田園生活

トイレの思想

田 園

 

 

 

私は高校時代、余華 [i]⁾の小説が好きだった。余華の小説に出てくる主人公のお父さんは、しょっちゅうトイレの穴に落ちて死んでしまう。ここで言うトイレとは、地面に大きな穴を掘っただけのものである。中国通の方はよくご存知のように、その穴に板を乗せ、用を足す人はそこにしゃがみ、穴の中めがけてやる。もちろんトイレの中は、とても臭い。人を殺せるほど臭くて、毒性がある。

 

小説『兄弟』のお父さんもまた、トイレの穴に落ちて死んでしまった。穴の下に広がる腐海の中で、溺死したのだ。お父さんが穴に落ちた原因はと言うと、背中を仕切る壁板の向こうにある女の尻を覗くため、頭を穴に入れたのだ。図説すると、以下の様になる。

余華の子ども時代、トイレの穴に落ちて死んだ人はたくさんいたそうだ。特に夜は危なかった。電球も懐中電灯も無かったので滑りやすく、多くの犠牲者を出した。このような事件は、中国の歴史書にも記録されている。『左伝』によると、紀元前58166日(旧暦?)の昼頃、晋景公・姬獳という王が、トイレの穴に落ちて死んだ(「将食、、如、陷而卒」)。彼は中国史上、最初にトイレの腐海で果てた偉人(?)である。

 

幸いなことに、漢代からは便器が使われるようになった。もちろん皇族や貴族しか便器の恩恵に預かれないが、安心・安全な用足しができるようになった。おかげで、北京の故宮にはトイレがなかった[金易・沈羲羚『』紫禁城出版社,1991]。持ち運び式の便器しかなかったのだ。皇族は貴重な便器に腰掛け、その中に入った木の粉や灰の上に、用を足していた。宦官の中には、便器を運ぶ係りがいたようだ。便器の中身はまとめられ、北京の安定門から郊外へと運ばれた。

 

言うまでもなく、糞尿はゴミでない。貴重な資源だ。人が溺死するほど大量の糞尿をためたのは、掃除が面倒臭かっただけではないだろう。『孟子』や『荀子』には、糞尿が農業に応用される記録が見られる。トイレでためられたそれは、畑で撒かれたのだ。

 

私は高校の修学旅行で、陝西の農村に2週間滞在したことがある。そこの畑にあるトイレは印象的で、10年経った今でも、鮮烈なイメージとして思い浮かべることができる。

 

それは、風通しのいい夏の日だった。いちめん濃緑の畑に、太陽の光が燦々と葉っぱを透かしている。その中に、ちいさなトイレの小屋があった。中に入ると、ちいさな穴に薄っぺらな板が乗っていた。腐海は満タンだった。しかし、糞尿が、見えなかった。

 

陽光は小屋の中まで、そしてタンクまで照射して光っていた。満タンの、おかゆ。まさにおかゆだった。丁寧に時間をかけて作ったおかゆが、糞尿のタンクのなかで、白く光っている。私は驚愕した。しかし、それがおかゆであるはずはない。よく見ると、それは無数の、ハエの幼虫だった。

 

白い玉のような、米のような、命。半透明で、胃袋まで見える。うんこを食べたものは体の一部が茶色く光り、おしっこを飲んだのは金色がかっている。五彩だった。実に気持ち悪くて、それでいて、ドキドキするほど美しかった。あんなに美しいものは二度と見れないかもしれないが、決して二度と見たくない、と思った。

 

人間は、野菜や米を食べて糞尿にする。大地は、糞尿を飲み込んで野菜や米にする。ハエの幼虫も、大地の一部なのだ。彼らは私たちの糞尿を飲んでくれ、食べ物を作ってくれる。しかし、人間から気持ち悪がられる。どんな美人の体内でも、ヘソの下の空間は、糞尿で満たされている。それは、ハエの幼虫の胃袋の中身と同じなのだ。それなのに、なぜわれわれは糞尿を気持ち悪いと思うのだろう。

 

「すべての衆生は平等だ」とは、お釈迦様の言葉である。自分の子供と同じようにハエの幼虫を愛する人は、仏の道を悟るそうだ。仏教の経典には、「あなたのお腹の中には、うんこがいっぱいありますよ」とか、「あなたが死ぬと、ハエの幼虫が食べてくれますよ」といった不浄観の教えもあるが、これを誤解して拒絶する人は少なくない[『性差別する仏教』法蔵館,1990年;『仏教と性差別―インド原典が語る』東書選書,1992年など]。しかし私は、自分の体内がハエの幼虫と同じだと気づかない限り、成仏できないのではないかと思う。

 

ちなみに道教の説では、お腹の中の糞尿がなくなるまで修行すると、仙人になって永遠に生きるそうだ。それなのに、お釈迦様はご親切にも説法として、ご飯を食べたり、うんこをしたり(?)するところを見せてくださったのである。

 

 

[1]余華 (ユイ・ホア、1960年~) は、中国の作家。浙江省杭州市出身。1984年に作家デビュー、1992年に『活きる』がベストセラーとなり、その後チャン・イーモウ監督で映画化され話題を集めた。2005年には文化大革命から開放経済までを描いた『兄弟』が再びベストセラーとなり、2008年には来日している。

 

イラスト:田園
イラスト:田園

 

 

田 園/でん えん
北京出身。畑に囲まれた田舎の寄宿制中学校、北京師範大学第二付属高校、北京映画学院大学卒。そして来日。中央大学大学院で修士号を取り、博士課程に在籍中。研究分野は宗教社会学だが、その業績はほぼなし。漫画家デビュー歴あり。黒い歴史満載。猛禽保護センター、出稼ぎ労働者の子供のための学校などでボランティアをしていた。中国赤十字社で救命技能認定証をとったが、期限切れている。今は念仏+論語+民間療法+市民農園に情熱を燃やしている。