『死者の書』のこと

志村 純

 

 

 

折口信夫『死者の書』、はじめてこの小説を手にとったのは、國學院大学の生協の書店である。旧版の中央公論文庫の古書で、そのころはすでに新装版の出ていたのであるが、國學院の生協は折口信夫関連の書籍は古本もふくめてひろくとりそろえていたのだった。
筆者は新刊よりも古書のほうに目が向いてしまう。見れば、表紙には古代エジプトの王家の谷セン・ネジェイムの墓の霊魂の復活にそなえて死者をミイラ化するアヌビス神の壁画が配されていた。そのときは、「民俗学者折口信夫」の著書になぜ古代エジプトの絵画が掲げられるのだろうと不思議に思ったものである。のちに池田弥三郎の註釈や安藤礼二氏の著作で、『死者の書』とはそもそも古代エジプトの「死者の書」からとって名づけられたと知った。
求めて読みはじめてはみたものの、もちろんまったくわからない。理解以前に、読み進めること自体に困難をおぼえた。それでもなにかしらひきつけられるものを感じ、少しずつ読んでいたが、はかどらず、じれったい思いをいだいていた。
しかし、ほどなくして、川本喜八郎監督の人形アニメーション映画『死者の書』が公開された。さして深い考えもなく観に行ったところが、思わずひきこまれ、上映のなされた神田神保町の岩波ホールになんども足を運ぶことになった。おなじころ、文芸評論家の安藤礼二氏が折口信夫についての画期的な論考を精力的に発表し始めており、こちらも興奮冷めやらぬまま読了したことを記憶している。
こうした先達のおかげで『死者の書』の言葉が少しはふにおちちるようになり、なんども読み返し続けた。思えば、このころから折口信夫にとりつかれるようになっていたのである。
それが昂じて、その後、ご縁あって東京自由大学におじゃまするようになったが、そこでの企画「霊性と曼陀羅ー安藤礼二が語る映画『死者の書』の世界」を担当の一人としてお手伝いすることにもなったのだった。


それにしても、なんという「小説」だろうか。

 

金色燦然たる浄土の光とぬばたまの闇がめくるめくように転変し、水が、風が、肌にまとわりつき、平城京が、二上山が眼前に彷彿し、萬葉人のいぶきを耳に感じる。死者たちの世界から届く声を、この小説はたしかにかきとめていると思うのである。そして読み返すたびに眼前にたち現れる謎。それは、洞窟の壁の古代文字のように、解読を拒む。スフィンクスのように、不思議な言葉で、問いかけてくる。人に愛読書を聞かれて『死者の書』と答えると、あまりかんばしい反応が帰ってこないことが多い。だが筆者は今日も、畏れおののきつつ『死者の書』を開く。少しでもその秘密に近づけたらと、願うのである。

 

第四号につづく

 

 

 

志村 純/しむら じゅん

東京生まれ。國學院大学大学院修士課程終了(宗教学専攻)。現在は東京郊外の都市農家を営む。東京自由大学ユースメンバー。宗教学をはじめ人文学全般に関心をもつ。