アースフリーグリーン革命あるいは生態智を求めて 21
新日本研究所の活動と「久高オデッセイ第三部 風章」上映と
「音霊と言霊―歌の力と癒し」シンポジウムの開催
(2017年10月15日)
鎌田東二
今、京都の二条駅から丹波の綾部に向かっている電車の中。10時30分の特急電車に乗るべきところ、うっかりと1時間早い9時30分二条駅発のはしだて3号の特急電車に間違って乗ってしまったのだ。
車中を見渡すと、誰も見知った人はいなく、1時間後のはしだて4号のわたしの指定席3Aには、今はアメリカ人らしき初老夫婦が乗って談笑している。彼らは福知山で乗り換えるようだ。
まことにお粗末なる顛末。間抜けのTONY KAMA~TAである。パリ・セーヌ生まれで、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損」の流刑の地で育ったTony Kamata Parisは、生まれつき、ずれまくっている。何しろ、生まれてくる時、ご丁寧に臍の緒を自分の首に3巻き巻いて死にかけて生まれてきたのだから。端から間抜けである。産道をくぐっていざこの世に出てこようとすると、臍の緒が自分の首を絞めつけるので、苦しくなって引っ込む。だがまた次の陣痛で出てこようとすると、また苦しくなるので、ちょこっと頭を出してはまた引っ込む。その繰り返しで、母体も危ない事態に。病院ならば帝王切開という選択肢もあっただろうが、そこはそれ、セーヌ川にはそのような施設はなく、セーヌの母の母体を苦しめながら、全身紫色になって、死に体で、泣き声一つ上げることもできずに、この世にひっそりと登場したのであった。さみしいこの世への参入劇であった。
そんなずれまくり人生の旅を辿ってきて、この「ズレ」にも神様のおぼしめしがあるのだろうと思うようになった。なぜなら、その時のダメージというか、ペインというか、痛みや苦しみや辛さが、わたしの生のコンパス(羅針盤)となり、結果、このような人生を歩ませていると思うからだ。
わが人生は「トラタヌ人生」である。「トラタヌ人生」とは、「捕らぬ狸の皮算用人生」ということ。つまり、自分から、こうしよう、こうしたいと計画したことで思い通り実現したことはない。自分で計画したことは悉く失敗している。ほぼ全敗。
だが、人生というものはおもしろいものである。そのような失敗・挫折の連続でも、そこはそれ、「捨てる神あれば、拾う神あり」。別の神さまが「拾って」くださって、今があるのだ。「捨てられ」ても、「拾われる」のだ、いつも。そして、その「拾われ」の中に、愛と涙と汗がある。有難さと使命と感謝がある。深遠なるメッセージがある。そのように、思うようになった。
わたしはよく活動的だと言われるが、そうではない。能動的に活動しようと思ったときは、悉く失敗しているので、自分から能動的に何かをすることはほぼなくなった。ほとんどすべてと言っていいほど、受け身である。「拾われ」を待っている人生。結果的に、そのような「拾われ人生」になっている。そしてそこから、学ぶことがいっぱい。ありすぎるほどにある。ありがたいことに。すばらしいことに。
20年前の今頃、喜納昌吉さんから埼玉県大宮に住むわたしのところに電話がかかってきた。「かまっさん、神戸が鎮まっていないように思うんだよ。阪神淡路大震災で神戸が壊滅的な打撃を受けて、苦しんでいる。その神戸の『神の戸』を開かなければいけないと思うんだよ。鎮魂の祭りをやらないか。」
そこから、「神戸からの祈り」の活動が始まった。1997年10月の末の事。わたしは同年、1997年9月10月にかけて、伊勢の猿田彦神社の「おひらきまつり」と巡行祭にかかりきりだった。それは古くて新しい祭りの再生と創造だったと思う。その時わたしは46歳。父親が死んだ年と同い年になっていた。
と、ここまで書いて、目的地の綾部に到着。今日は、大本の綾部の聖地を参拝して、その後、「音霊と言霊―歌の力と癒し」という合唱&シンポジウムを行なうのだ。主催者は、NPO法人東京自由大学学長で上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進さんが代表を務めている新日本研究所。副代表は元東京国立博物館副館長で、現在奈良の興福寺国宝館館長で日本大学芸術学部客員教授の金子啓明さん、委員に作曲家の新見徳英さんや弁護士の紀藤正樹さんや世界救世教鎌倉教会の元教会長の宗教家松田妙子さんなどがいる。東日本大震災後の2012年に芸術を柱とした新文化創造を志した任意団体として、「新日本研究所」が生まれ、2014年から綾部の地で、毎年1回シンポジウムが行なわれてきて、昨年は、大重潤一郎監督の遺作『久高オデッセイ第三部 風章』の上映会とパネルディスカッションが行なわれ、島薗進さんや新見徳英さんと共にわたしも参加した。島薗さんは同映画の制作実行委員会副委員長であり、新見さんは同映画の音楽を担当してくれたから。
そして、その時の記録が大変美しい小冊子となって、最近、関係機関に配布されている。もちろん、NPO法人東京自由大学や沖縄映像文化研究所にもかなりな部数が寄付されている。わたしも担当しているいくつかの授業などで、この素晴らしい小冊子を無料配布して活用している。
その新日本研究所の第4回目のシンポジウムの事務局の安食さんが綾部駅に迎えに来てくれていて、そのまま中丹文化会館ホール(1000席)に直行。そこで近況など確認しつついろいろと話をした後、再び綾部駅に向かい、正規の時間の11時30分過ぎに到着した島薗進さん、金子啓明さん、紀藤正樹さんたちと合流し、大本の長生殿を参拝。天津祝詞を参拝者全員150名ほどで奉唱した後、石笛・横笛・法螺貝を奉奏。
参拝を終えて、中丹文化会館に戻り、打ち合わせをしつつ昼食を摂る。
プログラムは、2部構成。
第一部は、「合唱 白いうた 青いうた フェスティバル in 綾部」の約2時間。
第二部は、シンポジウム「音霊と言霊」。
合唱は、地元綾部や福知山の合唱団5団体(ひよこ合唱団、女声アンサンブルGAMI、メリーゴーランド、コール・アマデウス、ルーチェ・フェリーチェ)と、新見徳英さんの指導で鎌倉で17年歌い続けている女声合唱団青い花。
入れ替わり立ち代わり、次々に3曲ずつ合唱していく6合唱団のそれぞれが発する個性とハーモニーと新見さんの歌のさまざま。まさに、歌曼荼羅、歌祭りの世界の全開であった。
その後、第二部のシンポジウムは、島薗進代表を司会に、新見徳英さんと、綾部の合唱指導者の中心メンバーの久木久代さんとわたしがパネリストとして参加。それぞれの経験と立場で、「音霊と言霊」について、縦横無尽に語り合い、大変盛り上がった。共に好評だったが、「歌の力と癒し」を実感した半日だった。
見に来てくれた京都府園部在住で島根大学教育学部准教授の臨床心理士の高見友理さんが、久しぶりに合唱を聴きて、「一体化というか、包まれる体験」をしたと感想を送ってくれた。「登壇された先生方もそれぞれキャラが立っていて素敵」だった、とも。
わたしは石笛と法螺貝を奉奏して、「音霊」を実感してもらったが、綾部で発生・展開した大本の出口なおと出口王仁三郎のことや「スサノヲの道」や「歌祭り」のことを話ししたが、その出口なおの体は女性だが魂は男性(女体男霊)、出口王仁三郎の体は男性だが魂は女性(男体女霊)のことが、ユング派の高見さんには響くものがあったようだ。とりわけ出口王仁三郎は女装して男性性と女性性を統合しようとした特異な神道家であるが、高見さんは音楽に「相補性や統合性を促す力がある」ということを再確認したとのことであった。
(ともに、高見友理さん撮影)
わたしは、学問的な探究を「言霊の研究」から始めた。大本への関心も、出口王仁三郎が「鬼三郎」と「鬼」を名乗っていたこと、2月3日の節分祭で大本は「福は内、鬼は内」と唱えること、そしてスサノヲの歌から続く歌祭りや言霊の思想と実践を展開したことにあった。1975年3月、わたしは出雲大社を参拝した後、初めて綾部の大本を訪ねて、みろく殿で龍敵を奉奏し、国つ神の神道を研究しかつ実践的に蘇らせていくことを出雲と大本の神々に誓ったのだった。
それから42年。大本本部のある綾部でこのような催しやシンポジウムを開催している。その不思議な「神縁」に神秘を感じる。「捨てる神あれば拾う神あり」。神は何事も無駄にはしない。あらゆる出来事には意味と縁と先がある。その縁続きはどこまでも絶妙である。年を取れば取るほど、その感を深くする。わたしは能動的には動かない。ひたすら待って待って、待ち続けていると、おのずと動きが起こる。そして、「魂能」の赴くままに、「トラタヌ人生」を歩む。
ただそれだけ。東京自由大学の発生も、猿田彦神社のおひらき祭りや神戸からの祈りの発生も、受動的な関わりであった。そのようなわが人生を、わたしは「犬も歩けば棒に当たる人生」とも呼んでいる。
今、2017年10月15日19時40分。綾部から京都に向かう特急電車の中。これから大阪に行って、明日の朝9時半から16時半までの講義の準備をしなくてはならない。これもまた「犬も歩けば棒に当たる人生」の一コマである。ありがとうございます! 神ながらたまちはへませ。
2017年10月15日 鎌田東二
鎌田 東二/かまた とうじ
1951
年徳島県阿南市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科神道学専攻博士課程単位取得退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科 学専攻単位取得退学。武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授を経て武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授、