「夏はいつから?」

海津 研

 

 

前回、春のことを書いたので今度は「夏」のことを書いてみようと思います。冬の沈黙から、あらゆるものがざわざわと動き始める春の訪れ。それにくらべると夏は一体どのようにやって来るのでしょうか。
僕の住んでいる関東平野あたりでは、五月の連休の頃には植物の成長が極まりに達し、葉っぱを食べる芋虫、毛虫が目立ちはじめると、それを食べる鳥たちの子育てが始まります。ツツジやアヤメなどの花は、薄く広い質の花弁を持ち、何処か存在感を保ったまましおれていく。そうして梅雨にはアジサイ。かたつむり。ジメジメとした空気にエアコンを使い始めて、夏を感じる人もいるでしょうか。
春に水田に卵が産み落とされたカエルの子供に腕、脚が生えて上陸して来るのもこの頃のようです。雨と大気に満ちた湿気に守られて地上への第一歩、ちょっと生命進化のロマンを感じる場面です。
日本の南の沖縄では、6月下旬には梅雨明けをむかえ、丁度6月23日の「沖縄慰霊の日」、太平洋戦争の沖縄戦が、組織的戦闘を終えたとされる日を迎えるのも不思議な巡り合わせです。ヒロシマ、ナガサキの原爆、そして終戦記念日と、戦争の記憶はなぜ夏と重なるのでしょうか。
様々なものが足並み揃えて育ってゆく春にくらべると、夏には葛藤があるように思います。木の葉が枝に満ちれば、陽の光を巡っての競争が起こり、そこに虫たちと鳥たちが加わってゆく。一匹の虫が生み出す数百、数千の卵から生まれて、親虫と同じ位に成長できる虫はやはり一、二匹だということ。
夏が本番を迎えるのは、夏至を過ぎて太陽が北へ傾き始める頃でもある。その相反する方向性や、光と影のコントラストが夏、という気がします。蝉の声が短い命を思わせるように、夏の暑さのなかには、既に何かが終わってゆく切なさがあります。それはまた、次の季節に命を繋いでゆくことでもあるのですが。
春の中に夏を思い、夏の中で秋を感じる、人間の心の仕組みも、そんな風に出来ているような気がします。

 

 

 

海津 研 / かいづ けん

美術作家。千葉県在住。東京芸術大学デザイン科卒業。テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」アートバトルにて第7代グランドチャンピオン。沖縄のひめゆり平和祈念資料館製作の「アニメひめゆり」原画を担当。主な作品に、宮沢賢治の「よだかの星」を原作としたアニメーション「よだか」などがあります。最近は「よたか堂」の屋号で一箱古本市に時々参加しています。