ー森の記憶ー

桑原 眞知子




「この本は、真知子さんが持ってて下さい」と高橋あいさんから、古い写真集が送られて来ました。

大重さんの本棚にあったという、広島の二葉山原生林の本でした。二葉山は身近な山ですが、原生林があったとは知りませんでした。地図帳で調べると、仏舎利塔、正法寺、正廣寺、金光稲荷神社、東照宮、鶴羽根神社、明星院、にき津神社、観音寺、古墳のある早稲田神社と周辺には神社仏閣が集中してて、パワースポットと言われるのも納得です。

大重さんとの出会いで、あいさんは人生が変わったとお聞きしましたが、私にも、そんな出会いがありました。

母が少女時代に描いた鉛筆画
母が少女時代に描いた鉛筆画

「意図する」という言葉を作った、詩人の吉田一穂さん。日本のマラルメといわれ、詩集『海の聖母』などの作品を書かれ、体の中に深い海と森を持ってた方でした。

知り合いの小説家の方に、「本物の芸術家に会わせてやる」と半ば半強制的に、友人三人と上連雀の一穂さんの借家に連れて行かれました。

それは学生運動真っ只中に、ロックアウト解除で入試を受け、大学に入学したのは良いものの授業がなく、生活の為に三鷹にあったデザイン事務所のアシスタントとして、はとバスや長瀞ビューテラスのポスターを作っていた頃でした。

一緒に行った友人は自分たちの油絵を持参し、私は作品と呼べるものがなく、手ぶらのままでお会いすることになりました。

上連雀の官舎のような木造平屋建てのお家の玄関を開けると、小さな土間の左手に三畳ほどの書斎があって、一穂さんが座っていました。

両手を一杯に空に広げた大樹が、風を受けて光と枝葉を揺らすように一穂さんは、大声で「わっはっはー」と笑って出迎えて下さいました。その存在の質量と引力に、身体中の細胞が開いたままで固まってしまいました。あんなに宇宙樹のように大きな波動を感じたのは、生まれて初めてでした。それなのに、不思議と以前どこかで出会ったことがあると、懐かしさも感じていました。

狭い書斎に、一穂さんと机を挟んで四人がギュウギュウ詰めに座りました。

お話は、一穂さんの魂がたどり着いた境地としての「半眼微笑」と「桃花村」、松尾芭蕉の俳句についてと続き、三畳の空間に修行僧のような一穂さんの宇宙が展開しました。

「芭蕉の、荒海や佐渡に横とう天の川の句が好きです。天と地の間に、人が直立して立っているのを感じて」と言いますと、また「わっはっはー」と笑われて、「台所にトマトがあるから切ってくれ」と仰います。

お台所でトマトを切ろうとすると、手がブルブル震えて切れません。一緒に行った人に手伝って貰って、やっと出すことが出来ました。

「東京は、夏でも夜中になると万年筆のインクが凍る。一行の詩の言葉を削るのに10年掛かった。ヘリオトロープのインクの色が好きだ」と植えて大樹にまで育てた言葉の枝葉を削いでいく、日々の創作のお話が続きました。

暫くすると、今度は「机の上にあるチマキを切って、皆で分けて食べろ」といたずらっぽい目で私に仰います。

またまたブルブルする手でチマキを切ろうとすると、何日か前の物らしくて固くて力任せに刃を入れると、ポーンと片割れが飛んでしまいました。顔から火が出るように恥ずかしくて、うつ向いたままでいると、どこからか黒猫がトコトコやって来て、私の膝に座りました。

「それは杉村春子が置いて行った猫だ」と仰って、猫の手触りと温もりのお陰で、やっと震えが止まりました。

「今、地軸は白鳥座の方向に20度傾いている。書斎に座っているだけで、それが分かる」「また遊びに来なさい」それが帰り際の言葉でした。

ボロボロの状態で電車に乗り込むと、火照った頬を冷ますように、風が舞い込んで来ました。小説家の方が「一穂さんが、お前の作品を見たいと言ってたぞ」と伝えて下さり、それ以来、吉田一穂さんは私の『小僧の神様』(島崎藤村)になりました。

もう一度お会いしたいと思ってましたが、卒業してから広島に帰り何年か後に、偶然手に取った現代詩手帳で一穂さんの特集が組まれてて、お亡くなりになったのを知りました。

「地軸は白鳥座の方向に20度傾いている」と言う一穂さんの予言のような言葉は、25年前にサイエンスで実証されてました。

一瞬の出会いが、一生の光になりました。

      

      何一つ おなじ空はなく

      何一つ おなじ雲はなく

      何一つ おなじ花はなく

      何一つ おなじ流れはない

      毎秒 毎分 毎時間 毎日 毎年の千変万化

      宇宙のサイクルの一粒の息


さらさらと描いて頂いた半眼微笑の絵を、引っ越しの際に探して見ましたが、見つけることが出来ませんでした。いつかまた次の次元でお会いした時に、ごめんなさいを伝えようと思ってます。

 

 

桑原 真知子/くわはら まちこ

広島県生、空見人。多摩美術大学絵画科油画課卒業。広島大学文学部考古学科研究生修了。草戸千軒町遺跡にて、遺物の漆椀の図柄の模写や土器の復元を行う。シナジェティクス研究所にてCG担当とモジュール作成などを経て、現在は魂を宙に通わせながら作家活動を行っている。