諸塚神楽報告

三上 敏視

 

 

 

宮崎・諸塚村の南川神楽と戸下神楽に行ってきました。131日宮崎入り、空港近くの知人から車を借りて日向市へ北上この日は I さん宅にお世話に。

 

そして2月1日にI氏宅を出て一路諸塚へ。毎年寄っている「しいたけの館21」併設の「どんこ亭」でランチバイキング。しいたけを使ったいろいろなメニュー、炊き込みご飯、白飯、コーヒー、ジュース、お茶など食べ飲み放題で800円。諸塚の楽しみのひとつであります。

 

それから南川神楽へ。今年は梅の木という集落が会場。神楽が出来るように集会場が作られていて、そこからつなげて「御神屋(みこうや)」という仮設の舞台が設営されている。

 

諸塚の神楽は最初に「舞い入れ」という行事があり、これは集落にある全ての神面を着け、弊差しという面を着けない役の人なども加わって40人くらいの行列で氏神の神社から御神屋へ集落を舞いながら歩いてくるのである。諸塚では神面は各家が持っていて、神楽の演目では使われないものもここではお披露目されるのである。

 

14時くらいからの「舞い入れ」は神楽33番とは別だが、これを見ないと諸塚神楽を見た気にはなれないのである。しかし、この日は珍しく20度を超えたようで昼間は暑いくらいだった。そして「舞い入れ」のあと、33番がスタート、夜を徹して朝まで続くのである。夜中の「三荒神」、夜明け前の「歳の神」「柴引」など、観客が大騒ぎして盛り上がる演目もあり、夜明けに合わせた「岩戸開き」も感動的で美しい。

 

ほとんどの舞はシンプルで、娯楽的な演出は少ないけれど味わい深い神楽である。今回は6月に「せり歌調査」で訪れた時に「ここのところ『ぜき唄』が出ていないのはやはり淋しいから婦人会に声かけてみましょう」と言うことになったので「ぜき唄」の確認も楽しみだった。「ぜき唄」は観客が唄うもので神楽の人が唄うものではないが、保存会でこの秋「南川神楽ぜき唄集」という冊子を作っていて、みんな思い出したらしく、最初は神楽の人たちが控室からマイクを使ってそれぞれが歌い、スピーカーで外の観客に聞こえるように歌ったので、それが呼び水となり、少しだけだったけどお母さんたちによる「ぜき唄」も聞くことが出来た。大収穫である。神楽の人たちも、隣の戸下神楽へ行けば観客なので歌う機会は昔からあったのである。

5年連続の南川神楽だけど、今年も近くのお宅におじゃまして地元の人達と酒飲んだりしたので、夜明け前はけっこう寝てしまったな。御神屋の見えるテントでも振る舞いがあった。

 

昼間は暑かったけど夜中には雨が降り、やはりけっこう冷え込んだ。御神屋の屋根が青いのは雨よけのブルーシートで、雨の心配がなければこれがなく、もっときれいなんだけど。

無事に神楽も終わり、この日は村の運営する古民家宿泊施設のひとつ「桜のつぼね」に泊まることになっていたが、鍵を持っている管理人の田邊くんも神楽のメンバーなので、打ち上げに参加するから3時ころまでは入れない、ということで時間を潰すことに。打ち上げに混ざることも出来たけど、そうすると飲んでしまって運転できないのでそれは諦めて、ちょっと日向の方に下った西郷にある温泉に行き、大広間で仮眠してから食堂で昼飯食べて、また諸塚に戻ったのでありました。

そして田邊くんから連絡があり(彼も観光協会スタッフです)、彼は裏の山道から「桜のつぼね」に帰ってくるというので、別のスタッフに案内してもらって山道を登ること10数分、現地で合流して宿に入り、再び寝たのでありました。

 

8日は同じ諸塚の戸下神楽。今年は10年ぶりの「大神楽(おおかぐら)」ということでいつもより8番多い演目が行われるということで、ずっと「桜のつぼね」に滞在してこの神楽を待つことに。一度東京へ帰るという手もあったけど、一度くらいはこういうこともしてもいいかなと。

 

そしてその戸下神楽は「山守」というたいへん珍しい演目がある。一子相伝で伝えられた役の人が補佐役とともに山に入り秘密の神事をしてから榊の木を一本刀で切り倒してこれを担いで山から走り降りてきて暴れるのである。

そして神主と問答をして和解をするという筋書き。これは他の荒神の演目と内容は似ているのだけれど、面を着けておらず葛の枝を体に巻き付けるという非常に古さを感じさせる「来訪神」である。

 

椎葉神楽の「宿借り」にもつながるだろうけど、このスタイルはここだけだ。神懸かった雰囲気もあり、この場面だけ撮影したビデオには激しいノイズ音が入ってしまった。

 

そして、今年度のぼくの個人プロジェクトである「せり唄調査と復活」はここで成果を感じることが出来た。

まず、南川から神楽の人たちはじめ沢山の人達が来ていたので、南川の人たちから「ぜき唄」が出始めた。6月に訪ねた時はよく思い出せなかった90過ぎのおばあちゃんも声は小さかったけど、いろいろ歌が出て、周りの人も大喜び、一世代下のお母さんも御神屋の近くへ行って歌ってくれました。一緒に歌ったのは言うまでもない。

 

そして圧巻は「三荒神」の時、南川の人たち中心に御神屋の左右に陣取り、「ぜき唄」の歌合戦になりました。これはかつて男女に分かれていた名残のようで、それはまた「歌垣」が元だと言われているものだ。

荒神と神主の問答そっちのけで唄い合い、ぜき歌のネタが尽きると地元の校歌や、童謡が飛び出してきて「鳩ポッポ」や「桃太郎」を歌って最後に「ヨイヨイサッサ、ヨイサッサ!」と竹を揺するのである。

 

久しぶりに出た「ぜき歌」にとした神楽の人も喜んで控えから扇を持って飛び出してきて煽っていた。「三荒神」の肝心な部分では「ぜき」はやめたけど、かなりの時間大騒ぎとなって、楽しかった。

 

これで、高千穂秋元、西米良村所、諸塚南川・戸下でせり歌を聞くことが出来て嬉しかったし達成感も。このプロジェクトは報告リポートくらいは書くかもしれないけど、大事なのは現場である。現場で歌が出て本当に良かった。来年からもっと盛り上がってくれるように願うばかりである。

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシング)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われている。多摩美術大学美術学部非常勤講師、同大芸術人類学研究所(鶴岡真弓所長)特別研究員。