Christmas is not just a Christmas                 

いぬまかおり

 

 

 

イギリスでの留学生活は、かねてからの夢だった。

もっと早く実現させることができなかったのは、運以上にきっと、思い込みのせいだ。
「これを学ぶ/研究する」という目的がはっきりしてからにするんだ、となぜか一度決めてしまったせいで、もがいて悩んで迷って転んで、気づいたら10年以上かかってしまった。

今滞在しているのは、イギリスのヨークシャー地方ハダースフィールドという小さな町だ。研究対象の、100年前にフェアリー写真が撮られたコティングリー村にも近く、この事件の関連史料が多数所蔵されているリーズ大学にもすぐに行ける距離にあるこの町は、研究環境としてベストな場所にある。

一方で特に見るべき名所といえるものもないし、建物もごくごく一般的な、古いスモーキーな石造り。けれど中心地の周囲を取り囲む険しい丘を登ると見える景色は開放的で、人が多すぎないけれどしっかりお店が充実した中心地は快適で、住みやすいこの町が私はすっかり気に入ってしまった。

ハダースフィールド大学には、本家イギリスですらマイナーなコティングリーフェアリー写真事件の研究をしている教授がいた。今回の留学は、彼の受け入れで少しの間客員研究員をさせてもらえるようにお願いして実現したものだった。

10年以上願いに願ってもったいぶった割には、普通の留学に比べると大分期間も短い。それに、客員研究員というポジションであるせいで、コースに入って沢山の授業をとるような正規の留学と比べると、圧倒的に一人の時間が多い。すでにテーマを持った博士課程の院生として研究しにきたのだから仕方がないのだが、それにしても「留学」という言葉でこの10年ほど思い描いていた景色とは少し違う。

けれど何よりも想定外だったのはクリスマスだ。

私は昔からこのイベントが大好きだった。赤と緑、きらきらしたイルミネーションに染まっていく街並み。なんとなくそわそわ浮き足立って、その日を楽しみにしている人たちの空気。美味しいチキンやサラダにケーキ。この時期になるとマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が絶対に一度は耳に入ってくるし、そうでなくても自分から好んで聴いてしまう。

ちょうど寒くて曇りがちで、雨も多いこの留学期間は「一番残念なシーズンだ」と、こっちにきてから何度か同情されたけれど、私は全く気にならなかった。行く前から、こんな気持ちでいっぱいだったからだ。

(あぁ、ついに、本場のクリスマスが味わえるんだ)

けれど滞在してしばらくすると、来るべき現実が見えてきた。クリスマス前後は一か月ほど、大学はお休み。わずかながらできた友達は皆実家に里帰り。学生寮は、通常八人定員で一つのハウスをシェアするのだが、なぜか今私がいるハウスには自分含めて三人しかいない。そのうち一人は里帰りして、奇跡的に残っている一人はイスラム教徒。クリスマスには興味がない。

そんな彼女は「私は普段クリスマスを祝わないけど、かおりはせっかく遠くから来ているし、トニー(里帰りしているハウスメイト)が帰って来る1月3日にクリスマスパーティーしましょ!」と提案してくれた。ありがたいが、でもそれはもはやクリスマスではない。単なる新年会だ。

そんなわけで、本場でまさかの一人ぼっちのクリスマスを過ごすことが決まったのだった。

だからといって、いつも通りに過ごしたのでは(期待値が高すぎた分)あまりにも悲しい。それでもこうなったからには仕方ないと諦めようとしていたけれど、数日前になるともはや振り切れて、教会の深夜のミサに一人で参加しようと思いついた。

昔テレビで、ドイツのクリスマス礼拝の様子を見たのだが、そこでは真夜中のチャペルに集まった人々が、ろうそくの灯りのなか讃美歌を歌っていた。カメラワークの効果も相まってなんとも神秘的な時空間が展開されていたあの時の映像が、ずっと記憶に残っていたのだ。

チャペルの場所をグーグルマップで確認して、ホームページでミサの時間をチェックする。12月24日の23時30分から行われるそうだ。

迎えた12月24日。
この日になると寮の他のハウスの学生たちもいよいよほとんど里帰りが完了していて、普段にない静けさが、この町外れの寮一帯を包んでいた。午前中、いつも通りゆっくり読書を始める。寮のキッチンで作った普段通りの昼ごはんを済ませる。あたりが静かだからだろうか、いつもよりも読書がはかどる。そうこうしている間に気づいたら夜だった。本当は食べたかった鶏の丸焼きも一人ではさすがに断念して、またキッチンで作った普段通りの夜ご飯を食べて一息つくと、正直もう外に出るのは面倒になっていた。

21時を過ぎて、時差で朝を迎えた日本にいる家族と電話をする。
「ミサ行こうと思ったけどやっぱやめようかな」
「行かないの?もったいない」
「だって寒いし、寮から町に出るまで真っ暗だし」
「危ないなら仕方ないね」
そうして何気ない会話を続けながらも、なんとなくひっかかる。
「やっぱりもったいないかな?」
「うん、もったいないと思うよ」
もうすこし会話を続けてみる。
・・・・・。
「行ってきます」
スカイプを切って急いで支度をすませ、23時に寮を出た。

こちらに来てからというもの、普段こんな時間に外を出ることなんてめったになかったけれど、それにしても人がいない。まだ23時なのに。町に出るまでの20分の間、ひたすら歩いてようやく一人くらいとはすれ違ったかどうかというくらいだった。鬱蒼とした林がざわめいて、その間を吹き抜ける風がこのあたり一帯の夜を支配する主の声のようだった。さすがに怖さを感じながら、ようやく町に近づいてくる。

ゴワ――ン
ゴワィ―――ン
ゴワウォウォ――――ン

まだ少し遠くにあるはずのチャペルの方からだろうか。冷たく広すぎる夜空のせいで、それぞれの音色のベクトルがちぐはぐになってしまった鐘の音らしきものが聞こえてくる。いや、聞こえるというよりは、その振動が身体全体に触れてくる。

更に歩き続けてようやく着いたチャペルには、思ったよりも人が少なかった。そうかと思えば数分の間に人がどんどん入ってきて、適当な具合に座席が埋まっていった。大体は家族連れや夫婦、カップルのなか一人で座っていると、開始の頃に同じく一人で来たらしいおばあさんが隣に座った。マシンガントークでひたすら喋りかけてくれたのだが、申し訳ないことに正直何を言っているのかさっぱり分からない。

しばらくして、私が最近ここに来たばかりだと知ると、彼女ははっとしたようにこう尋ねた。
「そしたら私が言ってたこと、分かった?」
まさか自分があんなに熱心に相槌を打っていたくせに何も理解していないだなんて今更言えないと思い、複雑な表情を浮かべていると、悟った彼女は次の会話からきついヨークシャー訛りを「手加減」してくれた。おかげでだいぶ聞き取りやすくなった。彼女は随分前に夫と離婚してから教会には通わなくなり、今日は10年ぶりに参加したのだという。

配られた式次第のような冊子と讃美歌集で、今どのあたりの展開に入っているのか、どの歌を歌っているのか二人でいちいち迷子になり、肩をすくめて笑いながらミサが進行していく。

昔テレビで見た、ドイツのゴシック調のチャペルでの荘厳で幻想的な映像と比べて、このチャペルはそれほど大きくない。祭壇には色々な小細工(と言ってはいけないのだろうけど)が多数置かれ、電気も煌々と点いていて、なんとなくアットホームな雰囲気だった。

ミサも中盤に差し掛かり、牧師さんの話が始まった。

“Christmas is not just a Christmas”

こう切り出した彼の言葉を受けて、(イエスが生まれたおめでたい日なんですよね、分かります。)などと思いながら聞いていると、だんだん彼の話がどうも自分の想定と違っていることに気付く。

たしかにこの日は特別な日だ。けれど、どう特別なのか。

少しキリスト教のことを知っていれば当然の話なのかもしれないが、クリスマス、つまりキリストの誕生日は、単なる「お誕生日」ではない。

それはキリストが生まれ、死んで、復活するという永遠のサイクルの、まさにはじまりの日なのだ。

あぁ、そうか。

深夜0時半、ミサが終わりチャペルを出たときの空気は、一時間前とは明らかに変わっていた。その変わり様は、例えるなら日本でのお正月の朝によく似ている。けれどこの二つの日がそれぞれもつ意味は、きっと全く違うものだ。

年末には忘年会があり、年が明ければ新年の抱負を掲げる人が多いように、お正月は過去を脱ぎ去って心機一転する日。

けれど「はじまり」のクリスマスは、すべての起源を感じる日。
今も未来も永遠に、繰り返される過去なのだ。

帰り道、心配だから、と途中までついてきてくれたおばあちゃんに感謝と別れを告げて、寮までの残りの道をまた一人で歩いていく。

 

さっき通った人気のない道と林が、今度はずいぶん前からの友人と会っているように、不思議と温かく感じられた。

 

 

 

いぬま かおり/Inuma Kaori

 

1989年、神奈川県川崎市生まれ。フェアリー(妖精)研究者。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。フェアリーが「存在するor存在しない」という二元論でしか語られないことに違和感を持ち、修士論文では、科学人類学のアクター・ネットワーク論を用いてフェアリーを存在論的に考察した。現在は派遣の事務職で生計を立てながら、個人的に同研究を続行&博士課程進学に向けて準備中。ヴァイタリティ溢れる虚弱体質。