田植え・餅つき・那智の滝

小笠原高志

 

 

 

64日、群馬県千代田町の福田さんの田んぼで、初めて田植えを体験しました。

裸足で泥の中に入って、苗の4・5本を等間隔で植えていきます。

田んぼには、既に十日前、田植機で植えられた苗が整然と直線に並んでいますが、我々の田植えは、ところどころ蛇行ぎみです。

 

映像歳時記「鳥居をくぐり抜けて風」の池田将監督と、上映館・ユジク阿佐ヶ谷の支配人である武井悠生(ゆい)さんが三月に入籍して、十月に神前で結婚式を挙げることになりました。池田監督は、結婚式のときに、ぜひとも餅つきをやりたいと言い出し、ならば、餅米を作るところから始めましょうということになり、池田監督とゆいさんと私とで、福田さんの田んぼにおじゃまして、青空が映り込む田んぼの中に一本、一本、苗の根を、泥の底に埋めました。

 

福田さんとは、府中にあった酒亭「くわはら」でおめにかかり、それ以来、長いおつきあいをさせていただいています。

「くわはら」の女将であった秀子さんは、持病をお持ちで、そう長くは自分の足で歩くことがかなわないことを予見していたので、むしろ行動が積極的な方でした。あるときは、どうしてもゴッホが見たいと言って、単独でオランダのゴッホ美術館に出かけるような方でした。その秀子さんが、「わたし、那智の滝を見たことがないので見に行きたい。行きましょうよ。」ということになり、最初は「くわはら」の常連客十名くらいで行くことになっていたのですが、手を挙げていた男性客で残ったのは私一人となり、結局、秀子さんを含めた女性四人と私一人で那智の滝に行きました。15年前のことです。

 

白浜空港でレンタカーを借りて、私の運転で、熊野本宮、速玉大社、そして、那智の滝の飛瀧神社に到着して鳥居をくぐり抜けたとき、本殿も社殿もない向こうには180m上方から注連縄が施されている那智の滝が、飛沫を上げて流れ落ち続けています。滝の飛沫の音に包まれ、鎮守の森の匂いに包まれたとき、私は、滝に打たれました。

日本の神さまは、直接拝むことができるのか。

それまで、自分の中に巣くっていた国家神道的な固定観念を洗い流せた経験でした。

この日、秀子さんに連れて行っていただいた那智の滝が、映像歳時記「鳥居をくぐり抜けて風」の出発点となりました。

それ以来、私の神社めぐりが始まります。

この映画は、今は故人となられた柏木秀子さんへのオマージュです。

 

秀子さんが亡くなられ、酒亭「くわはら」も店を閉めましたが、かつての常連客は今でもひと月に一度集まり、旧交を温めています。その世話人が福田さんです。

福田さんは、さる大手のメーカーで人事部長の職務を全うしつつ、週末には群馬の実家に帰り、ご尊父の介護をしつつ、田畑を維持し続けたすぐれた働き者で、現在は退職後、自称、百姓を名乗っておられる方です。

手のひらが厚く、指の節がごつくて、その手は、土と米と野菜をつかんできたことを物語っています。日焼けした眼鏡の奥の眼は、いつも微笑み、そういう福田さんを悪く言う人はいません。

今回の結婚式の件では、田植えから餅つきまで、喜んで引き受けてくださり、池田監督とゆいさんと私は、田植えの後、ああいう人が西方浄土に招かれるんだね、などと帰りの車中で語りました。

 

福田さんから聞いたお話で、忘れられないひと言があります。

「私は、イチゴを食べたことがないんですよ。」

専業農家だったお父さんは、三人の子供を東京の大学に進学させるため、イチゴのハウス栽培を始めました。昭和40年当時は、イチゴは高価で、現金収入を得やすかったからです。12月22日くらいが最も高値になる時期で、それに合わせた栽培と収穫を計画したそうです。クリスマスケーキ用ですね。真冬の午前二時に起きて、イチゴを採って箱詰めします。それが、そっくり学費となったので、イチゴは食べ物としては考えられないんですよ、と福田さん。

私はこの話を聞いて、何とも言えない気持ちになりました。そして、忘れることはありません。

 

田植えを終えた後、福田さんが氏子総代を務める「瀬戸井長良神社」にお参りして、絵馬と神楽の面を拝見しました。

神社は、福田さんの家の向かいにあります。

 

注連縄がつながるように、人がつながっています。

 

神社には、そういう結びのはたらきがあるようです。



小笠原 高志 / おがさわら たかし
1959年。釧路生まれ。早稲田大学文学部日本文学専修卒。学生時代に、赤塚不二夫製作映画の助監督を10本務める。舞踏家・大野一雄に師事し、その後、舞台を数本撮影する。琴古流尺八を三世川瀬順輔に師事し、その後、NHKラジオ国際放送で演奏を放送される。美大予備校・一般予備校で、現代文・小論文・映像を教える。また、映画製作にも携わる。主な作品に「天然コケッコー」(山下敦弘監督)・「南極料理人」「キツツキと雨」「滝を見に行く」(沖田修一監督)など。「清水哲男の増殖する俳句歳時記」に四年半執筆。映像歳時記「鳥居をくぐり抜けて風」(池田将監督)を企画・製作、脚本。