<美大生、ベンガルの村で嫁入り修行!>

 

 

 

 

 

7章 パンドラの箱

 

怖いのはパンドラの箱が開いてしまったのではないか、ということ。

パンドラの箱は、ギリシャ神話のひとつに出てくる、世界の災いを閉じ込めてあった箱のこと。

村人はヒンドゥー教徒ではない。多くのヒンドゥー教徒の暮らすインドにおいて、彼らは不可触民と位置づけられる。ハウラー駅の赤ターバンのおじさん(駅で荷物運びの仕事をする人)は、サンタルと話すのをとても嫌がっていた。タクシーの運ちゃんもそう。サダルストリートにある宿にもサンタルは泊まらせてもらえない。つまり、ヒンドゥー教徒から見て、カーストの外にいる彼らは野蛮であり、関わるのも話すのも卑しい事とされているのだ。

こんなに礼儀正しく、心優しい民族のどこが気に入らないと言うのだろう。1950年に憲法上ではカースト差別が否定されたけど、形だけのものだったのかな。でもね、一概にこれを否定は出来ない。なぜなら、他の民族から切り離されたおかげで、サンタル族独自の文化を現在まで維持し、守り続けて来られたのだから。

それが今、西洋文明化の波によって覆させられそうになっている。村の若者は携帯電話を持つようになった。テレビのある家では、子どもたちがテレビ画面の前から動かなくなった。スピーカーから大音量で流れるインドポップスの音は、いつまでたっても鳴り止まらない。以前は静かだった村の雰囲気はずいぶん変ったことだろう。広く美しい田んぼの中には、鉄塔が立ち、藁葺き屋根だった家々はだんだんとトタン板に変わる。土を踏み固めてつくられた道はインド政府によってコンクリート舗装され始めていた。

伝統的な暮らしは確実に失われつつある。けれど、便利なものを得て豊かになりたい、と思う気持ちを否定する権利なんて誰にあるのだろう。

そして、私自身もまた彼らの暮らしにメスを入れている存在だったと気付いたのは、旅も終盤になってきてからの事だった。

つい最近まで外国人なんて見たことも聞いた事もなかったサンタル族の人々。日本人の存在だけでもショッキングなハズなのに、何気なくiPhoneでパシャパシャ写真を撮り、ユニクロのダウンジャケットで寒さをしのぎ、夜にはLEDの明るいライトで道を照らして過ごした私。しばらくしてハッとした。

村はいつまでも醜い世間とはかけ離れた、桃源郷であってほしい。エゴだって分かってる。でも悔しかった。私だってよりよく生きるために便利を選んできた。特に村人はそれが生死を分けたりするのだから、なおのことだ。

以前の日本もそうだったのだろう。日本人は和を大事にし、独自のルールに従って自分たちに合った世界を形成し、生きていた。しかし西洋化の流れに乗ったことで、一体どれほどの日本独自の伝統的で繊細な文化が失われてしまったのだろう。

村は、まだ便利という言葉がおよそ似つかわしくない場所だけど、大人も子供もみんなキラキラした目で生きていた。生きること。それ自体がハッピー。そんなキラキラした目のハッピーガールと仲良くなって一緒に写メを撮った。何度か操作を見ているうちに彼女も撮り方を覚え、一緒にパシャパシャ。

「いいなーコレ。私も欲しくなっちゃった〜」
ちいさな手の中でiPhon5をしげしげとながめる彼女の何気ない言葉。

しまった‥!ゴトリ。パンドラの箱の開く音がした。

 

 

8章 すんなり帰国、とはいかなかった!?

 

美しい村の思い出を胸に、そっとこの地を離れて、一路我が家へ…。なーんて、インドっちゅー国はそう甘くはなかったのさっ!ここからは私のドタバタな帰路の一部始終をお話しよう。

マロティー、マイノー、ソムナット、ラボンを日本に連れて行くため。そして我故郷に帰るため。鍋やら何やらとんでもない大荷物を必死で運び、一同ボルプール駅へ向かう。あれだけ日本は寒いと言ったのに、マイノーはサンダルを履いて来た。日本は雪だよ、と言っても彼らは雪を知らない。

ちょっと遅れてやって来たExpress列車。着いたと思ったらもう発車のベルがビービー鳴りはじめた。一気にドーッと客がおしよせて、我先に電車へ駆け込む。荷物が多すぎて乗せられない!!何番トビラから乗ればいいの??うわわっ、ちょっとちょっと押すなって!

「チャ〜はいらんかね〜」
って、オイッ!こんな時にチャとか買えるワケないでしょ!ヤバイ、発車しちゃう!もうどこでもいいから乗っちまえーっ!

やっとのことで発車した時には、みんなバラバラにはぐれて、車両はすしづめ状態。もうスペースなんてこれっぽっちも無いのに、物売りも負けじと乗り込んで売りつけてくる。ものすごいプロ根性だ。おお、これぞ世界に名だたるカオスの国、インド。私のバックパックが邪魔なのか、後ろのオッチャンが叩いたり、引っぱったり大騒ぎしているが、私には首を回すことすら叶わないのだ。 

毎朝通勤ラッシュに果敢に挑んできた私だけど、さすがにこのギュウギュウ詰めと、熱気、インド人達の発するむせかえるようなスパイス臭、そして全員シャウトしているこの状況に気が遠〜くなりそうだった。浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく、村での美しい思い出の数々。さっきまで静かな畑にかこまれて、みんなと涙の別れをしたのが嘘のよう‥‥。終点ハウラー駅までの道のりは長い。

窓の外もすっかり暗くなり、気付いたときにはこの状況に慣れて、あんまり苦ではなくなっていた。よく見ると物売りたちは人々の頭の上でよく商品が見えるように、竿を使って工夫して販売しているし、フルーツをカットして調理器具の実演販売をしている人なんかもいる。私は小腹がすいたので、スナックとチャを買って、やじうま精神丸出しのインド人たちに混ざってそれを見物。死んだように静かな日本の満員電車よりずっと愛嬌があるように思う。

さて、ハウラー駅に到着し、なんとか合流できてタクシーで空港へ。そろそろ時間は真夜中。コルカタの街をふたたび目に焼き付けて、心の中でいよいよインドに別れを告げる。あいも変わらず道はガッタガタだし、電線はちぎれて垂れ下がってるし、野犬とオッサンにはいっつも追いかけ回されたけど、私は賑やかで何でもござれなこの街が好きになった。さらばインド、また会う日まで!

そうこうしている内に、我ら一行は無事コルカタ国際空港に着いた。ところが、チェックインカウンターにて、私はとんでもないことに気付いてしまったのだ。なんと私のチケットだけが間違えて来月の今日の日付で予約されている!!すーっ…一瞬頭が真っ白になり、その後モーレツなスピートで脳が回転し始めた。様々な可能性とパターンが浮かんではボツ、浮かんではボツ。

カオリさんも、どうにかしようと全力で助けてくれたけど、彼らの離陸時間がせまっていて、もうどうすることもできない。

「早く行って!飛行機に乗って!このままじゃ乗り遅れるよ。私は一人で何とかするから。」

心配そうな顔で何度も振り返りながら、彼らは搭乗口に吸い込まれて行ってしまった。

深夜2時、私は人気のないコルカタ国際空港出発ロビーでひとりぼっちになってしまった。ライフルを持った強面なガードマンが角々に立つ。街中の喧噪とは別世界の無機質でがらーんとした空間。空港カウンターで働くおじさま方は大変英語も流暢で、英語とへっぽこベンガル語で必死に訴える私の話を親身になって聞いてくれた。話をしているうちに心は少しずつ落ちついていった。

うむ。よし、こうなったら意地でも日本に帰ってやる。寝ている両替所のにいちゃんを叩き起こし、ありったけの金をルピーに替える。帰宅しようとしているエアラインの地上職員と交渉し、私はついに早朝のタイ航空バンコク行きのチケットを手に入れた。 

数時間後、私は夢のような機上の人となっていた。タイ航空の機体はいよいよ離陸した。清潔な機内。美しいタイシルクで身をつつんだCAがほほえむ。コップンカ〜。機内食が美味なこと美味なこと。ここは天国かしら‥?インドで毎日カレーを食べていたのに、またタイカレーを注文してしまったけど、正解だった。窓からは手の届きそうな満天の星空。最後に宇宙旅行のオマケ付きだったのね。バンコクからはもう、眩しいくらいの現実世界。慣れ親しんでいた文明社会のはずなのに、何故か私の世界ではないみたいだった。

たった1ヶ月、されど1ヶ月。私にとっては大冒険。もう旅立つ前の自分とは違うんだ。そんな気がした。こうして、今回の私の旅は幕を閉じたのである。

 

エピローグ

 

ほほをかすめた夕まぐれの風は、ほのかにスパイスの香りがした。

今日一日苦心して植えた米の苗が、誇らしげにゆれている。

私がこの地を離れてからも、苗はしっかりと畑に根をはり、いつしかたわわに実る黄金の稲穂をつけるだろう。

またいつか、ここのお米を食べる時が来るのかしら。

ふと、そんな事を考えたら、キュンと胸が苦しくなった。

旅は出逢いと別れのくり返し。

ここで出逢うのは、私の頭の中だけでは絶対に想像しきれない驚きの人生たち。

今、目の前で私を見ているインドの少数民族の青年は、同じくらいの時期に同じ地球で生まれて、全く違った生き方をしてきた。お互いの存在を知る由も無く。

それが今、この瞬間、友達に成れた奇跡。

同じ時間軸を生きていたけれど、一生交わる事なく平行線のまま終るかもしれなかった私たちの人生。

今この瞬間にも、インドベンガル地方の遠い遠い小さな村で人々が力強く生きているというリアルな実感。

ここで出逢うのは、目には見えない宝物。

風にゆらめく芥子菜も、夕陽に染まる米の苗も、大きくて立派なシュロの葉も、ヤギも豚も牛も、そして人間も同じ条件のもとに今日一日が与えられる世界。「エコ」なんて言葉が無くたって、自然と共に生きる知恵をつけ、毎日を幸せに過ごせる世界。

朝から晩まで働く女性達、ターバン巻いてただ空を見つめるオヤジたち、ほいっと木に登り、真っ赤に熟した果実をくれたパルパティー、笑顔で太鼓のリズムを刻むオッチャンと、よく響く声で歌うマイノー、沢山の牛を引き連れて歩く少年…

大切なものはとてもシンプルなんだ。

さぁ、そろそろ新たな宝物を探しに、冒険の旅へ出かけるとしよう。

バックパックに夢と希望と少しの不安を詰め込んで。手にはまっさらなスケッチブック。靴ひもをキュッと結んで一歩踏み出せば、そこにはめくるめく刺激的は日々が私を待っている。

絵描きは旅を止めることはできない。

それでは、アバール・デカ・ホベ!!(また逢う日まで)

おわり

 

 

彩/AYA

 

東京生まれ、幼少期をフランスのパリで過ごす。祖父が台湾人。3歳の時に画家になる事を決意。東京都立総合芸術高等学校日本画専攻卒。現在多摩美術大学日本画専攻学部在籍。旅とアートを愛する画学生。学生作家として精力的に活動中。特技は指笛と水泳。象使いの免許保持者。時にふらりと冒険に出ることも。HP→http://chacha-portfolio.weebly.com