久高オデッセイ3部作を鑑賞して

久末 俊幸

 



1,2,3と鑑賞して、久高オデッセイ3部作のつながり、久高島に住む人々のつながり、伝統のつながり(伝承)といった「つながり」を感じました。人のつながりで言えば、久高島は暖かさもあれば、煩わしさを感じることもあるような場所かもしれません。それでも今の社会を生きる人にとってみれば魅力を感じ、何かに気付くことができる場所だと感じました。久高オデッセイには久高島を残していきたい、残していくべきといった使命が形を変えて繋がっているように思いました。

僕が言えたことではないかもしれませんが、世の中には形だけのもの、続けているだけのものがたくさんあるように思います。大重さんの映画はそういった現状にぶつかりはせども、「こうあるべき」と押し付けるのではない、鑑賞者ひとりひとりが気付ける学びの余地があるように感じました。本当に必要なものは姿を変え、形を変えながら伝承されていくもの。あなたにとって大切なもの(こと)は何? 社会にとって大切なものは? 地球にとっては?そんな問いが鑑賞しながら頭に浮かんできました。

久高島のすべてが理想的かどうかは、僕にはまだ分かりません。でも久高オデッセイを通してみた久高島には、時代の流れに影響されながらも大切なものを守ろうとする大人がいたように思います。そしてそんな大人の背中を見て育つ子どもの姿もありました。その子どもたちが大人になってからも久高島に残るかどうかは分かりません。それでも私は、あの大人の背中をみて育ったあの子たちは、大切なものを持った大人になるとなぜか自信を持っています。わたしはわたし。あなたはあなた。競争社会の中で埋もれているものが久高島にはあるような気がします。

2章のみを事前に鑑賞していた時の私は、漠然と「久高島に行きたい」と思っていました。言ってしまえば、旅行気分だったように思います。3章すべてを鑑賞した今の私は、その時の私と少し違うように思います。久高オデッセイの中にある久高島を自分の目でみたい。興味本位なのは変わりませんが、久高島の光と影、フィルムに収まり切らなかった久高島を大学院在学中に確かめに行きます。そう思えたきっかけをくれたのは「久高オデッセイ」です。鑑賞して本当に良かった。ありがとうございます。




久末 俊幸 / Hisasue Toshiyuki

山梨大学大学院 教育学研究科 教科教育専攻

身体文化コース  野外教育(川村協平教授)研究室