1万6千年前の〈過去〉と2万4千年後の〈未来〉の狭間で

石井 匠

 

 

 

縄文時代の「はじまり」は、放射性炭素年代測定法によって、1万5千~1万6千年前にさかのぼると言われる。この年代測定は、放射性炭素とも呼ばれる炭素14が、約5730年を半減期とする性質を利用している。

日本考古学では、この分析法で叩き出された約1万6千年前という〈過去〉が「縄文時代のはじまり」なのかという時代区分の議論が続いている。更新世までさかのぼる土器の出現をもって「縄文時代のはじまり」とするのか。あるいは、それ以前の旧石器時代の終末として位置付けるのか。はたまた、旧石器時代から縄文時代の「移行期」として位置付けるのか。ただ、こうした「旧石器時代」「移行期」「縄文時代」あるいは「弥生時代」「古墳時代」にせよ、時代区分というものは、恣意的とまではいわないが、考古学者や歴史学者によって措定されている、かりそめの枠組みである。

今に遺された〈過去〉の残滓から、あらゆる手段を講じて、〈過去〉の歴史を復元しようと試みる。それは、考古学という学問分野のミッションのひとつではある。しかし、われわれ考古学者のみならず、〈過去〉を見つめる多くの憧憬的な眼差しは、ナイーヴなロマンティシズムにすぎないのではないか。そこから描き出される1万年前というロマンへの執着にすぎないのではないか。「好古学」に堕してはいないのか。

 

僕が考古学の門戸を叩いた動機は、19歳の時に抱いた「いったい自分は、どこから来て、どこへ行くのか」という素朴な疑問にあった。〈過去〉を見つめることによって、〈今〉の自分を知る。〈過去〉を〈未来〉を築く糧とする。具体的な手立てはまったく分からない。それでも、その礎となるであろうと確信があった考古学に希望を見出し、学び始めた。しかし、考古学は、文字通り考古学であって、考現学でもなければ、ましてや未来を考える分野でもない。当たり前のことだが、〈過去〉しか対象とされないという事実に愕然とした。古い物を溺愛する好古学者があまりに多いことにも辟易とした。考古学の中でも細切れにされた「専門」という無数の蛸壺の中で、「好古楽」的議論を続け、公的な物であるはずの遺物を身内で囲い込む「考古学者」たちの背中を見るたびに、拒絶反応の悪寒に襲われた。

日本考古学は、失われた〈過去〉へ心をジャンプさせることによって、あるいは、過去のロマンにひたることによって、単に現実逃避をしているだけの「学問分野」なのではないのか、という疑念がずっとある。そのどこが悪いのかといわれるかもしれない。ただ、考古学を学び始めた当初からずっと僕の心の片隅でくすぶっていたこの疑念が、3・11以後、一気に肥大化し、自身が続けている研究の意義が見えなくなり、他者にも自分自身にも説明ができず、なかなか前に進めずにいる。

 

そんななか、赤坂憲雄さんの仕事を通読する機会があり、そこで出会った「あたりまえの言葉」に頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

「今を生きるわれわれが浪費する安い電気が原子力によってもたらされる。そこには決定的に、未来や未来への世代への想像力が欠如していますね。

しかしながら、原発から出てくる放射性物質っていうのは、数十年単位じゃなくて何万年単位で未来へとつけ回しされるわけでしょう。だれもあの汚染を除去できない。「除去」って言っていますけれど、除去じゃなくて濃縮して移動しているだけであって、どこか存在しない最終処分場に一万年間そっとしておくと半減するというだけのことです。つまり究極の、次の世代、未来の世代のためにという想像力を放棄したシステムだったのかもしれない。」

(鷲田清一・赤坂憲雄『東北の震災と想像力――われわれは何を負わされたのか』講談社、2012年)

 

自分も含めて考古学に携わっている者は、数百年、数千年、数万年、数十万年、数百万年前の人類の「歴史」を嬉々として語る。それぞれが、それぞれの〈過去〉の歴神話を語り、それを共有してくれる人々と楽しんでいる。ロマンにひたる。

しかし、あの3・11の出来事の翌日に起きた福島第一原発事故で、境界なき空と海を介し東日本一帯(あるいは地球一帯)にまきちらされた放射性物質がもつ災厄の時間は想像を絶する〈未来〉である。セシウム137ひとつとっても、半減期は約30年。いうまでもなく、30年でなくなるわけではない。半減するだけである。僕らの子供や孫の世代、子々孫々に受け継がれていく災厄である。プルトニウム239にいたっては、半減期は約2万4千年である。想像もできない遠い〈未来〉へと、災厄を引き渡さねばならないのである。

いっぽうで、僕らは今、1万6千年前という〈過去〉に生きていた人々を想像している。青森県の大平山元Ⅰ遺跡から発掘された土器。その地にはたしかに、その土地で土器を作り、動植物の命をいただき、煮炊きをして命をつないでいた人々が生活していた。その〈過去〉の時間を伝えるものは、皮肉にも自然界にもともと存在している土器に付着していた放射性炭素である。だからどうした?と「考古学者」には言われるかもしれない。しかし、想像もできないほど遠い〈過去〉を憧憬し、3・11以降、永続する想像もできないほど遠い〈未来〉には眼を閉じるという矛盾に、僕は心が引き裂かれる。埼玉に住み、東京を職場としている自分が、大局的には震災の当事者であり、と同時に、当事者ではないことに、被災地に足を運ぶたびに引き裂かれる。これからも、引き裂かれ続けるのだろう。

 

昨年、2度にわたって赴いた宮城県女川町。3・11の東日本大震災によって、壊滅的な被害を受けたこの地では、870名もの方々が死者あるいは行方不明者となった。

この土地に生きる中学生たちが、「1000年先の命を守りたい」という想いを形にした。いのちの石碑プロジェクトである(http://www.inotinosekihi.com/)。「町にある21の浜の、津波が襲ってきた高さの地点に石碑を建てる」というプランの第一基が20131123日に除幕式を迎えた。母と祖父母を津波で亡くした生徒が提案したという、女川にある鎌倉時代初期の板碑の形にデザインされた『女川いのちの石碑』の表には、次のような言葉が刻まれている(ここに表面の全文を引用するが、裏面には英・仏・中の言語に訳された金属プレートが貼られている。敢えて写真は用いない。写真ではまったく現地の想いが伝わらない。是非とも現地に立って欲しいと、僕は願うからである)。

 

「二〇一一・三・一一ここは、東日本大震災津波到達地点より高い

 

女川いのちの石碑

千年後の命を守るために

 

夢だけは壊せなかった大地震

 

東日本大震災で、多くの人々の尊い命が失われました。地震後に起きた大津波によって、ふるさとは飲み込まれ、かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。

「これから生まれてくる人たちに、あの悲しみ、あの苦しみを、再びあわせたくない!!」その願いで、「千年後の命を守る」ための対策案として、①非常時に助け合うため普段からの絆を強くする。②高台にまちを作り、避難路を整備する。③震災の記録を後世に残す。を合い言葉に、私たちはこの石碑を建てました。

ここは津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。

家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。

 

今、女川町は、どうなっていますか?

悲しみで涙を流す人が少しでも減り、笑顔あふれる町になってうることを祈り、そして、信じています。

20143月女川中卒業生一同」

 

 

1000年後の〈未来〉の「いのち」を、1000年前の供養塔の形として「石」に託す。その中学生たちの、そして、それを支援する肉親たちの、この「石」に刻まれた文面に凝縮された1000年後への想いと意志を、僕は「情報」や「物」から推し量ることができたとしても、当事者ではないが故に、同じ想いをもって、石碑が建てられた場所に立つことができない。それでも、その場に立ち、石碑が建てられた場所の、眼下の「泥の海」に喪われた命を想うとき、言いようもない、表現のしようがない、言葉にならない、言葉に変換できない、なんとも言えない、嗚咽に似た複雑な感情が身の内から滲みでてくる。それでも、引き裂かれた心は、それを追うしかない。

 

だから、と言っても、まるで説得力はないかもしれないが、中学生たちによって打ち建てられた1000年後の「いのち石碑」を前に、僕は自戒を込めて言いたい。考古学者は、いったい、いつまで、明日という〈未来〉すら描けないということを学問的限界として鵜呑みにし、専門という蛸壺という殻に閉じこもり続けるのか? 万年単位の〈過去〉の歴神話を饒舌に語るいっぽうで、3・11後の出来事を「壺外の火事」と眼を背け、口を閉ざし続けるのだろうか? むろん、考古学者が何も取り組んでいないわけではない。限界もあるだろう。途方にもくれる。

しかし、確実なのは、僕らひとりひとりに、重い〈未来〉がのしかかっているということだ。現実逃避は許されない。逃げ場はないのだ。2万4千年後の〈未来〉を背負い、〈過去〉と〈未来〉の狭間の今、足掻き続けるほかはない。

 

 

 

石井 匠/いしい たくみ

1978年生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期修了。博士(歴史学)。専門は芸術考古学、芸術人類学。研究対象は、縄文土器や現代の石神、岡本太郎にアイドルまで「日本文化」のあれこれについて考えている。現在、國學院大學研究開発推進機構PD研究員・國學院大學博物館学芸員(嘱託)、京都造形芸術大学・多摩美術大学非常勤講師、多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員、岡本太郎記念現代芸術振興財団『明日の神話』再生プロジェクトスタッフ。著書に『謎解き太陽の塔』(幻冬舎新書)、『縄文土器の文様構造』(アム・プロモーション)、共著に『縄文土器を読む』(アム・プロモーション)、編著に『島々の聖地』(國學院大學学術資料館)ほか多数。 http://researchmap.jp/takumi/