東京自由大学会員 

リレーエッセイ 第五回

 

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東京自由大学第二校歌「星影のナムアミダブツ」         

井上きゆき

 

 

 

山折哲雄先生が東京自由大学の講座「20世紀の知の遺産」で美空ひばりを話されたのは、2005219日で、その日の神田オープンカフェ(当時は「神田人間市」だったかも)において、山折先生は,千昌夫の「星影のワルツ」を情感込めて歌われた。特に、サビの部分「冷たい心じゃないんだよ、冷たい心じゃないんだよ」がお好きだと言われたことを覚えている。

私は、1994年大学卒業コンパが故清水幾太郎先生の荻窪のお宅であった時、「星影のワルツ」を歌った。清水先生は「こころがこもっているねぇ」とほめてくださった。私にとっての「歌」は演歌(流行歌)で、島倉千代子、花村菊江からはじまって、都はるみ、石川さゆり、村上幸子、田川寿美、永井みゆき、原田悠里、キム・ヨンジャ、城之内早苗らをファンとして見守ってきた。

2004年、カミさんの実家の菩提寺(江戸川区の金蔵寺)主催のご詠歌団参旅行があり、お習字をならっていることにかこつけて参加した。夜の宴会で「星影のナムアミダブツ」を、初めて歌った。それを山折先生の前で歌った。先生は「それ、いただきます。」と言ってくれた。それ以降、いつとはなく「星影…」は東京自由大学第二校歌になった。(といっても、定款などで規定されてはいないが・・・)、因みに第一校歌はあるらしいが、聴いたことはない。

東京自由大学と「歌」というと「歌のちから」(あがた森魚さん)、「歌のことだま」(海野和三郎学長)そして「歌と宗教」(神道ソングライター鎌田東二理事長)がある。先日(215日)、梅ヶ丘のCrezyCatsで「Tony vs Kow対決ライブ」を観戦した。この文を書くためにもちゃんと聴いておかねばと思った。感想はKowさんはユーミン、Tonyさんは中島みゆきっていう感じだった。(本当のところはもっと本質的に違うのかとも思うが、9回も続いていることに凄さを感じた。)

Kowさんとは、2011423日に中野ゼロホールで開催された「シャーマニズムの未来」の準備で一緒に活躍していただいたり、三省祭りの「ポエトリーリーディング」などでお世話になっていて、東京自由大学を根底から支えておられるメンバーと思っている。

三省祭りの山尾三省さんといえば屋久島で、屋久島と言えば、屋久島夏合宿(2011年)北海道夏合宿(2010年)に同行いただいた「歌のちから」のあがた森魚さんがおられる。屋久島夏合宿からは「歌のことだま」が生まれた。海野先生と田村さん、長元さんの三人が夜、意気投合して構想された。三省祭り、北海道夏合宿といえば、故吉田美穂子さんで、「美穂子さんを偲ぶ会」(2011223日)の後、神田のカラオケで一条真也さんらと歌った「星影のナムアミダブツ」は自分ながら、「歌のいのち」を感じた一番の歌だった。

北海道夏合宿「宮澤賢治『オホーツク挽歌』『宗谷挽歌』を辿る最北への旅」ほ美穂子さんのいのちを懸けた合宿で、いまでも忘れられないことは、美穂子さんを残して、何人かで小樽のカラオケへ行って、帰ってきたら、美穂子さんがポツ念とすわっておられ、ひとり瞑想されていたことだ。

 

恩師後藤宏行先生の『「語り口」の文化史』(晃洋書房)の三章、二節 「演歌への流れ」で川上音二郎のオッペケ節から北島三郎、石川さゆりへの流れがふれられている。20131222日に、シアターX(かい)で土取利行さんの添田唖蝉坊の演歌を聴きました。古事記に関する、四方田犬彦さん、アニシモフさんらのシンポジウムででした。

 

「東京自由大学と歌」について書いてくると、際限なく次から次へとつながってゆきます。神田オープンカフェの寺山修司の回で歌った「戦争は知らないナムアミダブツ」と松倉福子さんの歌ってくれた「いのちの歌」を心にとめて、バトンタッチします。

 

 

 

井上 きゆき/いのうえ きゆき

1946712日、北鎌倉東慶寺に父井上禅定、母タケの二男として生まれる。北鎌倉幼稚園で童謡体験、御成小学校、同中学校を経て、湘南高校、ずーっと歌謡曲、演歌一筋。学習院大学一年の時、浅草国際劇場に「都はるみショー」を一人で観に行って感動。1969年神奈川県に就職、横浜県税事務所在職中に石川さゆりのレコードジャケット撮影(於円覚寺山門前)に兄(故井上正道)のはからいで立ち会う。

深夜放送(走れ歌謡曲、ラジオ深夜便・・・)のファンで、水井久美、小池可奈、宇田川清江の3人のキャスターをひいきにしている。20104月より東京自由大学事務局長。