気功エッセイ 第8回 

二人の魔術師・高橋巌と鶴見俊輔 ~東京自由大学的「世直し」の試み2~    鳥飼美和子

 




気功に出会った1988年「気功する人智学徒でありたい」と思いたった。人智学とは神秘哲学者のルドルフ・シュタイナーの思想・世界観だ。「人智学」と「気功」が交差した、私にとって運命的なその時、その場に高橋巌という静かなる魔術師が立っていた。

四半世紀後の2014年、東京自由大学「世直し講座」見えないものを見る視点・龍の目コース第1回の講師は、その高橋巌先生であった。高橋先生は日本のシュタイナー研究の第一人者だ。

シュタイナーは「人智学」を山の中腹に譬えたという。山のすそ野には人類学が広がり、山頂には神智学が輝いている。人智学はその山の中腹で麓から頂上に道を付けるのが仕事である、ということらしい。高橋巌先生と荒俣宏さんの共著、これが私の神秘学への道案内だった魅惑的な本『神秘学オデッセイ』にそのような記述があった。

私のイメージの中では現実世界と霊界の両方を視野に入れ、自らの道を歩むのが人智学徒であり、その歩き方は気功である、と。気功とは生き方だから。道をつけるとは「道=タオ」そのものではないか、とその時、胸をときめかせていたのである。その頃の私にとって、シュタイナーそのものというより、その思想を自己の中に溶かし入れて語っておられる高橋巌先生の言葉からたくさんの滋養を頂いていた。

 

その頃のある夜、シュタイナー講座の一受講生で直接的な関わりなどない私の夢に、突然高橋先生は登場した。夢のなかで何かの危機が迫っている。必死に走って洞窟の中に逃げ込んだ私。そこに静かに立っている高橋先生。近くに小さなウサギの人形がある。先生はそれをぱっくり口に含んだ。しばらくして先生が口から出したウサギはピクピクと動き、跳ねて行ってしまった。まるで不思議の国のアリスのウサギのように。夢はそこで途切れる。それは無機的なものに「いのち」を吹き込む魔法だった。

気功エッセイ1回目に書いた1989年中国気功研修「神秘学と科学」シンポジウムに高橋先生が参加されたとき、ある気功の先輩が「高橋先生は引き潮みたいな人や」と評した。強い力や勢いで迫ってくるのではない、静かに引いてゆくかのような佇まいだ、しかし、私たちはその潮に引き込まれ、魅了され、遠くまで連れて行かれる、と。

 久しぶりに聴く高橋先生の講義、静かな熱に満ちている。霊界はここにある、向き合えば向こうからやってくる、それを待ちに待つ、いのちがけで。霊的とはいのちがけであることだ、と。瞑想によって自我の変容、対象との融合がおこる、しかし、それには危険なこともある。その例としてオウム真理教のことを指摘された。

知性と静けさ、さらにはユーモアをもって見えないものを見る力を語って下さった。一つひとつの質問にじっと耳を傾け、言葉一つもおろそかせず、魂の底から湧き上がってくる答えを待ってから応答する先生の姿。それは、対象と融合することを一瞬一瞬実践されているかのようだ。物質的なこの世=社会権力を離れるというところからアナーキズム、大杉栄、アナーキストと映画界、さらに高倉健にまで話はおよび、高橋先生でなければ語りえない世界が広がった。

 

講座が終わり、満たされ魂の芯が微熱を帯びるような感覚をもって帰宅した夜、もう一人の魔術師が待っていた。かつて一瞬にして身心を震わせたひと、私に感動としか言いようのない震えと涙をもたらした人、それは哲学者の鶴見俊輔氏だ。高橋先生の世直し講座の有った日の深夜、Eテレで「日本人は何をめざしてきたか」で鶴見俊輔氏を取り上げた番組が放映(再放送)された。

鶴見先生の話を直接聞いたのはたった一度、200310月の伊勢の猿田彦神社で行われた「おひらきまつり」のフォーラムのときだ。それまで、鶴見先生については姉の鶴見和子さんには注目して本も読んでいたが、俊輔氏については『思想の科学』を主催された方、『限界芸術論』や『アメノウズメ伝』などの著作があることを知っている位で無知だった。その日のシンポジウムの基調講演が鶴見先生だったのだが、それを聴くこともせず、伊勢の街に繰り出していた程で興味が薄かったのだ。シンポジウムの最後に会場に忍び込んだ。そして、突然その時が訪れた。

シンポジウムの最後に鶴見先生が語った時だった。若い研究者に対しての応援とアドバイスだったのだが、その言葉を聞いたのとほぼ同時くらいに、身体の内側から震えがおこり、突然目から涙が噴き出してきた。そして、すごいすごいこのひとすごい、と魂が叫んでいる。

あれはいったい何だったのだろうか、その時の記録を探し出して読んでみた。

鶴見先生の発言はわたしたちがテクストを読むとき、自分の怠惰を隠すためにテクストの価値を低く読む、あるいは、狭い視点でしか解釈することが出来ない、という苦言であった。読者は、もっと心の働きを深く広く、想像力を豊かにして自由に命題を出すべきである、想像力の衰退から自らを救おう、と言っていたのだ。この主張はもっともなことではあるが、文章で読むと、あのときの震えるほどの感動はない。

鶴見先生はそのとき、その場にいる者たちに向きあって魂の底から訴えていたのだ、このままじゃだめだよ、自らを知的な努力や想像力の衰退から救わねばならない、もっと自由に豊かにならねば未来はないよ、と。それは説教ではなく、叫びの様なものだったのかもしれない。あるいは神がかりの言葉のような振動をもって語られたのだ。だからあの時、私はその振動に同期したのだ。

Eテレの「日本人は何をめざしてきたか」でが、鶴見先生の戦争体験と戦後の活動、「思想の科学」「べ平連」について紹介された。その番組の最後に鶴見先生は「(戦争に)負けたことは忘れない、間違えたことは忘れない、そこから真理の方向が見えてくる。消極的能力だね」と言って、子供のように無邪気に笑った。

高橋先生が語られた霊的な歩み(それを高橋先生は「こころの旅がらす」と名付けられた)である対象との融合、他者を自らのように思うこと、を実践してきたのが鶴見先生ではないだろうか。

 

高橋先生がアナーキズムや大杉栄について語られたことに触発されて浅羽通明氏の『アナーキズム~名著でたどる日本思想入門』を読んでみた。その本は、アナーキズム入門の手引きとして、二つのロックミュージックを紹介するところから始まる。ジョン・レノンの「イマジン」とジョニー・ロットンの「アナーキー・イン・ザ・UK」だ。一切の権力を否定して自由を実現すること、それには二つの面がある、ユートピアへの夢と現実への反逆。この分かりやすい導入で読み進むことが出来た。コスモポリタン鶴見俊輔’も紹介されている。


鶴見先生のアナーキズムは「方法としてのアナーキズム」。国家体制や政治という大きな枠のアナーキズムより、今この場に権力構造を脱して、自由な相互扶助的生き方を創造する方法となる、ということだろうか。

これはより納得できる社会を創造しようと、新しい自給自足の共同体を作ろうとしたヒッピーたち、日本においては山尾三省さんたちの活動と繋がるものだ。

アナーキズムと言うとラディカルな反国家活動のように思えるが、案外、東京自由大学が「世直し」として提案する、自分の身の回りからの世直しと通じるところがあるのかもしれないと思い至る。

鶴見先生については、世直し講座・龍の目の二回目の講師・内田樹先生が『街場の戦争論』で、「滅びた祖国」の立ち位置をとった文学者たち、の中で触れている。内田先生は、今の日本の状況に対する不安と焦燥感の元凶は、前の戦争において「負けたこと」をしっかりと背負う人間がいなかったこと、だれも責任を負わず、するっと戦後の日本人になってしまったことであるとする。その中で、数少ない自ら敗戦を背負って、忘れず生きた人が鶴見俊輔であるということだ。

内田先生の世直し講座は「霊性と戦争」にも繋がるものだった。これについては、次回に述べてみたい。

龍の目・世直しは、高橋巌先生から浮かび上がるように鶴見俊輔先生が登場した。私にとっての魔術師であるお二人に、世界の深みを感じる。 

 

 

 

 

鳥飼 美和子/とりかい みわこ
気功家・長野県諏訪市出身。立教大学文学部卒。NHK教育テレビ「気功専科Ⅱ」インストラクター、関西気功協会理事を経て、現在NPO法人東京自由大学理事、峨眉功法普及会・関東世話人。日常の健康のための気功クラスの他に、精神神経科のデイケアクラスなどでも気功を指導する。
幼いころ庭石の上で踊っていたのが“気功”のはじめかもしれない。長じて前衛舞踏の活動を経て気功の世界へ。気功は文科系体育、気功はアート、気功は哲学、気功は内なる神仏との出会い、あるいは魔鬼との葛藤?? 身息心の曼荼羅への参入技法にして、天人合一への道程。
著書『きれいになる気功~激動の時代をしなやかに生きる』ちくま文庫(2013年)、『気功エクササイズ』成美堂出版(2005年・絶版)、『気功心法』瑞昇文化事業股份有限公司(2005年・台湾)