アースフリーグリーン革命あるいは生態智を求めて その6 

鎌田東二


 
11、東京自由大学の「合宿」
 
今回は、東京自由大学の名物といえる「合宿」について語ってみたい。以下のように、1999年2月の開学以来、これまで毎年、春合宿と夏合宿を行なってきた。

過去の『合宿』(http://jiyudaigaku.la.coocan.jp/)

1999年度
7/31~8/4 夏合宿 東北の土・光・神楽を訪ねて―早池峰・白石蔵王(西山学
3/31~4/2 春合宿 秩父合宿

2000年度
8/5~8/10 夏合宿 サムシング グレート in 島根


2001年度
8/16~8/20 夏合宿 2001年原点への旅 出羽三山~岩木山・三内丸山
3/22~3/24 春合宿 伊豆大島への旅

2002年度
8/1~8/4 夏合宿 熊野・吉野古道への旅
3/29~3/30 春合宿 湘南国際村センター

2003年度
8/1~8/5 夏合宿 沖縄・久高島の霊性を辿る旅―沖縄本島・久高島
3/2 春合宿 東京自由大学事務所

2004年度
8/6~8/9 夏合宿 四国霊場とストーンサークルを巡る旅―高知・愛媛
3/19~3/21 春合宿 那須合宿

2005年度
8/26~8/30 夏合宿 韓国の思想と文化を訪ねて―釜山・慶州・大邱
3/24~3/26 春合宿 那須:北温泉、スタジオ雷庵

2006年度
8/24~8/27 夏合宿 縄文ワールドと戸隠修験
3/31~4/1 春合宿 那須:スタジオ雷庵

2007年度
8/2~8/5 夏合宿 北陸聖山歩行
3/22~3/23 春合宿 那須:スタジオ雷庵

2008年度
8/8~8/10 夏合宿 天狗の里・上州を巡る
3/27~3/29 春合宿 早春の京を歩く~吉田神社・比叡山巡行

2009年度
8/26~8/30 夏合宿 日本最奥の秘教の聖地・天河~高野山をめぐる
3/26~3/28 春合宿 那須:エコといやしを体感する旅

2010年度
7/30~8/4 夏合宿 宮沢賢治  「オホーツク挽歌」「宗谷挽歌」を辿る最へ
3/19~3/21 春合宿 京都の色と形 ~自然、信仰、芸術~

2011年度
8/27~8/31 夏合宿 原生林と水の島・屋久島と山尾三省の詩魂を尋ねて
3/23~3/25 春合宿 那須エコツーリズムによるエコツアー

2012年度
8/24~8/27 夏合宿 東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅
3/23~3/25 春合宿 京の色と形と芸能

この記録には載っていないが、第1回目の合宿は、春合宿で、1999年3月に2泊3日で秩父で行なったと記憶する。海野直宏君に新体道の「栄光」の指導も受け、グランドを真っ直ぐに走ったことをはっきりと覚えている。
 
春合宿では、自由大学の教室で、宿泊なしの1日話し合いの合宿をしたこともあった。が、夏合宿はいつも日本のみならず、韓国にまで出かけていく実に充実した内容で、どの小中学校や高校の修学旅行よりも盛りだくさんの有意義なものだったと自負している。

 
1999年8月の東北(早池峰山・花巻・岩手県・宮城県)夏合宿を皮切りに、島根(2000年)、東北(2001年、山形県・出羽三山・青森県)、熊野・吉野(2002年、和歌山県・奈良県)沖縄(2003年、沖縄本島・久高島・宮古島・大神島)、四国(2004年、高知県・愛媛県)、韓国(2005年、釜山・慶州・大邱)、山梨・長野(2006年、白州・諏訪・戸隠)、北陸・白山(2007年、石川県)、群馬(2008年、沼田・迦葉山)、天河・高野山(2009年、奈良県・和歌山県)、北海道(2010年、苫小牧・小樽・利尻島・宗谷岬)、屋久島(2011年、鹿児島県)、東北被災地(2012年、宮城県・岩手県)、飛騨・福井(2013年、高山・東尋坊・永平寺)と、国内外を経巡った。海外は韓国だけだけど。

 
思えば遠くへ来たもんだ。それぞれに、強い印象がある。思い出深いものがある。かけがえのない時間と場所がある。基本的に、夏合宿は「聖地巡礼」である。参加者各自の「聖地感覚」の探究である。

 
修験道的な山岳登拝は、早池峰山、出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)、岩木山、熊野三山、岩屋寺(愛媛県・四国霊場45番札所)、戸隠山、白山、天狗山、利尻山、位山であった。

 
早池峰山は宮沢賢治の霊と共に登ったような。そして、降りてきて、早池峰神社の祭りと神楽見学。神楽殿で夜中にギター片手に「神道ソング」を歌って怒られた! まだ「神道ソングライター」になりたてだったもんね。

 
この第1回東京自由大学夏合宿の時、姉・鳥山敏子の主催する「東京賢治の学校」と合同講座を行ない、鳥山さんとわたしが対談した。その時わたしは確か宮沢賢治の詩を神道ソングにした「銀河鉄道の夜」と「永訣の朝」を歌ったように記憶する。15年前、57歳の姉鳥山敏子も若かった! 48歳のわたしも若かった。

東京賢治の学校と東京自由大学が合同で何かをしたのは、後にも先にもこの1回だけだった。が、しかし、鳥山敏子の突然の逝去によって、また賢治の学校の精神と自由大学の精神がぶつかり合い、スパークし、次なる展開を遂げつつあるように思う。

その意味では、姉・鳥山敏子は霊界からさまざまな信号を送ってきている。宮沢賢治は妹とし子からの霊界通信を受け取ることに失敗した。だが、わたしは「もう一人のとし子」である「鳥山敏子」からの「霊界通信」をしっかりと受け止めたい。

 
遠 野での夏合宿の夜、森の中をギター片手に歌いながら流して歩いた。もちろん、しらふで。そこに娘の伊豆有加がいたな。また、遠野から花巻に戻るバスの中 で、神道ソング「東京自由大学第一校歌」である「永遠からの贈り物」を歌った。この「東京自由大学第一校歌」を人前で歌ったのはあの時だけだった。残念な がら、その後、この「第一校歌」は自然消滅してしまった。誰も歌ってくれないから。誰も歌おうとしないから。

そ こへ、四代目事務局長の井上喜行さんが強力な「第二校歌」を作ってくれた。それは、千昌男の「星影のワルツ」を全篇「南無阿弥陀仏」で押し通す「第二校 歌」である。この強烈なメッセージソングのために、第一校歌「永遠からの贈り物」は「永遠にお陀仏」になってしまった。そして、「革命」が起き、「政権交 代」させられ、廃位の帝王である「第一校歌」は、艮の金神のように畏れ多い「隠退神」(?)に成り上がってしまったのであった~!!! 無念じゃ~!

 
さらに、哀しいことは、第一校歌に復活の兆しがまったくないことである。「校歌」の建て替え・立て直しは起こらないのかな~??? 第二校歌の独裁政権だから、もう復活は無理かな~~~~(と、かなり弱気)

 
さて、出羽三山は、月山と湯殿山を6時間かけて縦走。みんなよくがんばったね。岩木山は、それに比べて楽勝だったけど、山頂の岩場は迫力があった。北面は「巌鬼山」と呼ばれているのがよくわかる。

 
戸 隠山も、修験の難関の「蟻の門渡り」を通るところで、みな震え上がったね。わたしは何度か経験していたが、初めての人が本当に恐かっただろうさ。白山山頂 では台風に遭遇。遭難の危険もあったが、そのせいか、号泣するほどの神々しくも美しい「お山」のお姿を拝した。大泣きしながら一人で山頂から降りて行っ た。

 
石の聖地の写真家(フォト霊師・巨石ハンター)の須田郡司さんに案内されて群馬県の迦葉龍華院弥勒寺から登った修 験の岩場もスリル満点だった。戸田日晨遠壽院住職・傳師の次男の戸田善成君とも一緒に山頂を極めた。海野直宏君も一緒だった。爽快だった。パラグライダー みたいに、いや、天狗みたいに羽根を生やして、岩場のてっぺんから飛んでいきたかった。この世の果てまで。見えない世界へ。

 
北海道へは、宮沢賢治の北海道行きを追跡する旅だった。宮沢賢治は生涯に3度北海道に渡った。1度目は、1913年(大正2年)、盛岡中学校の生徒だった時の修学旅行で、函館、小樽、札幌を訪れた。2度目は、1923年(大正12年)に一人で苫小牧から樺太まで行っているが、この時、「宗谷挽歌」など、妹とし子を悼む挽歌を何篇か作っている。そして3度目は、1924年5月に、花巻農学校の生徒26名を引率して、青森、函館、小樽、札幌、苫小牧、室蘭を回っている。

 
わたしたちが後追いしたかったのは、この中の2回目の一人旅だ。宗谷から船に乗って樺太まで行っているが、その船の中での顔つきは自殺でもしそうなものだったらしい。そんな深刻な状態で、とし子との霊界通信を試みたが、うまく行かなかった。そのあたりのことが「宗谷挽歌」や「オホーツク挽歌」から読み取れる。

 
この時の夏合宿を吉田美穂子さんが担当してくれたが、彼女はこの旅から帰ってきて体調を崩し、翌年の2011年1月に満60歳 という若さで急逝した。吉田さんはわたしと同学年だったので、その死去は俄かには信じられなかった。そこまで体の状態が悪化しているとは思っていなかっ た。またすぐに回復してよくなり、東京自由大学の活動に復帰してくれるとばかり思っていた。吉田さんとみんなとの最後の夏合宿となった。

 
思えば、1999年8月の早池峰山や花巻などの合宿の旅も吉田美穂子さんが担当してくれた。その第1回目の夏合宿が東京自由大学らしい夏合宿の基本モデルになった。その意味では、吉田さんの計画と配慮と功績は大きいものがある。改めて、故吉田美穂子さんに心より感謝申し上げたい。

 
東 京自由大学は、本当に一人一人のボランティア精神と献身的な支えによって成り立っている。誰が欠けても機能しない。それくらい、ギリギリでやって来た。お 金もない、スタッフも、経験も不足している、そんな、三無主義の中でよくここまでやって来られたと思うが、これはすべてみんなの力の結集のお蔭である。

 
もちろん、何人かの人に特にしわ寄せが行き、負担が大きくなったのは確かだ。特に、一等最初から関わってくれていた岡野恵美子さんと吉田美穂子さんと鳥飼美和子さんの5月生まれ3羽烏の力と功績は大きかった。一番、縁の下の力持ちの役目をしてくれた(そして、岡野さんと鳥飼さんは今もそれをしてくれている)と思う。この自由大学三人娘(?)に心から感謝したい。

 
と、 そんなこんなで、東京自由大学の夏合宿は大変充実している。去年は、飛騨高山や福井県を旅し、位山に登ったが、これまた得難い経験となった。その面白さと 充実ぶりは、合宿に行く前に作る「しおり」と帰って来てから作る合宿文集の両方をみていただけるとよくわかるだろう。これは東京自由大学の大切な大切な財 産・文化遺産になっている。「東京自由大学重要文化財」指定にしたいくらいだ。

 
さて、今年、2014年夏合宿は、もう一度、東北被災地を巡る鎮魂の旅を行なう。そして、来年、2015年夏合宿には、「久高オデッセイ第三部」を制作し、クランクアップした大重寿一朗監督のいる沖縄と久高島を訪ねる。沖縄夏合宿は2度目となる。そして、2016年夏合宿は、念願のモンゴルの旅である。

 
その準備として、2013年度から、アルランジョラーさんを講師として、「モンゴルゼミ」を開催しているが、3年間の準備をして、用意万端、発酵に発酵を重ねて熟成して、第1期NPO法人東京自由大学の総決算として、モンゴルの旅を自由大学ならではのものとしたいと思う。今から、ご協力・ご参加を願うものである。

 
鎌田 東二/かまた とうじ
1951年徳島県阿南市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科神道学専攻博士課程単位取得退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科 学専攻単位取得退学。武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授を経て、現在、京都大学こころの未来研究センター教授。NPO法人東京自由大学理事長。文学博士。宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学などを専攻。神道ソングライター。神仏習合フリーランス神主。石笛・横笛・法螺貝奏者。著書に『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)『翁童論』(新曜社)4部作、『宗教と霊性』『神と仏の出逢う国』『古事記ワンダーランド』(角川選書)『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)『超訳古事記』(ミシマ社)『神と仏の精神史』『現代神道論—霊性と生態智の探究』(春秋社)『「呪い」を解く』(文春文庫)など。鎌田東二オフィシャルサイト