第43回大川端三寶大荒神式年神楽

三上 敏視

 

 

4月26日から27日にかけての松江市大川端で行われた大原神職神楽(大原神主神楽)による33年に一度の式年神楽、「第43回大川端三寶大荒神式年神楽」に行ってきた。
この時期の夜通しの神楽は珍しい。
場所は松江の中心部から車で30分くらいの近さだが、静かな佇まいの山あいの集落で、ちょうど天気もよく昼間は暑いくらいだった。
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この神楽、何年か前に日本青年館での「全国民俗芸能大会」での出張公演を見た時は、神歌がくずれたかんじでもうひとつ惹かれなかった。神楽の場合、神歌や神楽歌などと呼ばれる歌は、笛のメロディーとは違うメロディーを歌うのだが、それでも調性は合わせて歌うはずである。これが合うと合わないではぜんぜん違う。合っていればなんとも言えない音霊の世界が生まれ、合わないとまさに「調子っぱずれ」となり、聞き苦しい。
でもひょっとしたら合っていない神楽では、長い間ずっとそのようにやってきたのかもしれないので、それが「伝承通り」ということになるかもしれないのだが、これまで各地を見てきた印象では中国地方でこの合っていない神楽が多いような気がする。

日本青年館での「大原神職神楽」は第一部の公演で「調子っぱずれ」の神歌が聞かれ、二部の研究公演では人が変わってから合う時があったので、歌う人によって違うのだろう。神楽に携わっている人たちは音楽をやっているつもりはないから、音感の良くない人がいてもしかたがないのである。
私にとってはそんな「大原神職神楽」であるが、今回は33年に一度の式年神楽で神懸かりの「御託宣神事」があるということで気になり、見てきたのである。

午後1時半からの湯立て神事、その後の七座の神事舞、休憩を挟んで7時頃神能が始まり、後託宣神事は午前3時半から一時間ほど。その後また神能があり午前6時に終了。という流れだった。

湯立では神職が手印を結んで呪術的な所作を見せる。神職と手印は現在の神社神道ではあまり見かけないけれど、吉田神道には修験道の要素を排除しきれなかったのか手印があるということだ。そして神懸かりの託宣を行う神職なのだから呪術的要素が強いのだろう。石見の大元神楽などでも神懸かりをコントロールするのは神職だ。

その後の七座の神事は能の影響を受けて面を着けた神能舞が生まれる前からあった舞と言われ、神楽によっては「神事舞」と呼ばれる素面で採物を持って舞う神楽である。
地味ではあるが神楽の基本と言っていいだろう。

しかし近隣の人たちにとっては神能が神楽、というかんじで夜になって大勢集まりました。見る場所も地元の人達と一般とに分けられて地元優先をしっかりしていた。33年に一度ということでよそから大勢見に来るだろうということもあるのだろう、後ろの方には三段の桟敷席も作られていた。
もう次は見られないだろうということで、研究者の先生たちの顔ぶれも山路興造さん、鈴木崇正さん、小島美子さんなどそうそうたるものだった。小島先生のグループには櫻井治男先生もみえていたので、明るくなったら挨拶しようと思っていたら最後までおられなかったようで、挨拶できず残念だった。大御所のみなさんは特別席に座られ、私はそこに近づきがたいのと(笑)ビデオ撮影のために、だいぶ離れた後方の一般席にいたのである。

神楽全体は佐陀神能に近く、お囃子もメインのものは8割方佐陀神能と同じ感じだった。九州小倉から駆けつけた一人では歩けない90歳の大長老が太鼓を叩くと力強く、ノッてくると立ち上がったりしてすごかった。

神職さん達による神楽なので夜通しのわりには祝祭、宴会色が薄かったけど、同じ神職さん達による夜通しの秋田「保呂羽山の霜月神楽」よりは村祭りっぽい雰囲気だろうか。

御託宣神事は電気を消して行われた。託宣の言葉がほとんど聞こえず、聞き書きをした神職さんが内容を読んでくれたけど、理路整然とした当たり前といえば当たり前の内容。トランスしちゃって何言ってるかわからないというタイプの神懸かりではないようだ。
以前一度だけ見たアイヌの神懸かり「トゥス」のときもはっきり聞き取れる内容だったからこういうのもあるのだろう。

驚いたのは神懸かりを促す時に「オンコロコロ、オンコロコロ」と薬師如来の真言を唱えていたことだ。時々「センダリマトウギソワカ」まで唱えていた。この時鈴を振り続けていて、これが良かった。神楽では鈴は舞の時に舞い手が鳴らすことがほとんどなので、神事でこのような使い方するのは珍しいのではないだろうか。
巫女による託宣が形式的に残っている「保呂羽山の霜月神楽」でも、舞に使う鈴ではなく大きな鈴を宮司がカラカラと鳴らすので、神懸かりと鈴の音には関係があるのだろう。

御託宣神事が終わった後は地元の人達も九割方は帰宅しただろうか、あらためて続けられた神能の時はずいぶん人が減っていた。予定より時間がかかるものが多かったが、タイムスケジュールのとおりに進行させるため予定されていた演目から三番くらいカットされただろうか。神能の内容はこのあたりの神楽全体に言えるのでしかたがないが、元々あった祖先神や自然神を祀る土着的な信仰の要素が記紀神話の神々の話に置き換えられているものが多かった。
それでも最初の湯立から見ていたので、16時間以上、たっふりと神楽を味わった。

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日 本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別 冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシン グ)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオ ジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉 納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われて いる。多摩美術大学美術学部非常勤講師、同大芸術人類学研究所(鶴岡真弓所長)特別研究員。