ポケットに燕石を

7章 二十五通の手紙をのこして逝った友よ

辻 信行

 

 

 

作家の金石範さんには、思い出すだけで涙の出てくる手紙がある。若き日に友人から届いた二十五通の手紙。日本にいる金さんと、ソウルに残った友人との間で交わされた手紙である。

 

「おまえはいつまで日本にいるのか。祖国にはもう帰ってこないのか」

 

1948年当時、日本と韓国を結ぶ手紙は片道一ヶ月かかった。それでもやり取りを続けるうちに、友人は「自分も日本に行って勉強したい」と漏らすようになった。しかし495月に届いた最後の手紙で、友人はこう綴った。

 

「やっぱり俺は、多くの同志たちを置いて日本に行くことができない。その代わり、俺の愛する恋人が、日本で勉強したいと言っている。彼女は国民学校からずっと首席でいま音楽学校に通っている。石範、おまえがそっちで世話してやってくれないか。返事を待っている」

 

当時学生だった金さんは困惑しつつ、それでもなんとか彼女を迎えられるよう準備を進めた。しかしこの手紙を最後に、友人からの音信は途絶え、彼女も来日することはなかった。友人は国賊として警察に捕まり、殺されたのだった。

 

「この話をするといつも涙が出るの。だけどすごく力が沸いてくる。死んだ友人はいつも私の中にいて、励ましてくれる。もし私があの時ソウルにいたら、彼と同じように警察に捕まって殺されていたでしょう」

 

そう言うと、金さんはしばし嗚咽した。

 

先日、一橋大学の韓国学研究センターで開催された「体験と記憶の東アジア~作家・金石範が語る」の一幕だ。今年92歳になる金石範さんを語り手に、作家の姜信子さんと文学者のクリスティーナ・イさんが聞き手を、社会言語学者のイ・ヨンスクさんが司会を務めた。

 

左から、姜信子さん、金石範さん、クリスティーナ・イさん、イ・ヨンスクさん
左から、姜信子さん、金石範さん、クリスティーナ・イさん、イ・ヨンスクさん

 

金さんは1925年、済州島出身の両親のもと、大阪で生まれた。戦時中は済州島で暮らし、朝鮮独立をめざす人々と出会う。45年、大阪で終戦を迎えソウルに渡る

 も、翌年日本に戻り、以来定住する。

 

金さんの半生は、文学による国家との闘いの連続だったが、他にも多くのものと闘ってきた。まず「日本文学」。いまではなじみ深い「日本語文学」という名称を広めたのは金さんだ。

 

「私は1970年頃まで、日本語で作品を書きませんでした。日本語で朝鮮が書けるのか、帝国の言葉で支配された国のことが書けるのか、疑いを持っていたのです。日本の文壇には「日本文学」が上位で、「在日文学」が下位という意識がずっとある。だから私は「日本文学」と聞くと、日本による朝鮮支配の全歴史が思い浮かんでくるのです」

 

つまり金さんの「日本語文学」とは、単に「日本語で書かれた文学」ではない。日本文学のメインストリームが差別し見下したテーマを日本語で書いた文学、そのような歴史的背景あっての「日本語文学」なのだ。

 

そして金さんの闘う相手は他にもいる。「自分自身」だ。

「私は最初の小説『鴉の死』を書くことで自殺を免れました。この作品は私にとって、あらゆるものの出発点です。私も主人公も孤独だけれど、「孤独」という言葉は一回しか使っていません。センチメンタリズムが嫌いなのです」

 

『鴉の死』は、194843日に発生した済州島四・三事件をモチーフにしている。この事件では、韓国政府軍と警察によって8万人に上る島民が虐殺された。済州島民が李承晩政権によるスケープゴードにされたのだと金さんは語る。

 

済州島で少年時代を過ごしたにも関わらず、事件に立ち合えなかった悔恨から、金さんはこれまで膨大な作品を通して四・三事件について書いてきた。全七巻から成る『火山島』はその金字塔だ。

 

聞き手の姜信子さんは、「金さんの『夜』という作品には、「人間とは一人ずつ死んで、死体は一つでないといけない」と語る四・三事件を目撃した女性が登場する。国家は人々の記憶を盗もうとするが、金さんの作品は死者たちの記憶を取り戻そうとしている」とコメント。

 

金さんはこれに応じて、「私は死者たちに励まされてきました。四・三事件で殺された人たち、二十五通の手紙をのこして逝った友。生者は私を裏切りますが、死者は裏切りません。死者は小説の中で、そして私の中で生きています。死者が存在しなければ、生者も歴史も存在しない。歴史とは死者たちのこと。死者を想うと涙が出ますが、これは悲しくて出るのではないのです」

 

もしかしたら金さんの流す涙は、死者たちの涙なのかもしれない。金さんの中で確かに生き続ける死者たちが、金さんの身体を通して涙する。だとすれば金さんは、シャーマンのような存在でもある。

 

続いて姜さんは、「金さんにとっての祖国とはどこですか?」と質問。

金さんは、「私にとっての祖国は、頭の中にある」と回答。現実の祖国を否定し、想像力の世界に理想の祖国を立ち上げてきた。しかしいまの韓国には希望を持っており、文在寅の存在を心強く思うという。その一方、金さんにとって「安全地帯」であった日本の現状には深く憂慮している。

 

「韓国の戦後史は、済州島四・三事件、光州事件と、あまりに多くの命の犠牲の上に成り立っています。それに比べて日本はどんなに素晴らしいことか。それなのになぜ、日本人はいま自分たちの手でこの国を潰そうとしているのか!」

 

声を荒げながら語りかける金さん。その語りを前のめりになって聞く20代中心の参加者たち。一橋大学国際研究館の一室は、ときに怒り、笑い、涙に暮れながら、4時間にわたって熱を帯び続けた。

 

 

辻 信行/つじ のぶゆき
東京自由大学理事・運営委員長。横浜生まれ。汽笛の聞こえる里山の近くで育つ。現在、中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。宗教学・民俗学・比較文学をふまえ、離れ小島や都市の喧噪、カビ臭い本の中でフィールドワークを重ねつつ、様々な「境界」を研究している。主な論文に、「他界観のイメージ画にみる境界―喜界島における調査を中心に―」、「生と死をめぐる風景―喜界島の祭祀儀礼より―」など。