考えない創造力

田 園

 

 

 

14歳のある日、友たちが一冊の漫画を貸してくれた。それが、武井宏之の『シャーマンキング』だった。主人公の少年は、シャーマンだ。いつも一人で、墓場の星を見上げている。「なんとかなる」って言いながら、ぶらぶら歩いて生きている。私は、彼と似ていると思った。そして、もっと彼のようになりたい、と思った。

『シャーマンキング』は、こんな漫画だ。

世の中、みんな同じ世界に生きている。なのに見ている世界はまったく違う。だからお互いを完全に理解することはできなくて、誰もが孤独感を抱えている。やがて死を迎え、この世に対する執念がなくなると、あらゆる生き物の魂は、同じところに還ってゆく。それが「グレートスピリッツ(G.S)」、全知全能の霊、この世のあらゆる霊が生まれる源。そして題名の「シャーマンキング」とは、G.Sと合一できるシャーマンのことを指す。主人公たちはこの全知全能のG.Sと合一できるシャーマンキングを目指して戦っているのだ。

欠点もあるけれど、私は今でも『シャーマンキング』は、少年ジャンプ史上最高傑作だと思っている。この作品は思春期の私に、生と死、自然と人間、男と女、肉体と精神、世俗と神聖、など色々なことを真剣(?)に考えさせてくれた。『シャーマンキング』は私にとって、人生で最初に読んだ「経典」なのだ。

作者の武井宏之さんは、青森県の東津軽郡蓬田村の出身だ。そのためか『シャーマンキング』のヒロインは、「恐山アンナ」というイタコだ。視力は正常なのに、恐山に捨てられてイタコのおばあさんに拾われ、育てられるという設定だった(恐山アンナは、武井の初期作品にも登場している。また、むつ警察署HPのマスコットにもなっている)。作品の中にも、恐山を舞台としている場面があって、石積みの賽の河原で、風車がカラカラと回っている。「どんな絶望的な状況になっても、長くは続かない。運不運は恐山の風車のように、必ず回ってやってくる」というようなセリフが印象に残っている。

 

 

 

 

私が日本語で読んだ最初の小説は太宰治『人間失格』で、最初に観たお芝居は寺山修司『疫病流行期』だった。太宰も寺山も青森出身だ。孤独で、繊細で、エロティックな少年的感性に溢れた作品世界。『奇跡のリンゴ』の木村秋則さんも、青森人だ。最初は自然農に興味があって木村さんのことを知ったが、著書を読んで、その世界観の深さに驚いた。リンゴはただのリンゴでなく、宇宙の一部であるとか。宇宙人とか、あの世の使者とかも。想像以上にすごい内容だったが、とても納得できるリアルな話だった。

だから、青森にずっと憧れていた。神秘的なアニミズムの世界が、人間の生活空間と溶け合っているイメージ。厳しい自然環境のはずなのに、創造力(生命力?)豊かな人々。

 

 

 

念願かなって、私は先月青森を訪れた。台風が上空を通過して横殴りの雨の中、私は恐山の宇曽利湖に対峙していた。人間も動物もいない、静かな湖畔。その静けさのなかで、雨粒が傘にあたり、和太鼓のようにボンボンと跳ね続ける。強風に向って傘を射し込み、それでも服は濡れ、体は縮こまった。彼岸も此岸も、漠然としか想像していない私たちにとって、生まれ変わるということは、かなり美しいイメージだ。しかし、運命に翻弄される一人一人の人間が、生死の瞬間に直面する時、やはり大きな苦しみに耐えなければならないのだろうか、などと考えた。

帰りのバスまで3時間以上あったので、私は休憩所の中で、恐山を訪ねた人たちが書き残した「思い出ノート」を読むことにした。亡くなった家族を供養するために来た人はもちろん、『シャーマンキング』に魅了されて来た人もかなりいるようだ。寺山修司『田園に死す』、京極夏彦『百鬼夜行』のファンも、たくさん来ている。そして、東京からバイクに乗って、一人旅の終着点にここを選んだ青年や、温泉好きのおばちゃん、大学のオカルトサークルの面々、新婚旅行の一風変わった夫婦など、いろんな人が、それぞれの思いを抱えて恐山にやってきていた。

 

「あんた、一人旅?」

 

休憩所の管理人のおじいさんが話しかけてきた。川端さん、御年64歳。観光客が少ないので、朝から一人コーヒーを淹れながら、近くで拾った栗をずっと剥いていたという。

 

「なんでこんな寂しいところに来たの?もっと賑やかなところに行けばいいのに」

「いや、ずっと恐山に憧れていて…」

「で、来てみてがっかりした?」

「……」

「こういう立派な建物は、ほんとの恐山じゃないんだ。俺は500円も払って寺の中に入ったことは一度もない。儲かるでしょう。こういうのは最近できたの。昔は自由に出入りできた」

「ほら、ここに来る道は、何本もあるでしょ?毎年夏ごろ、下北半島中のじいちゃんやばあちゃんが、山を越えてここに来る。生活の苦しみから一時解放されるため、ここでご先祖さまに手を合わせるの」

 

厳しい生活に耐えるため、ご先祖さまの力が必要なんだ。苦しんでいる人ほど、信仰心が深いと川端さんは語る。本当の信仰は、寒さ、貧しさ、寂しさなどの苦しみを、源泉にしているのかもしれない。

憧れの観光地に行って、アイスを食べて、思い出ノートに自分のことを書き込むのも良い。しかし、それだけでは信仰に触れることはできないだろう。

 

「青森の方は、やっぱり生と死について、よく考えますか?」

「いやあ、よく考えてたな…。でも、もう考えない」

「……?」

「人生は最後に死ぬ。みんな死ぬ。だから、もう考えない」

 

考えれば考えるほど、真実から離れてしまうよ、と言われた気がした。川端さんは、少年のままおじいさんになったような人だった。シャーマンキングの少年も、リンゴ農家の木村さんも、みんな重なって見えてきた。

 

「お元気で!」

 

3時間後、バスに乗り込んだ。

 

「若者よ、また会おう!ほんとに会えるかな?とりあえずまた会いましょう。天国で!」

 

私も川端さんも仏教徒なのだが、「天国」で会えるのだろうか。

そんなことは、考えないことにした。

 

 

 

 

田 園/でん えん
北京出身。畑に囲まれた田舎の寄宿制中学校、北京師範大学第二付属高校、北京映画学院大学卒。そして来日。中央大学大学院で修士号を取り、博士課程に在籍中。研究分野は宗教社会学だが、その業績はほぼなし。漫画家デビュー歴あり。黒い歴史満載。猛禽保護センター、出稼ぎ労働者の子供のための学校などでボランティアをしていた。中国赤十字社で救命技能認定証をとったが、期限切れている。今は念仏+論語+民間療法+市民農園に情熱を燃やしている。