神楽と縄文6

三上敏視

 

 

前回は古い神、ミシャグチ神から神楽と縄文の関係でいろいろ思いついたことを書いてみた。

今回は、これが最終回になるかもしれないが、もっと妄想に近い思いつきを書いてみたい。しかし案外何%かは当たっているかもしれないからだ。

 

縄文の祭りはいったいどんなことをしていたのか。記録はないが祭祀跡と考えられる場所はあり、シャーマンとみられる土偶も出ているし、何らかの祭りをしていたことは間違いないだろう。

 

話は神楽と盆踊りに一気に飛ぶ。

神楽は祭りだ、そして盆踊りも仏教行事と思われているが盆行事は「夏の魂祭り」でもある。今は仏式で葬儀をすると戒名が付けられ成仏したことになるわけだから、もう個々の霊はなくなるはずだが盆行事は毎年祖霊、精霊を招き、供養して送る。無縁仏の供養もする。古い信仰行事がずっと残っているわけだ。

そして神楽と盆踊りに共通している要素が「性の解放」である。

ウィキペディアでは”「日本では性は神聖なものとされ、神社の祭礼を始めとし、念仏講、御詠歌講など世俗的宗教行事の中心に非日常的な聖なる性があるべきと考えられるようになり、盆踊りは性の開放エネルギーを原動力に性的色彩を帯びるようになる」という説明がされている。

 

この「世俗的宗教行事」はもともとあった土着の祭に仏教や神道などが重なり、「上書き」で消されずに古い要素が残った姿とすれば「性の解放」が古い祭りの姿、信仰の姿だったと考えられないだろうか。

チベット密教では最高のタンカには男女の交わりが描かれ重要なものとしているが、日本の仏教では真言立川流という異端の存在、男女の交合で即身成仏に至るという説を持つ流派があるものの、ある時期から仏教では建前では性は忌避している。(そのぶん、稚児を寵愛する男色の文化は存在したが)

そして古代の信仰につながる神道はもともとはおおらかで女性はむしろ敬われていたが、仏教の影響や律令制度で家父長制度となり女性の地位が低くなり、祭りなどで「女性の穢れを忌避する」ようになったとされる。

 

そしてまた縄文の信仰に戻って思いを馳せ、想像する。

縄文の信仰では「石棒」が代表的な存在になっている。男根を表したこの石棒に対する女陰を表す石はあるものの石棒と比べると数は少ないようが、その代わり土偶には女性、しかもお腹の大きい土偶が多く見られる。

これは「妊娠・出産」に関する神秘からうまれる信仰や、死産や妊婦の死に対する慰霊の信仰などが大きかったからだろう。男女の結合が描かれた石はあるし、その儀式があったという説もあるくらいで、これは今も民俗儀礼として残っているところもある。

 

そこで僕は石棒信仰に対する「女陰信仰」というものを考えてみたいのだ。今でも一般的に「観音様」と呼ぶのにはおおらかな信仰心の要素があると思うが。

宮崎の神楽には男根が多く登場する。これは縄文以来の石棒信仰につながると考えていいだろう。「子孫繁栄」「五穀豊穣」の意味として解説されていることが多いが、宮崎の神楽に縄文以来の古い信仰が残っているとすれば「女陰信仰」もあるのではないかと考えるようになり、そして思いついたのが「岩戸開き」である。

宮崎のみならず九州の神楽は「岩戸開き」をクライマックスにおく神楽がとても多い。宮崎が岩戸開きのご当地だからで、それは記紀神話が起源と考えられているが、神楽の成立の時期を考えるとそれは古事記よりも日本書紀になるだろう。

そして、岩戸の前でのアメノウズメので舞い踊りが「神楽の起源」みたいな言い方もされているが、それは江戸時代の国学の勃興あたりから記紀神話がナショナリズムに利用されるようになったからで正しくはないだろうと僕は思う。

古くからの土着の祭に岩戸のような場所での神がかりの要素があり、それが記紀を編纂する際に神話としてストーリーが作られたのが自然な流れではないだろうか。そしてその岩戸のような場所というのが女陰を表していたのではないだろうかと想像するのだ。おそらくそれは今でも胎内くぐりが行われるような隙間のある岩だったのではないだろうか。

 

何故かと言うと宮崎の神楽での岩戸開きでは記紀神話のストーリーとは違う内容のものが多いのだ。

そのひとつは岩戸から現れるアマテラスが子どもや幼児が多いということである。冬の神楽、霜月祭は冬至祭をペースにしていて、太陽が衰え再び生き返るところに魂や生命力の再生を重ねる信仰でもあると考えるとアマテラスも生まれ変わって子どもの姿で現れるという説があり、ぼくもこれを支持していたのだが、女陰信仰を考えると、これは出産の神秘や無事に子どもが産まれる歓びを予祝する意味がある土着の神話、祭祀文化がベースにあるのではと考えるようになったのである。

日之影の大人神楽、諸塚の戸下神楽、南川神楽、東米良の尾八重神楽、銀鏡神楽など、アマテラスの役は幼児から青年までの「大人ではない」年齢のものが担っている。山口の三作神楽でも子どものアマテラスが見られる。

 

そしてもう一つの興味深い点は太陽神のアマテラスが出てくるはずなのに日月が出て来るのだ。

高千穂神楽ではタヂカラオが実際に岩戸を放り投げるのがクライマックスで人気だが、中から出てくるのは日月である。南川神楽のアマテラスも背中に日月を差している。尾八重神楽でもアマテラスがタヂカラオに日月を渡す。

アマテラスとともにツクヨミが現れたという解説もあるがこれは根拠の薄いこじつけではないだろうか。

ぼくのこじつけではこれは日月=陰陽が合体して妊娠し、無事に出産、女陰から子どもが現れたということになる。

これまでの神話寄りの岩戸信仰を大事にしている人にとっては「トンデモ説」になるだろうが、こう考えると腑に落ちるのである。

 

そしてそれを象徴する歌がある。

第六号で書いた諸塚神楽の報告の中にあるぜき歌(せり歌)のひとつのこのような歌だ。

「開けて見たいのに なぜ奥見せぬ 天の岩戸と ひげぼんぼ」

 

今回で「神楽と縄文」を終わろうと思っていたけれど、せり歌のことなどまたあらためて書きたくなったので、「神楽と縄文」はまだ続きます。

 

そして最後に告知。

いろいろな事情があって前作から8年経ってしまったけど、新しい神楽のガイドブック、データブックである『新・神楽と出会う本』が10月23日に出ることになりました。

音楽面を中心に書いていて、今度もアルテスパブリッシングより。

本に書いた解説が動画で確かめられるようにQRコードを180以上載せました。スマホがあればすぐに見ることができるというものです。これは時間がかかったおかげで浮かんだアイデアです。

アルテスからも送料無料で購入することが出来ます。

ぜひお手元に一冊。よろしくお願いします。

 

高千穂秋元神楽
高千穂秋元神楽
諸塚南川神楽
諸塚南川神楽
三作神楽
三作神楽

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日 本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別 冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシン グ)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオ ジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉 納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われて いる。多摩美術大学美術学部非常勤講師。