歴史のなかの神道(1)

                                    島薗進

 

 

「神道」とは何かを説明する困難

 

多くの日本人にとって「神道」が何かは大切な問いだ。自分たちがその中で育まれてきた日本の文化と「神道」は深く関わっているはずだから当然だ。ところが、神道とは何かがよく分からない。たいへん困った事態だ。

日本の宗教史を叙述する際の大きな難関の一つは神道の歴史をどのように描くかということだ。そもそもいつから神道が存在するかということについても、きわめて多様な意見がある。これについては後に詳しく述べたいが、縄文時代という人もいれば、弥生時代という人もいる、古代王権が固まってきた時代という人も、中世だという人もあり、もっと後だという人もいる。仮に過去がぼやけているのはやむをえないと考えるとして、それでは現代に近い時代についてはどうか。実はここでも混乱が続いている。近代日本社会において、神道とは何を指すのかがよくわかっていないのだ。

混乱がどこにあるかは、神道の語の前に熟語を付して用いる用語について見るといくらか見えやすくなる。たとえば、「垂加神道」や「復古神道」といえば、何を指すのかある程度の共通理解が得られる。ははあ、江戸時代の山崎闇斎だな、平田篤胤だなと重要人物の名前が浮かぶ。さらに、特定の思想や実践を分け持つ人々の集合体がすぐに思い浮かんでくる。

明治時代にできた「教派神道」も一三派とか一四派といわれるように、数で数えられるような実体を伴っているので、混乱は少ない。問題はそうした、ある程度の輪郭をもった組織体や集団や特定人物と結びつく神道以外の神道をどう考えるかだ。「神社神道」とか「国家神道」とかよばれるのは、まさにそうした輪郭不鮮明な側面の神道に関わっている。

 

 

◯◯教の一つとしての神道

 

ここで少し話を広げよう。特定の形態をもった宗教として、○○教とよばれているもののなかには、ある程度鮮明な輪郭をもったものとそうでないものがある。キリスト教、イスラーム、仏教といえば、開祖がいて発祥の時点を定めることができる創唱宗教なので、それを信仰している人とそうでない人を区別することができると考えられている。

実はこれも境界的な事例はいくらでも出てくる。「彼らは異端であってキリスト教徒ではない」、「ある種の集団が好む実践は本来の仏教ではない」といった議論は少なくない。個々の例について、人の意見が分かれることは多々ある。

だが、それでもおおよその線引きは可能である。創唱宗教は自覚的な信徒が多数あり、彼らは元来、自らを輪郭づけて自己定義する性格をもっている。また、同じ教祖を敬い共通の自己定義(アイデンティティ)を分かち合うことが、信仰生活の大きな要素となっている。他者から見てもその自己定義を認めつつ名指すことが自然にできるのだ。

他方、ヒンドゥー教、道教、神道となると事情が異なっている。自覚的な信徒も多数いるが、そうでない人も多い。むしろそうでない人の方が、数が多いかもしれない。したがって自己定義は限定的にしか機能しない。また、自覚的な人もさまざまな方向を向いているので、ともに分かち合うものを規定しにくい。自己定義もさまざまなので、外から見ても共有されているものが何か見定めにくい。当事者のなかには、○○教(「ヒンドゥー教」「道教」「神道」)とよばれることに違和感を感じる人もいる。いきおい○○教という語の意味するところが曖昧になりやすい。この場合、集団よりも観念や実践をもって○○教の範囲を定めていくしかない。

明確な定義や輪郭づけが困難な用語は、学術用語として用いるべきでないと考える人もいる。しかし、日常用語として用いられ、多くの人々の相互理解に欠かせない語の場合はどうだろうか。そうした語は明確な定義の困難を踏まえた上で、できるだけ明確な意味をもった用語として用いていかなくてはならないだろう。

昨今は「宗教」などもそのような種類の語だと考えられるようになってきた。たとえば、儒教は宗教かどうか、なかなか明確な答えが出てこない。人々によって「宗教」という語の使い方が異なっていて、たいへん大事な事柄に決着がつけられないというようなことも生じてしまう。

だが、「宗教」とか「○○教」という語を使わないと、さまざまな事柄を話し合う際に困難が生じることも確かである。それらの語は、グローバルな次元での異文化間のコミュニケーションにおいて、すでにきわめて頻繁に、また念入りな学問的概念装置を伴って用いられて来たものである。異なる国々や地域文化の間での密度の高い交流や相互理解を行う際、やはり文化的アイデンティティに関わるそうした用語を避けることはできない。学術的言明や討議においても、何とか「宗教」や「○○教」といった語を避けることなく、その意味を明確にしながら使っていかざるをえないのだ。

 

 

「神道」「神社神道」「国家神道」はやはり必要な用語

 

「神道」もまさしくそのような種類の語に属する。とりわけ、「神社神道」とか「国家神道」とよばれるような側面において、その傾向が強い。語の使い方が異なるため、歴史の捉え方も大いに異なってくる。おいおい説明するつもりだが、現在、「国家神道」という語について起こっているのは、まさにこの語の使い方の混乱である(島薗進「国家神道と近代日本の宗教構造」『宗教研究』329号、2001年)。

もう、この語はごく限定された意味以外では使わない方がよいという論者もいる。しかし、筆者は国家神道の語を用いることが神道史の理解のために欠かせないと考えている。日常用語である「神道」を学術用語として通用するものにしていくとき、「国家神道」、あるいはそれに類似した語を用いずにすますことはできない。そして近代の歴史的事実経過にかなった、無理のない使用法で「国家神道」や「神道」の語を用いていくことは十分に可能である。

そう考える理由について述べていきたいが、まずは、「神道」や「国家神道」の語を用いるときに陥りやすい誤解の元のいくつかを取り上げることにする。神道や国家神道について、適切な宗教史の叙述をしたいのだが、そのためにはどのような罠を避けなければならないかについて説明したい。

これは私が近代神道史について考えていく過程で先人の仕事に学びながら抱いた疑問や、他の研究者との間の相互討議を通して考えて来たことに基づいている。もちろん、その先には日本宗教史をどのように叙述するかという問いがある。それはさらにそもそも宗教史をどのように叙述するのか、すべきなのかという問いにも関わるが、そこまで話を広げるのはたいへんだ。ただ、頭の片隅にはそうした問いも置いておきたい。

 

(付記)この稿は連載稿になるが、第1回の今回は、島薗進「宗教史叙述の罠--神道史・国家神道史を例として」、市川裕・松村一男・渡辺和子編『宗教史とは何か 上巻』(リトン、2008年)をもとにしている。

 

 

 

島薗 進しまぞの すすむ

1948年、東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。宗教学者。NPO法人東京自由大学学長(2016-)。東京大学名誉教授・上智大学大学院実践宗教学研究科科長・グリーフケア研究所所長。主な著書に、『現代救済宗教論』(青弓社)、『スピリチュアリティの興隆』、『国家神道と日本人』、『日本仏教の社会倫理』(岩波書店)、『日本人の死生観を読む』(朝日新聞出版)、『つくられた放射線「安全」論』(河出書房新社)『精神世界のゆくえ』(東京堂出版、秋山書店)、『いのちを“つくって”もいいですか』(NHK出版)ほか多数。