アースフリーグリーン革命あるいは生態智を求めて その14

鎌田東二

 

 

 

19、東京自由大学初代学長・名誉学長横尾龍彦先生に捧ぐ

 

東京自由大学初代学長横尾龍彦画伯が亡くなった。1123日、新嘗祭の朝に。享年87歳。

このEFG原稿を横尾龍彦先生の告別式が行われる埼玉県所沢市小手指のカトリック所沢教会に向かう埼京線の電車の中でこれを書き始める。人身事故で電車が遅れているので、違う路線で行き始めたが、さて、予定通り到着できるだろうか? 何事も、人生は『予定調和』ではないから。

今年は、722日に大重潤一郎監督、831日に岡野恵美子さん、そして1123日に横尾龍彦先生。東京自由大学「三神」が次々に天高く舞い上がった。こんなこともあるのだ。「例外」というのは、わたしたちの「思い込み」に過ぎない。それはそれ。そのままなのだ。それをしかと見届け、受け取らねば。

横尾龍彦先生は1928年、福岡県に生まれた。お母さんは神道系の凄い霊能力者だった。お母さんが「これからは芸術です」と言った。そのこともあって、横尾先生は、戦後、東京芸術大学日本画科に入学した。が、実存哲学に魅せられ、ニヒリズムやデカダンを気取り、道を失った。

しかし、その後、芸大を卒業して、キリスト教プロテスタント系の神学校に入ったが、2年で退学。北九州市戸畑区の明治学園の美術教師となるも、このままでは画家として一生出られないと決意し、上京。

1965年に、高橋巖先生の主宰するルドルフ・シュタイナー研究会のセミナーに参加。その後1978年からは鎌倉三雲禅堂の山田耕雲老師に師事し熱心に接心。独参を続け、見性。そして1985年にケルン郊外に移住。その後ベルリンに拠点を移し、やがてベルリンと秩父にアトリエを設け東西を往来することになる。BBK・ドイツ美術家連盟会員。1989年には、東京サレジオ学園の聖像彫刻により吉田五十八賞を受賞。栃木県那須のトラピスチヌ修道院には、横尾先生制作の聖母子像が祭壇脇に安置されている。2015年度の最後の催しは、そのトラピスチヌ修道院で横尾先生のご指導を仰ぎながら、カトリックのミサにあずかり、祈りと瞑想と対話の時間を持つ予定で、一同楽しみにしていたのだ。それも叶わぬ夢となった。

横尾龍彦先生が生前に親交を結んだ方々は、高橋巖(美学者・シュタイナー研究者、元慶応大学教授)、井村君江(ケルト妖精学・元明星大学教授)、澁澤龍彦(フランス文学者)、種村季弘(ドイツ文学者、元國學院大學教授)、酒井忠康(前鎌倉近代美術館館長、世田谷市立美術館館長)、田中幸人(元毎日新聞美術記者、元埼玉近代美術館館長、元熊本市立美術館館長)、三田晴夫(毎日新聞美術記者)、志村ふくみ(染色家)、志村正雄(アメリカ文学者・東京外国語大学名誉教授)、松田妙子(世界救世教鎌倉教会元教会長)、今道友信(美学者・東京大学名誉教授)、海野和三郎(東京大学名誉教授・天文学者・NPO法人東京大学学長)など、当世一流の諸氏だった。

NPO法人東京自由大学のウェッブマガジン「EFG2号」に、横尾先生は次のように記している。

 

 

「神は無であるとマイスター・エックハルトは言っています。無は肉眼や意識では捉える事の出来ない叡智とエネルギーのことで神仏の世界は一つです。/神は言表不能な根源的存在で、私の無意識深く私の自我の中心に存在します。座禅によって無を極めれば私達は宇宙の根源に触れて開眼します。それが悟り体験です。」


「人間的努力だけでこの自己を超越できません。エッケハルトが言う『己を失えば失う程に神がそこに来て充たす』と道元の『仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うと云うは、自己を忘るるなり』に自己を超えていく秘密があります。」

「私は生涯美を求めて彷徨いながら神に出会いました。/人格の完成を求めても、内なる人が聖霊に満たされて変容しなければ道徳と偽善性に縛られて自由を失います。理想の人間像は柔らかく砕けた自由人です。/その自由は目に見えない存在との交流によって齎されるのです。/人の思惑や、社会のために生きるのではなく、内面の声に従うのです。他人からは見えませんし、人からは理解されませんが、神様に知られているのです。人を対象にすると誤解されたり、無視されて傷つくことも多いのですが、霊としての偉大な愛である存在と対話していると、孤独ではありません、そこでは静かな平和が心の中から絶えず湧出してきます。/人生は短いです。人に知られなくとも本来の真人を実現したいものです。」

「その時自己の本質が私と一つになる深い体験がありました。それは言語では説明できない全身全霊の納得でした。只、涙、涙、深い安堵感と凡てを放棄した限りない自由がそこにはありました。その様な精神状況は1週間程続きました。本来の自己の実現です。/これらの体験はすべて独参室で(山田耕雲)老師に報告されましたが見性が許されたのは1年後の事でした。

 

 

横尾龍彦先生と初めて会ったのは、19824年頃だったと思う。もう30年以上前のことだ。横浜の高島屋で個展をしているのを見に行った。そして個展会場に入った途端、目に飛び込んできた絵があった。わたしはその瞬間、「この絵と縁がある!」と思った。その絵がいいか、悪いか、好きか、嫌いか、ではない。ただただ、「縁がある」と思ったのだ。

そして、わたしは生まれて初めて絵を買った。「枯木龍吟」という絵だった。初めて絵を買うなどしたわたしを慮って、横尾先生が絵を割引してくれ、そして自ら届けてくださった。それを横尾先生がわが家のマンションの壁面に賭け終わった途端、3歳になるかならないかの息子が、突然、「とうちゃん、こんな絵を買ったら、ウチがビンボーになるよ!」と言った。これにはみな仰天した。恐縮至極の息子の発言に、横尾先生は笑いながら、「そうかもしれんねえ~」と余裕綽綽であった。苦笑いをしていたかもしれないけれど・・・。

わたしが横尾先生について書いた文章が2本ある。1本は、『翁童のコスモロジー――翁童論4267286頁、新曜社、2000年)に収めた「風と珠(たま)の人・横尾龍彦」。もう1本は、『神道のスピリチュアリティ』(作品社、2006年)に収めた「宇宙的協奏としての横尾龍彦の瞑想絵画」。

 前者のエッセイでわたしは大体次のようなことを書き進めた。

 

 

序章 霊性の画家・横尾龍彦

 横尾龍彦は「風と球の画家」である。彼の画業の前半生は球を、そして後半生は風を主題にしている。・・・

 

第一章 三度の神秘体験Ⅰ~光体出現

 少年の頃、ある夜、横尾は部屋の中に白金色に光り輝く「球」の出現を見た。このときの驚きと神秘と畏敬の感情が横尾龍彦の画業に底流している。・・・

 

第二章 三度の神秘体験Ⅱ~天地合体

 第二の神秘体験は25歳の時に訪れる。・・・

 

第三章 三度の神秘体験Ⅲ~光体成仏

 横尾は第三の神秘体験について次のように述べている。・・・

 

終章 風龍の行方

・・・ここに雄大な「風龍」がたゆたっている。おおどかで、力強く、時にはゆったりと、時にはすばやく激しく自由自在に舞い踊っている。横尾龍彦はついに風になった。「風龍」と化した。

「風龍の画家」横尾龍彦。この風龍の行方がどこに到るか、翁の風貌をたたえはじめた横尾の画業と人生の深化を見とどけたい。

 

 

 

これは、初出が横尾先生の画集『横尾龍彦 19801998』(春秋社、1998年)だった。横尾龍彦は、「シュールリアリステックでデモーニッシュ(デモーニック)な幻想画家から、禅の見性体験を経て、(自我で書く絵を捨てて)『風が描く・水が描く』画家になった。わたしは、ドイツ・ベルリンでの展覧会、例えば、ルードヴィッヒ・ランゲのギャラリーでの個展や、シャーロッテンブルグ宮殿での個展や、ベルリンのソニーセンターでの個展や、スロバキアの首都ブラチスラヴァやタイや北九州市鶴美術館手の個展での絵画パフォーマンスで、横尾先生の瞑想描画パフォーマンスを楽の演奏(石笛・横笛・法螺貝など)で支えたことがある。今、横尾先生は、大分県立美術館の「神々の黄昏」という展覧会に6点の作品を出品中である。

 

 

今日、13時から小手指のカトリック所沢教会で葬儀のミサと告別式が行われた。讃美歌の歌声の響く中、藤田神父(司祭)の司式により厳かに葬儀のミサが執り行われ、続いて告別式が挙行された。

山田耕雲老師の後継者の三宝教団第四祖山田凌雲老師と大分県立美術館長で武蔵野美術大学教授の新見隆氏とわたしの3人が弔辞を奏上した。わたしは弔辞の最後に歌と石笛・横笛・法螺貝を奉奏した。

その後、ご家族や受付を手伝ったスタッフのみなさんと共にお寿司をいただいた。30人ほどの方々が一人一人、横尾先生との関わりや思い出を語った。特に印象に残ったのが、横尾先生の5人のお子さんとその配偶者や孫の方々の思い出語りであった。

わたしは芸術家として、また求道者としての横尾先生のことはよく理解しているつもりであるが、「父」としての横尾先生の顔はまったく知らなかった。2人の息子さんと3人の娘さん、また2人のお孫さんの語る「釣り好きで子ぼんのう」な横尾先生の姿は、人間横尾龍彦を見た思いで新鮮だった。

とても、得難い、有難い時間であった。横尾龍彦先生、最後の最後まで本当に、本当に、ありがとうございました。心より尊敬の念いと愛を捧げます。

以下は、本日の告別式で横尾龍彦先生に捧げた弔辞である。

 

 

横尾龍彦先生に捧ぐ弔辞

 

 

十一月二十三日、新嘗祭の朝に、敬愛する東京自由大学初代学長横尾龍彦先生が亡くなられました。享年八十七歳でした。本年二〇一五年は、「久高オデッセイ」三部作の監督でNPO法人東京自由大学副理事長の大重潤一郎さん、東京自由大学前運営委員長で「久高オデッセイ第三部風章」事務局長の岡野恵美子さん、そして東京自由大学初代学長の横尾龍彦先生と、東京自由大学の三本柱が相次いで旅立ち、深い悲しみとともに忘れられない、心に残る大きな節目の年となりました。遺されたわたしたちは、いっそう心しておのおのの使命を果たして参りたく、決意を新たにしています。

 

横尾先生の訃報をお聞きして、わたしは「美と霊性の行者」横尾龍彦先生に捧げる三首の歌を作りました。

 

君ははや 天上巡る 龍となり 日の本宇宙の 魂描き逝く

美の行者 横の尾の上人 龍彦と 受肉せし身を 脱ぎて還らむ

はろばろと 伯林秩父を 翔け巡り 天空上人 龍の眼の人

 

 

横尾龍彦先生は、一九二八年、福岡県に生まれました。お母上は神仏習合系の凄い霊能力者でした。子どもの頃、横尾先生は毎朝ご神前のお水を取り替え、お供え物をし、朝拝の準備を整え、母上とともにご神前で礼拝することを日課とされてきました。

少年の頃のある夜、横尾先生は部屋の中に白金色に光り輝く球の出現を目撃します。この龍彦少年の「玉」の透視こそ、「霊性の画家」、横尾龍彦の生涯を貫く創造の原点でした。この少年期の光体出現と二十五歳の時の天地合体体験と五十代の禅見性体験による光体消滅の三つの神秘体験が、横尾先生の生涯の画期をなす体験であったと思います。

横尾先生の画業は、二十代からの神秘的な球体・光体を描き続けた時期と、五十代の見性体験によってそれが消えてただただ風やプネウマ的霊気の流動をのみ描く時期の二期に大きく分けられると思います。

 わたしは横尾先生の後半生の作品がとても好きです。大宮のわが家には横尾先生の大きな絵が八点、京都のわが家には七点、京都大学の研究室には一点が掛けてあり、三十代からわたしの人生と生活は横尾龍彦先生の絵と共にあります。そこで、文字通り、横尾先生とは生活を共にしてきたと思っています。

 

NPO法人東京自由大学のウェッブマガジン「EFG第二号」に横尾先生は次のように記してくださいました。

 

私は生涯美を求めて彷徨いながら神に出会いました。/人格の完成を求めても、内なる人が聖霊に満たされて変容しなければ道徳と偽善性に縛られて自由を失います。理想の人間像は柔らかく砕けた自由人です。/その自由は目に見えない存在との交流によって齎されるのです。/人の思惑や、社会のために生きるのではなく、内面の声に従うのです。他人からは見えませんし、人からは理解されませんが、神様に知られているのです。人を対象にすると誤解されたり、無視されて傷つくことも多いのですが、霊としての偉大な愛である存在と対話していると、孤独ではありません、そこでは静かな平和が心の中から絶えず湧出してきます。/人生は短いです。人に知られなくとも本来の真人を実現したいものです。

 

 

瞑想画家として横尾先生が繰り返し言われたのは、私が描くのではない、「水が描く、風が描く、土が描く」ということでした。その横尾先生の画法は、「龍彦」というお名前の名の通り、「龍画」そのものだと思います。龍が風に乗って空を翔け、また水の中を自在に潜り巡る、波動の流れと一体となる「流画」。気息やヴァイブレーションの流動に身をゆだね、分子の波動が微細に変化し変容していくことを映し出す、気配と霊性の錬金術師・横尾龍彦。

その画法には、聖霊やプネウマの風が吹き渡っています。高次元界からの魂風が。それは、神秘不可思議なそよぎでもあり、同時に、大変明晰な合理と直観が一如となった流動でもあります。目に見えない世界からの風のメッセージ。

霊性の画家・横尾龍彦は「風と球の画家」であった。先生の画業の前半生は球を、そして後半生は風を主題に自在に表現し生きた。

その横尾先生のみたまに心より捧げます。

 

神ながらたまちはへませ 神ながら

 

この光を導くものは この光と共に在る いつの日か 輝き渡る 

いつかいつかいつの日か

 

あなたに会ってわたしは知った このいのちは旅人と 

遠い星から伝え来た 歌を歌をこの歌を

 

この光を導くものは この光と共に在る いつの日も 輝き渡る 

いつもいつもいつの日も

 

                           20151219日 鎌田東二

カトリック所沢教会の祭壇
カトリック所沢教会の祭壇
横尾龍彦先生
横尾龍彦先生
キリスト像と横尾龍彦先生
キリスト像と横尾龍彦先生
告別式を終えて
告別式を終えて

 

 

 

鎌田 東二/かまた とうじ

1951 年徳島県阿南市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科神道学専攻博士課程単位取得退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科 学専攻単位取得退学。武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授を経て、現在、京都大学こころの未来研究センター教授。NPO法人東京自由大学理事長。文学博士。宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学などを専攻。神道ソングライター。神仏習合フリーランス神主。石笛・横笛・法螺貝奏者。著書に『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)『翁童論』(新曜社)4部作、『宗教と霊性』『神と仏の出逢う国』『古事記ワンダーランド』(角川選書)『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)『超訳古事記』(ミシマ社)『神と仏の精神史』『現代神道論霊性と生態智の探究』(春秋社)『「呪い」を解く』(文春文庫)など。鎌田東二オフィシャルサイト