「20年ぶりのレポート」

海津 研

 

 

辿り着いたのは薄暗くてがらんと広い空間だった。見上げるように大きく、究竟な肉体に鎧を付け、武具を持った者たちが周囲を威嚇するようにポーズを決めている。その足元には、体格は赤子のようだが、鬼のような形相をした怪物が踏みつけにされているのであった。

「教王護国寺」通称「東寺」と呼ばれるこの京都の寺に行ったのは、大学の古美術研究旅行の初日で、僕は新幹線の時間を読み違えて集合時間に遅れ、先に見学コースを廻っている皆を追いかけて行ったのである。京都駅と町の雑踏を抜けてひとりでいきなり飛び込んだのが、先のような仏像の立ち並ぶ「講堂」と呼ばれる建物であった。
京都や奈良のお寺巡りと言えば、中学、高校の修学旅行でも定番であろうが、国立の美術大学に在籍して、国宝や重要文化財とされる美術品に触れるのは、すこしおもむきが異なるもののように思う。そこには国家の権力というものがあって、その中で美術に何が求められるかということを、より当事者的に意識せざるを得ないからだろうか。それで、あの時の自分は、厳格な「四天王」に踏みつけられる怪物にこころを寄せたのかもしれない。
大徳寺の真珠庵(しんじゅあん)という建物も印象に残っている。テレビアニメの「一休さん」でも知られる僧、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)の菩提をまつる建物であり、一般には非公開とされている。その枯れたようなたたずまいにひかれたのも、俗世により近い、一休の親しみやすいイメージからではないだろうか。

そのような建物の、ふすまや屏風、天井等に描かれる絵画も、重要な文化財である。そして、それらの絵画は美術大学を受験するために練習した、陰影でモノの立体感をあらわし、透視図法で奥行きを表現するような西洋式の絵画とは異なる表現法を持ったものでる。その独特さはおそらく西洋の美術に触れるまでは意識されなかったものだ。
自分が何ものであり、何が得意なのか、それは他者に出会うことで気付かされるものだ。絵を描くのが好きで、他の事より得意であるというのも、小学校や中学校という集団の中で、より自分らしくあるために作り上げて来た自意識だと思う。そして、美術大学という場所は、絵を描くのが好きなのが当たり前な集団の中で、もう一度自分らしさに出会う場所でもあるのだろう。

奈良の宿泊所の近くに女子短大があり、毎年芸大生と奈良女(ならじょ)の生徒が「合コン」をするというのが一種の恒例行事になっていたらしい。僕も友達に誘われて参加したものだが、それは「合コン」と名のつくものに参加した最初で最後の体験だった。それに、世間一般の合コンのイメージからはほど遠くて、大人しい男女が複数で公園で静かに話していたという、不思議なものだった。ここでそんなことを思いだしたのも、僕たちが絵が得意であるという「特別さ」から解き放たれ、くだらない思春期をやり直していたのも、この大学生の頃だと思うからだ。

あるお寺でみた白い菊の絵の、ぽってりと盛り上がった花びらが記憶に残っている。それは日本画の実習でも習った、胡粉(こふん)と膠(にかわ)を混ぜた絵の具で描かれたもの。「こふん」は貝殻を細かく砕いたもので、「にかわ」はもともとは獣の骨から作られていた。絵の具の色というのは、言葉のように自由に使える素材のようだけれど、実際は絵の具を作る人が居てそれを売る人が居る、という中で自分たちは「絵を描く人」としての指名を負っている、と言えるのかも知れない。でもそれは一体誰が決めるのだろう?
絵の得意な子供がクラスみんなの期待を背負って絵を描く、というようなことと、純粋に自分の描きたいものに出会うこと。そんなはざまを行き来しながら、自分というものを越えて、絵を描く、という行為が過去から未来へと伝えられてゆくのかもしれないなあ、と思う。

古美術研究旅行では、最後にレポートの提出が義務づけられていたのだが、当時の僕は、旅行中の印象に残ったことを五・七・五の川柳で一日一首にまとめるという、奇をてらったもので済ませてしまった。そこに書いたことで今覚えているのは、旅行初日に京都駅の駅ビルで唐突に見かけた、脚を拡げ、パンツ丸見えで座っていた若い女性のことだけである。
感じたことがあまりに大きすぎて、まっすぐに表現できないときに、それを照れでしか表現できないことがあるけれど、
>> あれから20年近く経って、ようやくあの時見たことと、それからも絵を描き続けて来たことを振り返り、少しずつ言葉をつづることができるようになったんだなあと思う。だからあの時にもっと貴重なものを見て勉強しておけば良かったと思っても、その時の自分にはきっと他にやるべきことがあったのだろう。
旅行の終わり頃に、奈良の室生寺に行った。数年後に台風で倒れた木によって壊されてしまう前の、古い五重塔を見た。六月の緑濃い山の空気。さらに、近くの大野寺(おおのじ)から川の対岸にある岩肌を掘りぬいた磨岸仏(まがんぶつ)を望む、その河原で皆で休憩をした。キラキラとした水の反射とだれかのおしゃべり。その時のみんなと仲が良かった訳ではないけれど、そこに居た人たちと共有していた何かが、ふとした瞬間に思いだされるたびに、僕はいま自分が絵を描いていることの意味をもういちど考える。

 <了>

大野寺磨岸仏 2011年撮影
大野寺磨岸仏 2011年撮影

 

 

海津 研 / かいづ けん

美術作家。千葉県在住。東京芸術大学デザイン科卒業。テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」アートバトルにて第7代グランドチャンピオン。沖縄のひめゆり平和祈念資料館製作の「アニメひめゆり」原画を担当。主な作品に、宮沢賢治の「よだかの星」を原作としたアニメーション「よだか」などがあります。最近は「よたか堂」の屋号で一箱古本市に時々参加しています。