花開いて 世界起こる

高橋慈正

 

 

 

忽ちに開花す 一花両花 三四五花無数花

正法眼蔵「梅花」

最も寒さの厳しい大寒の半月後に旧正月を迎え、空気も人もどことなく春めき、その半月後には雨水、今年も暦通りに雨が降りました。雨の日は冷えましたが、その雨が止むと暖かな陽射しが差し込み、一雨ごとに冬が遠のいていくように感じていました。いつの間にか、茶花に梅の枝がそえられるようになり、茶道も大炉、釣り釜、そして風炉と昔の人の教えに従って暮らしの景色が変わっていきました。

正法眼蔵「梅花」の巻の一節が春の姿として現成してきます。

「花開いて 世界起こる」

目に見える事象だけでなく、土の中も川の水も、風も私たちの身体の内側も春になっていくのを感じていました。梅(悉有)が春(仏性)を開く、たった一本の木が世界を春に転じてゆき、天地の道理を示して下さいました。

専門修行道場に入堂し、一年という月日が過ぎました。入堂する前は、一年間頑張ると決めたものの、途中何度も挫折をしましたが、多くの人にたくさんの言葉を頂きながらの日々でした。

 

自分がどれだけ役にたっているかということよりも

自分がどれだけ人に支えられているかに気づくことが大切だ

 

修行道場の山門の掲示板に掲げられていた、或る日の青山俊董老師のお言葉です。人の役に立ちたいという思いも含めて発心し、修行生活に入ったものの、自分の至らなさに気づかされる日々でした。何度もの挫折には「こうしたい」「こうあるべきだ」というような「我」によるものでした。自分が多くのご縁に支えられていることは頭に上がらず、「我」が先に立ってしまうのが常であります。「生かされている」ことを知ると、謙虚でない自分を恥ずかしく思うばかりでした。

先の3月に修行道場を卒業するか悩みましたが、他人の目を気にし、将来役に立つか立たないかと損得を考えてしまう凡夫である私を確認した上で、「損は悟り、得は迷い」という法系で曾祖父となる沢木興道老師の金言を頂き、今は無理に動かず、ここでの修行を続けることにしました。

奥村正博老師と出会い、「機が熟したら出家得度させて下さい」と申し出たのは2013年の秋でした。その後、大重監督との映画制作を終え、同時に監督の最期を看取り、飛騨高山にて民俗学の仕事や介護の勉強をしていましたが、あっという間に4年の月日が経過しました。その間は、得度に必要なお袈裟を縫いながら時期を待っていましたが、予想以上に長い月日を要してしまいました。しかし、その間の経験は今後活かすものとしてあるのだろうと思います。「時期が熟せば次の扉は自ずから開いてくるものです」と、沢木興道老師の法系にあたる方から頂いた言葉を心に留めています。余語翠巌老師のように「すべてお任せじゃ」といえるようになりたいものですが、「まだまだ足らぬ」という処でいまここを精進辨道する所存です。思い通りにいかないことの方が多い人生ですが、ご縁というのは頭で考えていることの外にあるようです。「好き嫌いが少しでも入れば頭は混乱する」という道元禅師の教えを肝に銘じ、自分の思考に囚われず、また「わかった」というところに坐りこまずに、学べば学ぶほどに足りない自分の姿を省りみて、謙虚な向上心を行じてゆきたいと希うばかりです。

 

東京自由大学にもなかなか顔を出せず、私がこのEFGの管理を続けていていいものか悩みもしますが、時期がきたらまたみなさんにお目に掛かりたく存じます。僧堂生活が終わるまで、また終わったあともどのような進路となるかわからず、定期的な更新をお約束出来ず、執筆者のみなさんにもご迷惑をおかけしますが、引き続き東京自由大学の講座にお出かけ下さいませ。

 

2019年5月11日更新

 

 

 

高橋 慈正/たかはし じしょう

曹洞宗僧侶。愛知専門尼僧堂にて修行中。2002年より元副理事長・大重潤一郎監督と知り合い、「久高オデッセイ第三部」まで、映画制作の助手を行い、東京自由大学においても「大重潤一郎監督連続上映会」の企画を行ってきた。また、このウェブマガジンの発案者である。ホームページ