熊に遭う   

小笠原 高志

 

 

 

この夏、熊に遭遇した。生涯三度目のことである。

 

最初に熊に遭ったのは、北海道の阿寒である。

1976年、高校の山岳部のインターハイ予選は、雄阿寒岳と雌阿寒岳の登頂だった。釧路根室地方の山岳部は、釧路湖陵、釧路工業、標茶農業の三校のみ。なかでも標茶農業は、前年に全国優勝している強豪校である。

山岳部のインターハイは、行動観察、行動計画、テントの設営、天気図作成、登山知識テスト、テーマ理解の6項目の採点法で順位が決定される。この年のテーマは、「装備の軽量化」であった。しかし、我々の山岳部は、インターハイ予選ということで、学校から遠征費が支給されるのをよいことに、食事を牛のすき焼き(卵付き)にしたり、調理用の名目で一升瓶をリュックに入れていたので、装備はライバル校よりも3キロ以上「重量化」されていて、それだけでも大きなハンデを背負わされていた。

大会2日目の朝は快晴だった。テント設営地の阿寒湖畔から、山頂に向かうなだらかな森の中の山道を歩いているとき、風もない新緑の大樹が、大きく左右に揺れた。

「全員止まれ。熊から目を離すな。」

大会指導員の号令で、大樹の根元に目を遣ると、ヒグマが幹を両手で抱えてゆすっている。微風だにない空に、新緑の木の葉が揺れている。こちらは、高校生20人と顧問・指導員を合わせた30人。むこうはヒグマ一頭。樹をゆすって威嚇するヒグマと、それを睨む30人の目。しばらく(たぶん10秒くらい)大樹の揺れは続いたが、揺れが止まり、クマは、森の中に姿を消した。

 

二度目はそれから30年後。知床のウトロ近く。

朝5時前、釣りに出かけるため、ホテル「地の涯」(知床は、アイヌ語で、ちのはて、という意味)から車で5分ほど走った川沿いの道に、先行の車が一台停車している。その車の5m前方で、ヒグマが丸太に乗っかって遊んでいる。私と友人は、すぐに車を走らせて、逃げた。その後、ニュースにならなかったから、先行の車の人は無事だったのだろう。車の中に居ても、熊が相手では、無事ではないことを知っていたからである。

函館の叔父の釣仲間が熊に遭い、車の中に逃げた。熊は、フロントガラスを認識しないから、片手で顔面に張り手をし、ガラスは粉々に割れ、釣り人の首は飛び、運転席に残された。首の無い遺体は、川原へと引き出され、その上にはきれいに熊笹が敷き詰められていたという。熊は、熊笹の防腐作用を知っていたのである。

北海道の高校の山岳部では、熊に遭遇したら何をすればよいかが大きな研究テーマだった。俗説では死んだふりをしたらいいと言われていたが、阿寒の遭遇のように、熊を睨み、目を離さず、じりじり離れていくことが基本とされていた。ただし、熊に襲われた場合、絶体絶命の瀬戸際に立たされた時は、片腕を熊の口の中に入れて喉チンコをつかむということを、先輩からまことしやかに語り継がれていた。実際、片腕を犠牲にして命をとりとめた例が一度だけあるという。いまだに信じ難いのだが、北海道の高校の山岳部の都市伝説、いや森の神話である。

 

この夏、生涯三度目の遭遇である。

八ヶ岳の美濃戸登山口に向かう舗装されていない車道の脇に、姿のよい渓流がある。渓流に沿って小道ができているが、所々倒木が道をふさぐ獣道である。地面の石についた苔が美しい。八ヶ岳周辺の川は水量が少なく、整備の手が入り過ぎているので、堰堤が多い。したがって、ヤマメもイワナも釣れることは稀である。ここは、堰堤から遠く、姿のよい渓流だが諦め半分で流れに糸を垂らしたら、一発でヤマメが当たり、美しい型の天然のそれは強く針をのみ込んだ。仕掛けがダメになったので、私は、川から5m程離れた岩に腰掛け、0.6mmの糸を結ぶ細かい仕掛け作りに集中していた。たぶん、その時の私は、静かに岩と同化していたのであろう。

「バシャバシャ」という音に頭を上げると、一頭の黒い生き物を、もう一頭の黒い生き物が猛烈な速さで追いかけ去って行った。たぶん、一秒か二秒か三秒の出来事。

 

その日、知人にその話をした。

「今日、川で、猪二頭を見た。もの凄い速さで川を渡って行った。背中が黒くて、胸のところが白かった。2m以上はあったと思うよ。」

すると知人は、「それは、猪ではなくて熊だよ。熊が駆け上がるスピードはもの凄く速いよ。」

熊は、私が仕掛けを作っていた3m先の獣道を駆け抜けて、5m先の川を渡って行ったのだ。仕掛けの細かい作業に集中していたことで、私は気配を消し、熊に悟られなかったようだ。もし、熊の背中ではなく、熊の目を見ていたら、今頃、この原稿を書く右手を失っていたかもしれない。

小笠原 高志 / おがさわら たかし
1959年。釧路生まれ。早稲田大学文学部日本文学専修卒。学生時代に、赤塚不二夫製作映画の助監督を10本務める。舞踏家・大野一雄に師事し、その後、舞台を数本撮影する。琴古流尺八を三世川瀬順輔に師事し、その後、NHKラジオ国際放送で演奏を放送される。美大予備校・一般予備校で、現代文・小論文・映像を教える。また、映画製作にも携わる。主な作品に「天然コケッコー」(山下敦弘監督)・「南極料理人」「キツツキと雨」「滝を見に行く」(沖田修一監督)など。「清水哲男の増殖する俳句歳時記」に四年半執筆。映像歳時記「鳥居をくぐり抜けて風」(池田将監督)を企画・製作、脚本。