~Nociw ~  星物語

郷右近 富貴子

 


アイヌの人々にとって、夜空に広がる星々は季節の移り変わりを知らせるものであり、猟期を知らせるものであり、その吉兆を知らせ、方角を導き、かつて狩猟採集民族であったアイヌ民族にとっては、生活に密着したものでありました。
そして、自然界のほとんどを神々として信仰してきたアイヌ民族には、星にまつわる様々な物語が残っています。

長年、アイヌ民族の星や天体に関する研究や聞き取りなどを続けてこられた
「末岡外美夫」さんの遺作、「人間達(アイヌタリ)のみた星座と伝承」(※2009年1月発行 公益財団法人アイヌ文化振興研究推進機構 刊行)
という、素晴らしい本の中から、沢山のお話の中の一つの物語を紹介します。

※アイヌ語表記が困難な言葉があり、そのまま、載せている所があります。

撮影 : 新井文彦
撮影 : 新井文彦

~コィリル~(波のうねり)

マクワノハプ(空虚)の大方形を作る「アンドロメダ座」のα星から、東へ三等星のδ星、二等星のβ星(ミラク Mirach.2.03m M0Ⅲ)、更に東のγ星(アルマク Almak.2.28mK3Ⅱ)を結んでできる、やや曲がった直線をアイヌモシリ中・北部地方で、コィリル(koyrir>koy・rir 波・波=波のうねり)とよんでいた。このコィリル(波のうねり)は、その北に見えるヤーシヤノカノチゥ(曳き網星=カシオペア座五星)から寄せてくるという。

東海岸のアイヌは、コィリルの輝いて見える翌日の午後は、コィリルの星列が動くと海に大きなうねりが出ると伝えている。コイリルは、東海岸の北からクマネリル(kuma・ne・rir=横棒・のような・波=横に連なる小さな山のようなうねり)と呼ばれる。この地方では、クマネリルが霧やガスで見えない夜の翌日は、凪の日が多いと伝えている。ギリヤーク民族は、「アンドロメダ座」のαδβγ四星の列を「川」と見て、イ( I )あるいはエリ(eri)とよんでいた。
彼等の伝誦によると、悪魔に追われたシャーマンが東の地面から北の天の川に逃げこむ前に星を並べて小川を作り、追跡の時間を稼いだものだという〈E.Wilson. People of Asiatic Russia.1931〉。アイヌモシリ北部でも、この星列をケタナイ(keta・nay=星・川)とよんでいる。この星名についての伝承は皆無なので、ギリヤーク民族との関連については判らないが、何らかの関わりがあるのではないかと思う。

コイリルについては、次のような話が伝わっていた。
……………………………

『モシリパ(mosir・pa=国の・上手=東方[の岬])のコタンに二人の若者がいた。この者の名前が伝わっていないので、一人をカムィマ(Kamuy・ma=熊[の肉]・焼く)と呼ぶことにする。それは、彼が、イオマンテ(熊送り)の後で、熊の肉を焚き火に炙って食べたことに由来する。この二人は、もともと海漁が得意で、よく沖に出てハィナレ(延縄)の糸を垂れたり、網を引いた。この二人は、子供の頃に両親を亡くして、いずれも祖父母に育てられてきた。同じコタンで、育った様子も似ていたが、性格はまったく違っていた。カムィマは短気で陽気だったが、もう一人は気が長く優しかった。性格が反対なためか、二人の仲は、他のコタンの者までが羨むほどであった。その二人が仲違いをしてしまった。その理由というのが、次のような些細なことだった。
ある日の昼下がり、潮目が変わったので、二人は釣りをやめて寝そべっていた。海の上なので、二人とも静かにしていたがどちらからともなく話が出た。白い雲の浮かぶ透き通った初秋の空を眺めているうちに、空はどれほど高いかという話になった。雲は山の高さよりも低いのも高いのもあるという点で一致したが、空については意見がわかれた。とくに、星が空のどの辺にあるのかについては、完全に食い違ってしまった。そんなことで二人は口をきかなくなって、漁にもでなくなった。

ある日のこと、心配したエカシ(老人)が一人、カムィマをたずねた。一通りの挨拶が済むと、カムィマはエカシの問にぽつりぽつりと答えた。

「それではお前は星が空に浮いているのだというのだね」
「はい、そうでなければ星はながれません」
「それは、もっともだが、どんなものがういているのかね」
「遠くにあるのでよくわかりませんが、おそらく、大きな火のかたまりでしょう。その炎のために星がチカチカまたたくのです。星の下を通る月のように丸いのでしょう。もしかすると、太陽のように燃えているのかも知れません。」
エカシは、カムィマの言葉にいちいちうなずいて、帰っていった。
エカシは、カムィマの友達をたずねた。
彼は、ふてくさって伏せていたが、エカシを見ると、しぶしぶ起き上がった。
「お前は、星は天井の穴だというんだね」
エカシの問いに、彼はもぞもぞ答えた。
「そうです。彼の言うとおり星が空に浮いていると、ふらふらして、いつも星が動いています。ところがホヤゥ(龍=さそり座)は、いつみてもホヤゥです。これは、空に黒い屋根のようなものがあって、そこに穴が空いているとしか考えようがありません。」
「穴の向こうはどうなっているのかね」
「穴の向こうに火が燃えているか、あるいは、いつも昼なのです。その火の燃え加減で熱い夜の夏が来たり、寒い夜の冬が来たりするのです。何故なら太陽は初冬関係なく輝いています」
「なるほど、それでは流れ星をどう説明するかね」
「屋根の後ろの炎が、穴から洩れ出したのが流れ星です。焚き火でも炎が大きく燃え上がったり、火花が飛ぶでしょう。」
カムィマと、その友達は、エカシが聞いてくれたので、それぞれ自分の考えが認められたと思った。ところが、エカシは二人の話を聞いて、どちらも納得するところがあるので、判断に迷った。そうしているうちに時がたって、一年目の秋がめぐってきた。
ある日、カムィマと友達が久しぶりに出会った。
「やぁ」

お互いにはにかみながら挨拶をした。
そこは若い者同士、すぐに昔の仲に戻った。とんとん話が弾んで、また二人で漁に出ることになった。
ところが、何日かすると、また星の話が出て、二人とも気まずい思いをした。でも今度は二人は比較的に冷静で、相談の結果、西隣りのコタンにいるトゥスクル(巫者)を尋ねることにした。
二人を迎えたトゥスクルは、大口を開けて笑った。そうして涙をふきながら、こう言った。
「空に天井があるのも本当なら、星が丸くて燃えているのも本当。違うのは、その星が、燃えない土のような天井に貼りついていることだ」
それを聞いた二人は得心して岬のコタンに帰った。
その翌日の朝早く、二人は舟で沖へ出た。岬や見馴れた山脈が揺れて見えていたが、昼頃から風が変わって、オピシネレラ(=浜の方から吹く風)になった。そのため舟はどんどん沖に流されて、とうとう岬も山の峯も見えなくなってしまった。そして、夜が来た。一日中曇っていた空は、暗くなるほどに晴れわたって、一面が星で埋まった。風も凪いできた。二人は、水平線に低く見えるチヌカルクル(ci・nukar・kur=われら(人間)・の見る・カムィ=北斗七星)ペッノカ(pet・noka=川・の姿=天の川)にあるヤーシヤノカノチウ(曳き網星=カシオペア座五星)から、ポロノチゥ(大星=北極星)を見付けた。そして、ペッノカ(天の川)が天頂から正しく東西に流れていることを確かめた。時間と共に、ペッノカ(天の川)は、東の河口は南へ、西の河口は北へ移動する。そこで彼らは急いで西の河口を目ざして、漕ぎだした。しばらく漕ぐと、星明かりを通して岬と山脈が見えてきた。波も静かなので、二人は星を見上げては舟を漕いだ。そのうちに前の話はむし返された。
「それぞれの正しさを認めよう」
カムィマが叫ぶと櫂を漕ぐ手を休めた。友達も同感して漕ぐのを止めた。
「あそこにヤーシヤノカノチゥ(曳き網星=カシオペア座五星)がある。あそこに見えているのは、サマィエクルとオキキリムィのカムィだ。私は、二方のカムィに頼んで、網を引いてもらう。そうすれば星が動いて、波になって寄せてくるのが見えるだろう」
カムィマがそう言うと、友達も続けて言った。
「私もカムィに祈ろう。そして、同じヤーシヤノカノチゥの近くの穴から大きな炎を吹き出させてもらおう」
二人は舟の中で半身を起こして祈った。舟は潮の流れに沿って、陸と沖の間を漂った。

どれほどの時間が経ったのか、太陽と月が東空から昇り西に沈むこと六度。
その夜のことであった。ヤーシヤノカノチゥのヤー(カシオペア座γ星)の先に、突然明るい光が見えて大きな星になった。そして、そこから小さな星の波が起こり、つぎつぎに打ち寄せて、コィリルと呼ぶ四つの星の列になった。カムィは、二人の若者の望みを叶えたやったことになる。だが、二人の意見のどちらが正しいのか、それは分からずじまいであった。カムィマと友達は、それからも仲良く漁に出て、幸せな一生を送った。彼らは、孫たちにノチゥ(星)の話をせがまれても、笑って答えなかった。それは、ヤーの下に見えていた明るい星も無くなり、コイリルも波立たなくなったためである。彼らは、二人だけになると、いつも当時の話をして、ノチゥカントモシリの不思議さを考えるのであった。
〈 宮本エカシマトク、H・S、他 〉
……………………………

カムィマと友達が見た「カシオペヤ座」γ星の東南に輝いた星は、四00年以上昔の一五七ニ年(元亀三)11月11日頃から光りはじめた「ティコの新星」であろうか。デンマークの天文学者ティコ=ブラーエ(Tycho Brahe 1546-1601)は、この新星が現れた時から、見えなくなるまでの約16カ月の間、精細な観測を続けた。それでこの新星に、ティコの名が冠されている。「ティコの新星」は、一時金星に近い光輝を発し、白昼でも見えていたが、発見されてから約1年半後には光を失い、急に見えなくなってしまった。カムィマと友達の伝誦は、天文に関わるものとして異色だけでなく、「ティコの新星」をアイヌの祖先が見ていたという、貴重な体験の伝承でもある。

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祖先が見上げてきた、星々の物語や言い伝えが、今夜の夜空にも輝いている事の不思議…そんな物語が、いつもそばにあることに、改めて気がついた、七夕前の夜です。


 


郷右近 富貴子/ごううこん ふきこ

幼少よりアイヌ舞踊などを習いつつ阿寒湖アイヌコタンで育つ。3児の母。アイヌ料理屋ポロンノを家族で経営しつつ、阿寒観光汽船「アイヌ文化ギャラリー船」にて、アイヌ語り部として、ムックリやトンコリなどを演奏し、アイヌ文化を紹介している。姉・床絵美と’Kapiw&Apappo’というユニットで音楽活動を行っている。民芸喫茶ポロンノホームページ