はじめましてのお話と、『群れの子サリー』

いぬま かおり

 

 

 

はじめまして。
今回からこちらのウェブマガジンで連載を始めさせていただきます、
いぬまかおりです。

普段は事務の仕事をしながら英国のフェアリー(妖精)について、
主に人類学・哲学の理論を参照しながら研究しています。

よく、「なぜフェアリー研究なの?」
と聞かれるのですが、
これがなかなか一言では説明がつかず困っています。。。

きっかけとなった出来事としては、
10
代でのアイデンティティ・クライシスや、
最貧国バングラデシュでの一か月の滞在経験、
それから闘病生活における東洋医学との出会いなど
さまざまあるといえばあるのですが、

要は、

自分にとっては変わりえないと信じて疑うことのなかった
種々の思い込みが崩壊していくなかで、
『「絶対」なんてどこにもないんだな』と感じたことの意味を思いっきり、
おそらく一生追求できるような対象として
偶然に鉢合わせたものが「フェアリー」だったといえるのかなと、
暫定的にではありますが思います。

古代ケルトの文化のなかで培われ、
現代まで脈々と受け継がれ、
そのイメージは徐々に変化し、
今なお新たに生み出され続ける「フェアリー」。

空想の産物だという人もいれば(近現代では圧倒的にこの見方が優勢といえるでしょう)
いやいや私は見ましたよなんていう人も出てきてしまう(これは古代から現代まで、数としては多くないけれどずっと言われてきたことです)
「フェアリー」。

ラテン語で「運命、宿命、死」を表すファトゥムをその語源とするというこの対象は、

人間の欲求、衝動、偶然性、畏怖、信仰、政治的利用などなど

さまざまなものに結びつくことでその存在感を永らえ続けてきたもの。

私にとって、

これを追究すること人間を知ることなのです。

・・・と、フェアリーについてしゃべり始めると、

まだまだ不勉強とはいえ鼻息が荒くなりがちなので、
それは今後の研究で発散するに止めることとしまして、
(フェアリーについて詳しくお知りになりたい方は日本における妖精学の第一人者、井村君江先生の著書の数々におあたりください)

この度いただいたこの貴重な機会は、
もっともっと需要のないことに、
自分本位に我儘に使わせていただこうと思います。

どうも日頃、ふわりとした対象を論理の網で捕まえようとする徒労とも言える作業(どうしてもやめられないのでそれをしているわけですが)をしていると、

その論理の枠組みでは掬いとれないもっと些細で
取るに足らなくて
掃いて捨てたほうがよいような感情や感覚がゆっくりと、
でも確実に、
心の隅の方にちりちりと溜まっていくように思われます。

そしてそれは
まるで花粉症が発症するときのように、
あるときコップ一杯になったその塵が溢れだすと
どうにかしてそれを体外へ排泄(表現)しなければ
立ち行かなくなることがあるのです。

その排泄行為は今の私にとって、
水彩絵の具で絵を描くことだったり、
詩を詠むことだったり、
絵本を描くことなどなど。

まだ、
難しい言葉も文字も知らなかった
幼稚園児以前の感覚のままできる方法が
そんなときには不思議ととてもしっくりくるのです。

なのでこの連載では、
フェアリーについて熱く語るわけでも、
現代社会や私自身について考察的に物語るでもなく
(どちらもとても迷いましたが)、

そんな突発的排泄物を個展のように、
特に大きな意味も意図もないままに、
みなさんのお目汚しになるリスクにはこの際目を瞑って(笑)、
開示させていただこうと思います。

ここで自分の名前を漢字ではなくひらがな表記にしたわけは、
研究者「井沼香保里」としてではなく、
それを間接的に、けれど確実に下支えしているであろう
あらゆる社会化以前の「いぬまかおり」として寄稿するためだから、
というわけです。

さて、今回掲載させていただく作品の第一弾は、
初めて作った絵本です。
今年の3月、まだ寒さが厳しかった頃、
いろんなことが上手くいかなくて必要以上に絶望的な心境になっていたときに、

ストーリーができました。
心臓をジクジクと刺すような感情も、
言葉に接続されるとすっと落ち着くのは不思議なことです。

ちなみに絵本自体はジクジクした内容ではないはずなので(笑)、
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。

 

 

本編は、画像をクリックすると始ります。

または、末尾に添付していますPDFをダウンロードしてお読み下さい。

群れの子サリー
群れの子サリー.pdf
PDFファイル 6.3 MB

 

 

 

いぬま かおり/Inuma Kaori

1989年、神奈川県川崎市生まれ。フェアリー(妖精)研究者。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。フェアリーが「存在するor存在しない」という二元論でしか語られないことに違和感を持ち、修士論文では、科学人類学のアクター・ネットワーク論を用いてフェアリーを存在論的に考察した。現在は派遣の事務職で生計を立てながら、個人的に同研究を続行&博士課程進学に向けて準備中。ヴァイタリティ溢れる虚弱体質。