年末年始の読書        

小笠原高志

 

 

 

東京自由大学は、自由が丘を拠点にしていますが、その自由が丘では、なかなか求める本が手に入りません。

それは自由が丘だけの問題ではなく、阿佐ヶ谷でも、吉祥寺でも、そして高田馬場ですら同様です。2017年の残念な出来事の一つに、阿佐ヶ谷の「書原」が店を閉めたことがありました。学生時代、「書原」からほど近い松の木三丁目に住んだのは、近くに谷川俊太郎さんやねじめ正一さん、白石公子、平出隆など、現代詩人たちが住んでいたからですが、「書原」まで散歩して、一時間近く本を立ち読みして一冊購入し、喫茶店で読む楽しみがありました。

 

浪人時代をお茶の水の予備校で過ごしました。博多には、浪人生が飲み歩く「親不孝通り」があったように、予備校では、気に入った先生の授業だけを受けて、あとは神保町の古本屋を一軒一軒探索するような浪人生活でした。高校時代は、北海道の山の中を歩いていた私ですが、東京に出てきてからは、本の背表紙を眺めて歩く生活です。おかげで、著作者の名前だけは覚えましたね。1980年代は、教養主義の読書が残っていた最後の時代で、岩波文化人たちも知的なリーダーシップをとっていた時代です。けれども今、古本屋に行くと、この頃の「知的教養シリーズ」が二束三文でボックス売りされています。

 

そんなわけで楽しい浪人生活を過ごした私は、予備校で講座をもつようになり、時にまじめに、時にふまじめに生徒をそそのかしてきました。たまたま自由が丘の予備校から講義の依頼があった帰りに本屋で本を三冊捜したのですが、いずれも無し。ひさびさに、新宿の紀伊国屋に行きました。新宿から「ジュンク堂」が撤退してからは、ますます老舗の風格が漂います。紀伊国屋書店では、階段を上がるときにポスターがたくさん目に入ります。落語会や演劇、次の大河ドラマの原作者は林真理子だったのか、など、ネット以前は、本屋が知的な情報空間であったことをちょっと懐かしみます。

 

 

高橋三千綱著「楽天家は運を呼ぶ」(岩波書店)

岩波なので、書店に注文してよね、と高橋氏から言われていましたが、さすが紀伊国屋では二階の文学コーナーに平積みされていました。このエッセイ集では、初めて中上健次と会った夜について鮮明に書かれています。新宿の飲み屋で遭遇し、新婚の妻が寝ている高橋氏のアパートで朝まで飲み語り、10分だけ寝てフォークリフトを動かす仕事に出かけた中上氏。二人とも芥川賞を取る前の話で、二人とも無頼です。

文化人類学者の西江雅之先生に関するエッセイは、私も記憶を呼び覚まされました。高橋さんとは府中の酒房で会う飲み仲間でした。その頃、私は、大学を退官された後の西江雅之先生の講演会を企画していて、講演会には高橋氏も聴講に来られました。講演の後、西江先生、高橋氏、私の三人で飲んでいたときのこと。西江先生が「僕は文章が書けないんですよ」とおっしゃったので「なぜですか」と言った私に間髪入れずに「バカもん」と怒鳴る高橋氏。その時、剣の達人に面を打たれたような清々しさがありました。天高い九月の空のような。

私は高橋氏にずいぶん優しくしていただきましたが、叱られてあんなに気持ちよかったことはありません。

西江先生は、徹底的に推敲する人で、自分の文章を読んで、ひと月以内に知った内容は削除していくというやり方を教えていただきました。コピペ文章とは正反対です。

 

稲葉俊郎著「いのちを呼びさますもの」(アノニマ・スタジオ)

すでに、この本は四冊購入しました。

私の分、二人の息子の分、そして、西荻の飲み屋で飲んでいるとき、本の話になり、そこの女将がたいそう本好きなのを知り、意気投合して手元の一冊を差し上げました。

稲葉先生は、東大病院の心臓外科医です。

南方熊楠の研究もされており、私が製作した映像歳時記「鳥居をくぐり抜けて風」を観に来てくださいました。

幼少時代に入院生活を強いられながらも命があることと命を支えてくれる人が周りにいたことへの感謝から始まって、東大で西洋医学を学ぶにつれて、その限界を実感し、日本古来の医療の原点を能とその稽古の中に探り始めます。

 

 序章  すぐれた芸術は医療である

 第一章 体と心の構造

 第二章 心のはたらき

 第三章 芸術と医療

 

この本の魅力は、上記の章立てと下記の巻末の言葉を記せば伝わると思います。

「河合隼雄、三木成夫、井筒俊彦の全ての著作から大きな影響を受けて、本書を記している。この本のインスピレーションのもととなっているものも多い。思索を深めたい方は、この方々の著作を穴が開くほど精読することを強くお薦めしたい。」

 

 

泉鏡花「高野聖・眉かくしの霊」(岩波文庫)

仕事で使うためにこの本を探していたら、

自選「谷川俊太郎詩集」(岩波文庫)が手招きしてきて購入。

どこかに出かけるときのポケットに入れよう。

 

 

仲野徹「病理学講義」(晶文社)

稲葉先生の本を探していたら、先に目に入ってきたこの黄色い本です。帯に書かれている「大阪大学医学部の人気講義の内容を書籍化!医学会騒然!本邦初の笑って読める病理学の教科書」を目にし、目次を読んで購入。四百ページ近いけれど背表紙が柔らかく本が軽いので、その手応えも大きく、1850円は安いと思います。二ヶ月で6版。

 

 

2018年は、もっと本屋に足を運び、本屋という空間が発信しているささやきに、耳を傾けられる年にしたいです。

 


小笠原 高志 / おがさわら たかし
1959年。釧路生まれ。早稲田大学文学部日本文学専修卒。学生時代に、赤塚不二夫製作映画の助監督を10本務める。舞踏家・大野一雄に師事し、その後、舞台を数本撮影する。琴古流尺八を三世川瀬順輔に師事し、その後、NHKラジオ国際放送で演奏を放送される。美大予備校・一般予備校で、現代文・小論文・映像を教える。また、映画製作にも携わる。主な作品に「天然コケッコー」(山下敦弘監督)・「南極料理人」「キツツキと雨」「滝を見に行く」(沖田修一監督)など。「清水哲男の増殖する俳句歳時記」に四年半執筆。映像歳時記「鳥居をくぐり抜けて風」(池田将監督)を企画・製作、脚本。