見せてはならない

田 園

 



「お腹で呼吸して、意識を丹田に集中させてごらん」

小学生の私に、父が言った。一緒に昼寝しようとしたものの、なかなか眠れない私を見兼ねて口にしたのだ。今から考えると、あれは気功だった。

 

世界がオカルトブームに沸いた1990年代、私は子ども時代を送っていた。つまり、自分の世界観が形成される過程で、オカルトは大きな基盤となったに違いない。90年代の終わりに法輪功が批判されるまで、中国では気功が大いに流行していた。そのため、自分の子ども時代の記憶には、気功に関することが少なくない。鳥飼美和子さんのEFG「気功エッセイ」を拝読し、とても懐かしいと思った。

 

90年代の北京では、いつ公園に行っても、気功の練習をしているおじさんおばさんの集団がいた。子ども向けのマンガを読むと、朝早く起きて、松の木から「気」を吸い取るおじさんが出てくる。中学校のクラスメートで、おばあちゃんに連れられて気功をやっていた子は、「『香功』をやったよ。ちゃんと練習すれば、いい香りがしてくるんだって。おばあちゃんが『香ってきた?』って訊いたけど、私はなんにも感じなかった」

 

私は祖母の家に住んでいた。祖母も、たまに誰かから気功のカセットテープや本をプレゼントされた。しかし祖母は、あまり気功に興味がないようで、結局私が気功をすることになった。気功のカセットテープは、お世辞にも面白いとは言えない代物だった。たいていは、「全身をリラックスしてください。もっとリラックスしてください。さらに、リラーックス…。頭をリラックスしてください。首をリラックスください。肩をリラックスしてください…」とりあえず、何かをリラックスしてくださいと繰り返した。自分が広い海に浮かんでいるとイメージしながら、音声に従って呼吸する。静かに、ソファの中でダラッと寝転んでいる私は、よく大人たちから笑われた。

 

ある日、父の友達が家にやって来た。その男性の話題は、彼の親戚の子どものことだった。

 

「姉妹だよ。二人とも気功やってる。『聡明功』とかいうやつ。練習したら頭がすごく良くなるんだって。お姉ちゃんの成績はクラスでナンバーワン。毎朝5時起きで、気功の歩き方を練習してる。不思議だね、まだ小学生の子どもなのに、よく起きれるよね。彼女たちの師匠は小さな診療所をやってて、とにかくすごい人なんだ。人間の身体をパッと透視できる。師匠の話では、その子たちの頭頂から光の柱が出てる。30cmくらい。気功のできる人なら見れるんだって。子どもも親に師匠の光を指差して見せたことがある。まあ、もちろん親には見えないけど。師匠の光の柱は、天まで届くそうだよ。『天眼』が開いたら、普段見えないものが見えてくるらしい。ある日その子が親に、『あのおじいさんはだれ?』って訊いた。でも誰もいなかったんだよ。子どもには、庭に変なおじいさんが見えたそうだ。子どもが近づくと、おじいさんは後ずさる。なるほど、この世の人じゃないんだと気づいたみたい。彼女たちの師匠は、一人じゃない。目に見えない存在も、師匠になるんだ。この前、子どもが一人室内で気功を練習していた。電気もつけず、真っ暗だった。しばらくすると、パッと音がして、子どもが泣き始めた。どうしたのって訊いたら、師匠に怒られたって言うんだ。ビンタを食らったのかな、手のひらの跡が頬に残ってたそうだよ」

 

このおじさんの話が、私に与えたインパクトは凄かった。世界観がまだ形成されていなかった私にとって、新しい扉が開けたような話だった。しかし、それから何年か経って父にこの話をしてみたが、おじさんのした話はもちろん、そのような来客があった事も、全く覚えていなかった。「えっ、そんな話あった?それ誰がした?」しかもこのおじさんが、我が家を訪れたことは二度となかった。

 

子どもは、虚構と現実の違いがよく分からないと言うが、このおじさんの話は私の妄想ではないと確信している。恐らく、このおじさんは家族で北米に移住したので、一度しか会わなかったと記憶している。

 

その後も、私は現在の科学で捉えることができないものに強い関心を持っている。中学生の頃、金庸の武俠小説がクラスでブームとなり、それを見た私は、主人公をまねして胡坐の練習をしていた。気功のカセットテープで習得したワザを加え、自分なりに遊んでいた。すると、体を全く動かしていないのに、呼吸だけで全身が熱くなってくる。内部視覚も発生し、仄暗い光が見えたりする。さすがに恐ろしくなったので、途中でやめた。

 

アラサーになった今、いわゆる「超能力」の話には、すっかり慣れたような気がする。残念ながら、自分の目で超能力を確認したことはないが、友たちの知り合いがお化けを見たり、前世や未来を見たり、透視や分身をする、といった話はよく耳にする。だから、超能力はとても普通で、自然なものではないかと思うようになった。子ども時代に練習をすれば目覚めるし、大人でも修行すれば、何度目かの来生で手に入れられるかもしれない。

 

そういえば、仏教では超能力を見せてはならないというタブーがある。菩薩たちは人間として生まれならが、すごい神通、つまり超能力を持っている。しかし説法をする為に人間と偽っているのだから、神通を見せたら正体がバレてしまうし、周りの人も神通にばかり興味を持つようになる。そうすると成仏の道から遠ざかってしまう。だから、普段は超能力を見せてはならない。もし見せたら、すぐにこの世から離れなければならなくなるそうだ。

 

だから、すごい超能力を見せることよりも、本当は持っている力を隠すことのほうが、素晴らしいのかもしれない。

 
 
田園/でんえん
北京出身。畑に囲まれた田舎の寄宿制中学校、北京師範大学第二付属高校、北京映画学院大学卒。そして来日。中央大学大学院で修士号を取り、博士課程に在籍 中。研究分野は宗教社会学だが、その業績はほぼなし。漫画家デビュー歴あり。黒い歴史満載。猛禽保護センター、出稼ぎ労働者の子供のための学校などでボラ ンティアをしていた。中国赤十字社で救命技能認定証をとったが、期限切れている。今は念仏+論語+民間療法+市民農園に情熱を燃やしている。