「歩けども 歩けども」 Vol.3

浜田 浩之

 

 


7月4日(木) 秋田・田沢湖 1日目

東北の地域情報誌『まちねっと』に掲載する、いわゆる「パワースポット」紹介の記事を書くため、田沢湖へ取材に行く。前日の23時、横浜駅から盛岡行きの高速バスに乗った。
田沢湖は、秋田県の中央東部、岩手県寄りに位置する、周囲約20kmのカルデラ湖である。形は円形というよりも六角形に近い。秋田駒ヶ岳と水色の湖面を背景に立つ、金色の女性彫刻の写真でも知られている。かつては、永遠の美しさを願い続け、最後には龍神になってしまったという辰子姫の伝説とともに、日本一の水深(425m)と、高い透明度(33〜39m)で、日本でもっとも美しい湖の一つに数えられていた。しかし、昭和初期に湖の豊富な水量と落差を利用した電源開発が始まり、1940(昭和15)年、強酸性の玉川の水(玉川毒水)の導入によって、固有種クニマスをはじめとする魚類は死滅してしまった。
1970年代から玉川ダムの建設をはじめ、水質改善や除毒の対策が始まり、1980年頃からウグイが見られるようになってきている。水深は、現在も日本一(423.4m)だが、透明度は一桁台に下がっている。最近では、2009年に韓国ドラマ『アイリス』のロケ地になり、2010年には、山梨県の西湖でクニマスが発見されて大きなニュースになった。湖の輪郭をなぞるように周回道路が通っていて、地図を見ているうちに一周してみたくなった。
朝6時半頃、盛岡駅に到着。駅周辺は高層マンションが林立している。田沢湖線で行くつもりが、本数が少なく、田沢湖まで行く列車は、夕方になってしまう。仕方なく、8時頃、秋田新幹線「こまち」に乗った。盛岡駅を離れると、車窓からは、稲が生育している水田や山など緑の風景が続く。川も護岸されていないものがまだ多く残っている。
8時半頃、田沢湖駅に到着。駅では、『アイリス』のロケ地であることを今も大きく宣伝している。観光客が増加したためか、駅舎はモダンで新しく、駅前も再開発されてアカ抜けている。駅に併設されているインフォメーション・センターで田沢湖の情報を集める。田沢湖まで約8kmと少し遠いが歩くことにする。周辺の様子も分かるし、ゆっくり近づいた方が、湖が見えた時の喜びも大きいと思った。
駅を離れると水田がずっと広がっている。玉川沿いの国道を歩いて、石神橋を渡ると、田沢湖エリアに入る。10時半ごろ田沢湖に到着。夏休みの観光シーズン前の平日で、観光客はまばらである。曇のため、湖面はパンフレットのように鮮やかな青ではなかった。
まず、宿を探した。湖畔にある大きな民宿「はるやま」は、畑や魚のいけすがあって、昔からの民宿という感じで雰囲気が良かった。投宿して荷物を軽くしてから、「白浜」や「蓬萊の松」など、宿周辺の観光ポイントを見て回った。天気予報は下り坂なので、少しでも天気の良いうちに湖の写真を撮っておこうと遊覧船に乗ることにした。
船が出るまでの待ち時間に、田沢湖郷土資料館を見学する。資料館は、クニマスの標本のほか、丸木舟などの漁労具や玉川マタギの道具、田沢湖周辺から発掘された縄文遺跡の土器や土偶を展示している。田沢湖に関する文献の中に、湖面から水没した巨木が林立しているようなものが見えたという話があったので、職員に湖の底はどうなっているのか、巨木などが沈んでいるのかを質問すると、ダム湖ではないので堆積物だけとのことだった。
クニマスは、今も田沢湖の象徴で、観光ポスターや、のぼりなどの多くに使われている。水質を改善して魚が住める湖に戻して、クニマスの里帰りを目指すプロジェクトも進められているらしい。
みやげもの店「田沢湖共栄パレス」の裏手に、湖を漂流していた巨木の一部を祀ったという「辰子姫明神」があった。その他、秋田犬や比内鶏、秋田の大フキを見学できるコーナーがある。3匹の秋田犬は大型だが大人しい。檻に入れられて、暑さに参っているようで気の毒だ。鶏は、比内鶏の他に、声良鶏(こえよしどり)、烏骨鶏(うこっけい)、金八鶏(きんぱどり)が飼育されている。鶏の種類の多さ、姿形の多様さは面白い。秋田の大フキは葉が傘のように巨大だった。
遊覧船の桟橋には、餌付けされたウグイの群れが泳いでいる。湖の水はキレイだが、他に生物の気配はほとんど感じられず、恐山の宇曽利湖に似ていると思った。遊覧船は、湖を40分かけて回り、田沢湖の代表的な観光スポットの御座石(ござのいし)神社や、漢槎宮(かんさぐう)、たつこ像の近くに寄って眺めることができる。また、秋田駒ヶ岳など周囲の山々のパノラマも楽しめる。エンジン音に加えて解説のアナウンスなどで騒がしく、湖の静けさや、水深の深さなどを感じることは難しかったが、晴れ間が出て、鉛色の湖面が、青空のように鮮やかな青に変化するのを見ることができた。
遊覧船を降りてから、陸路から御座石神社に行ってみる。晴山地区から御座石神社の間は、住宅も少なく、鬱蒼とした原生林や杉林の道が続く。途中、眺めのよい広場に、「姫観音」が立っていた。姫観音は、死滅した田沢湖の魚と、湖神の辰子姫を慰霊するために建てられた。銀杏の大木を背に、湖に向かって立っている。
静かな湖面を眺めながら、先に進むと、遠くに湖に突き出た平らな岩の上に立つ、赤い鳥居が見えてくる。やがて視界がひらけ、天然記念物の杉の巨木の立つ、御座石神社の前に出た。田沢湖の景勝地に建つ、この神社は、由緒には「今より凡そ六百年前室町時代に熊野権現を信奉する巡錫の修験者が此処を撰び湖岸に在る畳の如き平坦な岩頭に於て修行、湖主竜神に神通せんと水想観の蘊奥を究め一祠を創建して修験の座としたと云う縁起に因ると伝えられる。」と書かれている。事代主神、綿津見神に加えて、「龍子姫神」も祀られていて、美貌成就のご利益があるという。社名は、1650(慶安3)年、秋田藩主佐竹義隆公が遊覧した際に、湖畔の平らな石に腰掛けて休んだことに由来している。境内には、人魚のような「たつ子姫像」があり、女性向けの華やかなお守りも販売されている。
御座石から湖面を覗くと、バケツのように急に深くなっていて、色は吸い込まれそうな空色から藍色のグラデーションである。鳥居の近くには、七種木(なないろぎ)と呼ばれる木がある。七種木は、「雨乞石」という石の置かれた根元から、松・杉・桜・槐(えんじゅ)の木・榛(はん)の木・えごの木・梨の七種の木が生えている珍しい木。境内の外れには、辰子姫が、神のお告げによって泉の水を飲んで龍神と化したという言い伝えの残る「潟頭(かたがしら)の霊泉」がある。
神社がご神体として祀る奇岩「鏡石」につながる山道を登って行く途中に、「願橋(ねがいばし)」という観光用の木の橋がかかっている。この橋を渡るときに願い事を念ずると、叶うとされていて、橋には願い事がびっしり書き込まれ、木目の亀裂には、お賽銭が無数に差し込まれている。願橋の先に、注連縄を張られた「鏡石」があった。この岩は、露出した大岩の中央に、75cm位の六角形の鏡のような石が、はめ込まれたようになっている奇岩で、辰子姫が化粧のために使ったという言い伝えがある。岩から少し離
れた展望台から遥拝するようになっていて、草木の繁茂で見えにくくなっていた。帰る時には、願橋のそばにある「かなえる岩」も拝礼すると願い事が叶うという。
御座石神社周辺を見て回った後、来た道を引き返し17時頃、民宿に戻った。宿泊客は自分一人らしく、がらんとしている。夕食は、タケノコやフキなど地元野菜も多くてボリュームがあった。テレビの天気予報は、明け方にかけて大雨で、午前中は曇だが、午後からまた雨になるとのこと。計画通り一周したものかどうか、少し憂鬱になる。風呂に入ってから、メモを書いたりしてから就寝した。

 


7月5日(金) 秋田・田沢湖 2日目
雷鳴と雨音で5時頃に目が覚めた。自販機に缶コーヒーを買いに外に出ると、雨は強く降ったり、小降りになったりしている。7時頃、ボリュームのある朝食を食べて腹ごしらえをするとヤル気が涌いてきた。雨も小雨になってきたので、計画通りに一周してみることにした。
出発前、宿のおばさんに田沢湖の話を聞くと、この辺は天気が変わりやすくて、予報は雨でも、晴れていることが多い。同じ田沢湖でも、一方の地区は雨でも、別の地区では晴れていることもある。韓国ドラマの影響は、撮影の時は、追っかけの女の子が多くてすごい騒ぎだったが、今はほとんどない。ロケ地のホテルもつぶれてしまった。夏はそれなりに観光客が来るが、ジェットスキーやボートが危ないので、地元の人は泳がないという。冬に来る観光客は少ない。湖を一周する話をすると、少し心配して、観光スポットのある場所の他には、店や自販機は何も無いと言って、ペットボトルのお茶をくれた。
ポンチョを着て、8時過ぎに宿を出発した。湖畔を反時計回りに回る。モヤのかかる田沢湖も神秘的で魅力がある。昨日と同じ道を歩いて、9時過ぎに御座石神社に着いて参拝する。真っ赤な社殿と周囲の木々の緑とのコントラストが鮮やかだ。神社から先は、初めての道で、鬱蒼とした森林が続いている。ミズナラなどの大木が多く、根元からいくつもの太い幹に別れ、別の種類の木が寄生したり、ツタがからんだりしながら大木を形成していて、一見何の木なのか分かりにくい。「共生木」と呼ばれるその大木が、湖岸沿いに群生している。木の根元には、葉の大きなフキや、様々な草花が生い茂っている。地図や観光パンフレットでは何もない道になっているが、珍しい植物や森が発散する匂い、鳥の声、湖の風景も刻々と変わって退屈しない。途中、静かな湖面に倒木がサメのヒレのように、わずかに頭を出している場所や、「明神堂(浮木の宮)」という小さな祠があった。「名水わき水」で、ノドを潤す。雨は降ったり止んだりしているうちに曇になった。
11時前に、昨日、遊覧船から見物した「たつこ像」と「漢槎宮(浮木神社)」のある潟尻(かたしり)地区に到着。潟尻は、晴山地区の対岸、一周のほぼ半分の地点にある。たつこ像は、1968(昭和43)年に船越保武氏が制作した。現代的な容姿をしていて、写真より実物の方が美しい。秋田駒ヶ岳と湖面を背景に、たつこ像が金色に輝いている。たつこ像のすぐ近くに、漢槎宮の小さな社が湖に突き出て鎮座している。どちらも印象的な風景で、記念撮影をする観光客が多い。湖の全景を写真におさめたいと思い「展望
園地」に登ると、途中にヘビがいた。生きているのか死んでいるのか、そばを通っても全く動かない。まだら模様で種類は分からない。展望園地までは時間がかかりそうなので、途中で引き返してきた時にはヘビはいなくなっていた。ラーメンやカレーなどを出す茶屋で休憩して、辰子姫伝説の冊子を買った。
潟尻を過ぎて、再び共生木の道を歩く。12時過ぎに通過した「たつこ茶屋」周辺では視界が大きく開けた。たつこ茶屋から先は、靄森山(もやもりやま)の裏を通る。しばらく湖から遠ざかって坂道になる。
森林はブナ林に変わった。天気はまた雨が降ったり止んだりしはじめた。雨に濡れたブナは生き生きしているように見える。「県民の森」まで来ると、スタートした晴山地区までわずかである。ここには「かえる石」という奇岩がある。寄り道をして、湖畔につながる遊歩道を降りていく。かえる石は大きくもなく、カエルそっくりというほどでもないが、草むらの中にあり、表面は緑の苔で覆われ、カエルに見えないこともない。観光用に名付けられた石だろうか。
14時頃、晴山地区の遊覧船乗り場に着き、約20kmを6時間で歩いて一周を終えた。そのまま歩いて田沢湖駅へ向かう。予報の通り再び雨が降り始めて、駅に着く頃にはドシャ降りになった。駅近くにある共同浴場温泉「東風(だし)の湯」で汗を流す。地元の農家の人も来ていて、これまで雨が少なかったため「いい雨だ」などと話し合っていた。
田沢湖駅からは、東京・横浜方面への夜行バスが出ていた。出発までの待ち時間にみやげもの店を覗く。あきたこまちなどの穀物や、珍しい野菜、キノコなどの地元農産物が並んでいる。田沢湖周辺は、魚は採れないものの山菜の宝庫で、特にタケノコが有名である。そばなどの麺類や、「ゆべし」という餅菓子、「いぶりがっこ」という漬け物など、加工食品も種類が豊富だ。みやげを買ったあと、駅の待合室でメモを書いたりして過ごし、20時発のバスで横浜に帰った。
田沢湖は、天候、太陽の位置や眺める場所によって、刻々と表情が変化した。観光客の増加によって、俗化したといわれて久しいが、初めて訪れた私には、充分に静かで美しく、神秘的な佇まいだった。クニマスが生息していた頃、透明度の高かった頃の様子は、辰子姫の伝説や昔を知る人の話から想像するしかない。畏れを感じるような、近寄りがたい湖だったのだろうか。
※その後、8月9日に秋田・岩手地方で発生した豪雨で、田沢湖では近くの荷葉岳(かようだけ)山腹が崩れ、住宅が全半壊して6人が死亡するなどの被害が出た。

 


7月21日(日)
「六つ星山の会 富士山予備山行 馬返し(ゼロ合目)〜七合目」
視覚障害の人たちと一緒に山に登る「六つ星山の会」の山行に参加する。今回は、8月に登る富士山の予備山行として、吉田口登山道のゼロ合目から7合目までを登る。この山行についていけないと本番の富士山山行には参加できない。富士山に登るのは20代の前半から約20年ぶりで2回目。前回は、5合目から頂上まで登った。その時の記憶に残っているのは、頂上に近づくにつれて、呼吸が苦しくなり、10歩くらい進んでは立ち止まりゼイゼイ息をしながら登ったこと、トイレがこれまで見たこともないほど汚かったこと、
下山の時は、砂埃の舞う単調なジグザグの道が延々と続き、泣きそうになったことなどである。山頂のお鉢めぐりをする余裕もなかった。今度富士山に登る時は、ゼロ合目から登る「完全登山」をやりたいと思っていたが、思わぬ形で実現することになった。
当日、自宅を午前3時に出発し、環状道路沿いを新横浜駅まで2時間近く歩く。横浜線で八王子まで行き、中央線に乗り換え、集合場所の高尾駅には、集合時間よりも早く6時半頃に着いた。時間つぶしに駅周辺を歩き回って、古そうな神社(熊野神社)を見つけて参拝した。熊野神社は、二つの種類の異なる木が合体している巨木がご神木になっている。遊具やベンチも置かれている昔ながらの境内で朝食のパンを食べた。駅や駅周辺の喫茶店などはまだ開いていない。ホームのベンチで集合時間まで新聞を読む。
8時過ぎに「六つ星山の会」の人たちと合流して、大月駅へ行く。富士急行線に乗り換えて、「富士山」駅へ向かう。車窓からは、リニアの実験線が見える。富士山駅の手前では、富士山の全景が現れた。雲もなく山頂まで見える。雪はほとんど残っていない。まだまだ遠くにある感じで、今日そこまで行くという実感はまだ涌かない。
10時頃、「富士山」駅に到着。最近まで「富士吉田」駅だったが、世界文化遺産決定後に改名された。駅前には土産物店などが入った大きいビルが建つなどして再開発が進んでいる。駅からタクシーに分乗し、登山口の馬返しに向かう。市街地を過ぎると樹海の道になった。歩いている人や走っている人が多い。運転手の話では、近く行われる「富士登山競走」の練習をしているらしい。道は次第に細くなり、前を行く車や、すれ違う車、駐停車の車などで渋滞してきたところで馬返し(ゼロ合目、1450m)に到着した。
タクシーを降り、広場に全員集合して挨拶をする。参加者は約30名、三つの班に分かれて11時頃、出発した。視覚障害(以下、視障者)のIさんを、健常者のサポーターが前後にはさんで歩く。登山道の両側には樹海が広がっている。道は両側から大きく窪んで、すり鉢の底のようになっている。木陰の道が続いて、暑くも寒くもない。5月に登った、山梨の笹子雁ヶ腹摺山(ささごがんがはらすりやま)で聞いたハルゼミよりも大きい声のセミが鳴いている。ゆるやかな登りが続き、カーブやアップダウンは殆どない。ゼ
ロ合目から登る人は少なく、まだ混雑していないが、軽装で走って登ったり、降りてくる人とよくすれ違う。
一合目(1520m)、御室浅間神社のある二合目(1700m)を過ぎ、13時頃には三合目(1840m)を順調に通過した。三合目を過ぎたあたりからセミの鳴き声がしなくなり、樹海の木は大木が多くなった。咲いている花は少ない。四合目(2010m)で昼食を食べる。途中、古い神社をいくつも通過していく。富士山駅近くの北口本宮冨士浅間神社をはじめ、登山道には、修験道の役行者ゆかりの神社もあるが、団体行動なので参拝したり、ゆっくり見てまわることのできないのは残念だ。
13時半頃、御座石(ございし)で休憩。この辺りから他の登山者が多くなってきた。14時過ぎに五合目(2300m)の佐藤小屋で休憩。五合目手前から他の班の視障者のAさんは呼吸が苦しくなっていて、リタイアして五合目駐車場で待機することになった。同じ班のIさんも呼吸と歩行が苦しそうになってきている。
五合目を過ぎると森林限界が近づき、樹林が低く少なくなってきた。それに代わるように、ヤマオダマキ、ヤマホタルブクロなど高山植物の花が多くなる。眺望も開けてきた。頂上の方は、岩石のむき出しになった風景が広がる。足下の道は土や岩から、赤っぽい火山岩や細かい砂利になり、すべりやすく砂埃が舞う。サポートをしている視障者のIさんがS字の連続する急登で苦しくなって立ち止まる。山行リーダーのSさんは、六合目はもうすぐだと励ます。
さらに眺望が開けてきて、15時頃、六合目(2390m)に到着。空気はひんやりして、汗もあまりかかない。周辺には富士山安全指導センターがある。頂上を見上げるとジグザグの道に登山者の列が続いている。8月に頂上に登る時には、すごい混雑になりそうだ。ここまでは歩きやすい道で、いつの間にか六合目まで来てしまった感じだったが、この先はそれなりにキツそうだ。予定より遅れているため、七合目までは行かずに、ここで下山することになった。五合目のバスの発着する駐車場まで広い砂利道を下っていく。途中、Iさんの足がつり、マッサージのできる人が見たり、漢方薬を飲んだりして様子を見る。その間、大勢の個人・団体の登山者が脇を通り過ぎていく。観光客を乗せた馬も通った。Iさんの症状が収まって再び出発する。下り坂では足がつりやすくなるらしい。シャクナゲが群生している場所を通過する
と、女性参加者たちから歓声が上がった。そうこうするうちに15時半頃、五合目駐車場に到着した。
小御岳神社のある五合目駐車場は、観光客、登山者、バスでごった返していた。大きなレストハウスの店内も、みやげ物や食べ物を買う客でいっぱいだ。最近は、富士山の形をした「富士山めろんぱん」が話題になっているらしい。中国人をはじめ外国人も多い。
16時過ぎに富士山駅行きの直行バスに乗る。富士山駅から大月に向かう列車内は、駅で買い込んだビールやつまみを片手に、山の話題で賑やかになった。車内解散ということになり、同じ方向に帰る人は次第に少なくなっていく。20時過ぎに新横浜駅に一人で降りると、出発した時と同じように、自宅までもうひと歩きする。交通費の節約ということもあるが、歩きながら今日の事を反芻する時間が欲しかった。人気の少ない暗い道を歩き、22時過ぎに自宅に戻った。


machinet まちねっと http://www.machinet.jp/

岩手県・秋田県における大雨災害に伴う義援金(2013年9月30日まで)
日本赤十字社

http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00003862.html

六つ星山の会 http://www.mutsuboshi.net/

 

 

 

浜田 浩之/はまだ ひろゆき

東京自由大学ユースメンバー。京都造形芸術大学通信教育部情報デザインコース卒業。フリーのグラフィック・デザイナーとして活動の傍ら、視覚障害者支援などのボランティア活動を行う。