んで寒さを紛らわす。

公演時間が近くなり本殿前に行くと、スタッフから「ここでの公演は15時です。14時 は、曲がり屋(旧小原家住宅)でやります」と言われ、急いで少し離れた旧小原家住宅に向かった。旧小原家住宅に着いた時、集まっている人はまだ少なかっ た。住宅に展示されている「アート@つちざわ」の作品を見たり、「きりせんしょ」という地元のお菓子を食べながら住宅前で待つ。きりせんしょは、型菓子の ように花をかたどった丸く柔らかい菓子で、ゴマの香りがして、甘さは控え目だ。住宅前には案山子と、高齢の観客のための腰掛けに、切り株がいくつか置いて ある。公演時間が近づくにつれて、人が増え80人位になった。地元の人や観光客、関係者などが立ち話をしながら待っている。皆楽しみにしている様子で期待が高まる。

時間になると、はじめに代表者が挨拶をした。鹿の装束で踊る鹿踊りは、野生の鹿の群れの様子を模したもの。鹿踊りは各地に伝わっているが、流派が異なるため 「獅子」の字を使用している。演目の「案山子」は、鹿の群れが、案山子にびっくりしながら、その周囲を回る様子を表わしている、といった説明の後、獅子踊 が始まった。

鹿の装束をした8名が、太鼓を叩きながら、一列に歩いて来て、案山子の前で止まる。それぞれ、角のある鹿頭に太鼓を持ち、背中にササラという、羽根のような白い飾りを付けた長い2本の棒を垂直に付け、黒地に色鮮やかな文様の入った袴を履いている。掛け声と歌が入り、ササラを地面に叩きつけたりする勇壮な動きと、案山子に気付いて、おっかなびっくり近づく様子など、ユーモラスで緩急のある踊りだった。

14時半頃に公演が終わった時は、かなり体が冷えていた。最後の目的地のコウモリ岩に急ぐ。15時前にコウモリ岩のある「弘法大師の霊場」に着く。撮影したかった由緒の看板を撮影し、コウモリ岩も再撮影した。先週来た時よりも葉が落ちていて撮影しやすい。境内は人気もなく、巨石が多いためか独特の静けさがある。先週、一緒に来たKさんが拾ってくれた葉のためか、甘い香りも漂っている気がした。

足早に撮影して土沢に戻る。帰りは殆ど下り坂で、30分くらいで土沢商店街に着いた。商店街を歩いていた柳田亮さんに挨拶する。自転車を返却して、16時過ぎに路線バスに乗って新花巻駅に向かう。新花巻駅に着いて間もなく、16時半頃、東北新幹線で東京に帰った。今回も強行軍だった。

 
2014年12月12日、千葉県船橋市〜習志野市〜八千代市、東京都墨田区

文化センター・アリラン(新宿区大久保)という、韓国・朝鮮の図書館の近現代韓日関係史勉強会が主催する「関東大震災 朝鮮人虐殺 現地フィールドワーク」 に参加した。マイクロバスで船橋市〜習志野市〜八千代市〜墨田区と慰霊して回りながら、在日韓人歴史資料館館長の姜徳相(カン・ドクサン)先生の解説と、 地元の研究者や関係者からお話を聞いた。虐殺の事実と悲惨さを実感し、今日まで隠蔽された事実を発掘して、日本と韓国・朝鮮の真の友好のために、尽力して きた人たちの活動も知った。

フィールドワークの後、以下の感想を書いた。

「今回のフィールドワークに参加して、震災当時から現在に至るまで、日本政府及び日本国民の隠蔽体質、加害の歴史に正面から向き合わない姿勢を改めて実感しま した。これまで、日本の社会問題や加害の歴史については、本や新聞、雑誌で学んできましたが、周囲にそれを共有できる人がいませんでした。市民運動といえ ば、署名や抗議集会、デモへ関心が向かいがちでしたが、今回のフィールドワークや学習会も、それらと同じくらい重要だと思いました。現地に行き、地元で地 道に調査を重ねている方々の話を聞く。歴史や事実を知ることで、これからするべきことと、してはいけないことがはっきりしてきます。また、同じ問題意識を 持つ方々と知り合い、連帯を確認できて心強かったです。」


2014年12月29日〜2015年1月4日、奄美・加計呂麻島、千葉県成田市三里塚

年末年始は、奄美・加計呂麻島の実家に行った。奄美大島までは、成田空港から、昨年就航したバニラ・エアという格安航空を使う。奄美空港からバスとフェリーを乗り継ぎ、夕方、実家に着いた。

島では、毎朝早めに起きて、缶コーヒーを飲みながら散歩をする。それから広場の古木の下でストレッチとトレーニングをして、俵(ひょう)、於斉(おさい)、 西安室(にしあむろ)など、隣りの集落までジョギングをする。夜が明けてくると、鳥が鳴きはじめて賑やかになる。鳴き声は独特で美しい。きれいな砂浜のあ る於斉や西安室では、裸足で往復してから帰る。日中は、畑などの作業を手伝ったり、本を読んだりして過ごし、夕食の後は、することもなく早めに寝た。

1月3日の夕方に、奄美から成田空港に戻ると、空港近くのホテルに宿泊した。ホテルは、中国人の団体をはじめ、宿泊客の半数以上が外国人で、海外にいるのかと錯覚 してしまう。ルポライターの鎌田慧さんの『抵抗する自由——少数者として生きる』(七つ森書館)の中で、成田空港のジャンボ機が発着する真下で、今も農地 を守り続けている人たちがいることに衝撃を受けた。三里塚の空港反対闘争は、自分が幼い頃にあった昔のことだと思っていた。三里塚闘争の実情を知るととも に、そこから生まれた有機無農薬の野菜(ワンパック野菜)に惹かれて、時々購入していた。昨年11月に公開されたドキュメンタリー映画『三里塚に生きる』を観たこともあり、この機会に三里塚を歩いてみようと思った。

翌日9時 頃、フロントで空港周辺の地図を貰ってホテルを出る。まず空港の敷地外に出なければならない。空港から京成成田駅に行き、芝山鉄道に乗り換え、芝山千代田 駅で降りた。駅で周辺地図を貰い、フェンス沿いの道を航空科学博物館方面に歩く。フェンスは二重で電流が流れている。敷地の外は、平野が広がり、畑や林が 多い。

航空博物館の手前で宗教的なドームの建物が現れた。どこかで見たことがあると思ったが、日本山妙法寺成田道場の仏舎利塔だった。仏舎利塔を実際に見るのは初 めてだ。どこかで太鼓の音がしている。小さな平屋の建物が道場らしい。中に入ると、読経の最中で、尼僧の矢向上人が焼香をすすめてくださった。信徒の方も 何人かいて、今は断食修行をしているという。矢向上人の活動は、facebookの「命の行進」で、よく拝見していて、去年9月の「さようなら原発全国大集会」のデモ行進にも来ていた。私が三里塚を見るために来たことを話すと、闘争の象徴だった鉄塔が、近くにまだ残っていることや、航空科学博物館の隣りにある「空と大地の歴史館」に闘争の展示があることを教えていただいた。

成田道場を後にして、フェンス沿いに歩き続ける。途中、カメラを持った人たちが集まっている。飛行機が間近で撮影できるスポットらしい。1時間くらい歩いてから来た道を引き返した。空と大地の歴史館を見学していく。館内や展示物は、空港のように整然としていて、地元住民の視点、生の声は、あまり伝わってこなかった。

15時頃、芝山千代田駅に戻る。京成成田駅で下り、少し離れたJR成 田駅から成田エクスプレスに乗る。乗車直前に、東南アジア系の若い女性から、この電車は千葉に停まるかと訊かれた。当然千葉にも停まるものと思って、停ま ると答えると乗車したが、乗務員に確認すると、次の停車駅は東京だった。東京〜千葉間はかなり離れている。悪いことしたと思い、彼女の座っているところに 行き、説明して誤った。彼女は「オー」と泣きそうな顔をした。その後、乗務員が彼女に説明をしていたが、少し後味の悪い帰路になった。

 
 
関連サイト

・   「日本山妙法寺」 http://nipponzanmyohoji.org
・   「machinet まちねっと」 http://www.machinet.jp
・   「巨石! 私の東北巨石番付」 http://hamadas.exblog.jp
・   「街かど美術館 アート@つちざわ 非→半公式 art@tsuchizawa semi-official site」 https://arttsuchizawa.wordpress.com
・   「9月、東京の路上で」 http://tokyo1923-2013.blogspot.jp




浜田 浩之/はまだ ひろゆき

東京自由大学ユースメンバー。京都造形芸術大学通信教育部情報デザインコース卒業。フリーのグラフィック・デザイナーとして活動の傍ら、視覚障害者支援などのボランティア活動を行う。