Everywhere at home(久高オデッセイ[第三部 風章]によせて)

木村 はるみ 

 

 

 

夏かしい場所。

この地上には、なつかしいと感じるところがある。

放浪を正当化するようだが、

「ああ、ここだ。」とか「そうだ、ここに行かなくっちゃ。」には何の根拠もないが

だから素敵。

 

奄美の三線の師匠は、潮風に吹かれながら、

音の極意に「なつかしかあ」とつぶやいていた。

これは文化人類学者I先生の映像の中であったが、

その音の到来は暖かい潮風のように、絃は自然と鳴りだし

ああこの音なんだと師匠は涙ぐんでいた。

全身で感じるサウダージ。

 

ただのノスタルジーではない。

懐かしいわけでもない。

昔を思い出しているわけでもない。

自然と運ばれていく場所。

そこで夏かしい人と出会う。

甦る。

それは「私」だ。それが「私」だ。

置いてきてしまった魂が呼び合う。

 

「おいで」と言ってくれる場所がある。

美しいと思っていた人間の崩れていく姿を見るのは辛い。

しかし、それは病でも老いでもない。

過ちだ。

失望ではない。現実でもない。

的外れ(ハマルティア)なのだ。

穢れを纏って笑う姿は哀しい。

クズの鳴き声は哀しい。

人間はクズだ。(わたしもクズだ。)

やはり人間には歌が必要だ。

浄化のための祈りの歌が必要だ。

 

 

わたしは、たくさんの人に捨てられてきた。(おまえも捨ててきただろう。)

そしてたくさんの人に拾われてきた。(おまえも拾っただろう。)

そのどれもただの法則であった。

 

ここを超えたくて放浪し、放浪する。

そして出会った。

死の門をくぐる。

抱きあう魂の溶け合う宇宙、妙音が聴こえる。

 

初めて愛を語る。

「わたし」が愛している。「わたし」が「おまえ」を愛している。

もう、死ぬことはない。

 

わたしは地上の生命体であることをやめ、漂う。

ここから一歩を始めよう。

わたしの永遠の伴侶とともに。

これからは、どこでも故郷。

 

さて、もう少しで夏合宿!

いざ、久高島へ。

いざニライカナイへ。

深く透き通る青い海、広い空・かがやく白い雲。太陽。

「久高」と名づけられた小さな緑の島。

白い砂浜、鳥や蝶、豊かな植物、貝や魚が笑い歌う島。

みどりの風に乗って、

みんなで行こう。

追記

上記の文章は、715日に書きました。大重監督が旅立つ1週間前です。728日からの夏合宿へもまだ行っていませんでした。

私にとって久高島は、20125月に京都大学こころの未来研究センターの内地研究員として鎌田東二先生に受け入れていただき、ポケゼミという小人数の新入生授業に参加するまで、まったく知らない島でした。京都が祇園祭に騒ぐ中、比嘉康雄の本を読みフィールド調査の勉強をしながら、小会議室で学生と一緒に「久高島オデッセイ [第二部 生章]」拝見しました。感想文を鎌田先生が大重先生に送ってくださったのが、大重先生との出会いでした。映像の美しさはもちろんですが、すべての生きとし生けるモノへのまなざしの暖かさ、帰依の姿に感動した旨の感想であったのですが、その印象が深かったのか、しばらくは「ああ、帰依さんね。」と言われていました。気軽に電話をして来てくださり、台風で島に一人取り残されてしまった際にも、心配して朝に電話をしてくださいました。暖かい人でした。

2014年の旧正月に久高島に行きました。映像文化研究所では食事をしながら楽しく話しました。交流会館の高橋あいさんの部屋に泊めてもらい、元旦の朝日を大重監督、比嘉さん、あいさんと4人で待ちました。薄暗い空が明けるまで、しばらく待ったその森の入り口に今回の合宿最後の夜に一人で行きました。そこから浜辺に出られるのです。まるで大重監督に導かれるような感じで真っ暗な、しかし満月の白い道を宙に浮いたような感じで浜辺に向かいました。そして見たのは、夜の海に照り輝く満月と黄緑色に妖しくキラめく海面の光の波。打ち寄せる音。夜の砂浜と夜の植物たち。何故か、海まで出てはいけないような気がしてしばらく、その浜への入り口に立ちつくしました。

・・・ああ、久高島にいる・・・これを見せたかったのか・・・・。

オオシゲ カントク アリガトウ。

コレカラモ ミマモッテ クダサイ。

交流会館へもどる途中、道の角で大重監督が車椅子で待っていたような気がしました。

元旦の朝にあいさんと大重監督がいた場所です。

オオシゲ カントク アリガトウ。

コレカラモ ヨロシク オネガイシマス。

軽く会釈をし、帰りの月あかりだけの道はなんだか怖くて急ぎ足になりました。

 

「木村さん今度サシで飲みましょう!」と言われていたのを思い出し、私も早くあちらの世界に行きたいなと思いました。地上世界はもういいや、みたいな気もちがあるからです。上記の拙詩は、そんな言葉も出ない独り言でした。

 

最後にもセレモニーにも駆けつける事のできなかった私にとって、鎌田先生からMLで送られてきたお写真とご報告は、貴重なものばかりでした。ありがとうございました。暖かく神聖なお二人の会話の1枚には、思わず涙ぐみました。

みんなに囲まれ、鎌田先生にここまで手厚く見守られて、大重監督は幸せであったと思います。

これからも、私、私たちの中で大重監督は生き続けることになると確信しました。

大重監督、ありがとう。これからもよろしくお願いいたします。(合掌)

 

 
木村 はるみ/きむら はるみ
1957年日本生。やぎ座。東京自由大学会員。筑波大学大学院博士課程体育科学研究科満期退学。現在、国立大学法人山梨大学大学院教育学研究科身体文化コース准教授。舞踊・舞踊教育学・体育哲学。1991ロンドン大学付設ラバンセンター在外研究員、Notation法を学ぶ。1996東京大学大学院総合文化研究科内地研究員、2012年度京都大学こころの未来研究センター内地研究員。2013・14年 度同連携研究員。受入教員の鎌田東二教授を通して東京自由大学のことを知る。驚く。設立趣旨に感動し入会。もっと早く知りたかったですが、今からでも遅く はないですよね。神道ソングと法螺貝が大好き。日本の宗教と芸能の関係を研究中。現在、舞踊作品創作にも取組中。ご興味のある方ご連絡ください。