「流れに流されて見える風景」vol3

高嶋 敏展

 

 


ドキュメンタリー映画の巨匠、姫田忠義氏の幻の著書「ほんとうの自分を求めて」を復刻するプロジェクト。
「3人よれば文殊の知恵」姫田忠義さんの事務所の押しかけ女房の今井千洋、出雲在住で独立独歩のデザイナー石川陽春、僕という不思議なトリオの無謀とも思える挑戦は混迷を深めながら、さらにさらに深まる。

クリエ・ブックスの場合の役割分担は東京チームが販売と広報、出雲がデザイン、制作を分担するようになっている。そもそも一冊の本を作るのに東京と出雲で別々に作業をしている状況はなぜ始まったのか。

これは今井千洋が「デザイナーにきちんと頼みたい。しかし、お金はない。心意気でやってくれるデザイナーなんて、そうそう見つからない」と言ったのが発端。

たしかに東京では見つからない。この本のボリュームを考えると、手弁当なんて規模でやれるものではない。
しかし、東京では見つからないが、出雲でなら話しは違う。デザイナー、石川陽春のプロフィールは実にシンプル島根大学大学院卒 デザイナーとして活動。以上、終わり。

石川陽春デザインワークス
http://ishikawakiyoharu.prosite.com/

しかも、大学では美術ではなく法文学部で古文書を読んでいたという。デザインは独学というあたりが写真を独学で覚えた僕とは気が合った。彼は本の装幀やデザインが一番やりたい仕事なのだが、出雲において本のデザインは印刷会社の片手間にやられる場合がほとんどで、外部のデザイナーが本の装幀を頼まれるのは稀なこと。
彼は何年も大きい仕事はwebばかりで退屈していたところだった。
「日本のデザイン界は君の名前を跡形もなく忘れたとしても、日本のドキュメンタリー映画と民俗学の学徒たちは君に感謝を惜しまないだろう」と、こんな甘い言葉で石川を口説いた。
歴史を大学院まで行って勉強した彼は元々、姫田忠義のすごさをもちろん知っていた。
出雲に帰ってから彼と打ち合わせに行った時点で、すでに図書館にある姫田忠義の著作を借りて読み込んでいた。「他の本を退けても残すべき本」というような事を言っていた。ここらあたりが出雲人の気質というか彼の性質なのだと思う。

東京の今井千洋と石川、僕の3人は無料の通話サービスのスカイプを使ってよく会議をやった。元々、デザイナーや本の編集者をやっていた今井千洋と彼はとても話しがあった。

彼らの考えは箱入りの豪華本はどうかとか、特殊な装幀にしてカバーや帯にこだわりまくってみたいとか、さまざまなドリームプランだった。
それに対して僕は予算がないんだから現実路線でさっさと作って、資金回収をして次にどんどん進もう、だったと思う。
そう、僕の座右の銘は「夢はかなう」ではなく「夢はさっさと叶えて次に行こうぜ!」なのだ。
僕の気持ちを知ってか知らずか、彼らは僕のわからぬフォントや行間や紙質の話しで盛り上がり、あるときのスカイプ会議ではあまりに専門的な内容に僕は飽きてしまったので、お湯を湧かして、コーヒー豆を弾いて、ゆっくり飲んでから戻って来てもまだ、同じような話しを続けていた。
この凝り性の二人とのミーティングはほんとうに楽しかった。

「ほんとうの自分を求めて」がなかなか完成できなかったのは、ひょっとすれば終わらせたくないという気持ちが僕らの中にあったからかもしれない。
いつであったか忘れたが、いつまでも出版できない本の話しを姫田さん自身
は、「デザイナーがうじゃうじゃいる東京ではなく出雲で本のデザインをするなんて、都会を出し抜いたみたいで愉快じゃないか」と苦笑していた。


さて、出雲ではデザインや装幀を進めてみると、挿絵やカバーをどうするか、という問題にぶち当たった。なぜなら、初版の挿絵画家は鬼籍に入っており、遺族の許可を取るか、挿絵やカバーのデザインを一新するかの判断が必要になるからだ。僕らは時代の空気に合わせて、表紙やカットを変えていきたいと考えた。

また、カバーは写真を使うか、イラストにするのか。
ここらも悩みどころであったが、思わぬところで突破口が現れる。

「ほんとうの自分を求めて」を読んでいても立てもいられずに、姫田さんを訪ねてきた東京芸大の卒業生がいると今井千洋が知らせてきた。彼に頼んでみてはどうだろうと。

被害者に限りなく近い心ある協力者が、次から次に現れるのは我々の日頃の行いが良いからだと3人で思わず笑った。しかし、お金の目処はまるでない。「俺もないけど心配するな、そのうち何とかなるだろう」と歌に歌われた心境でクリエ・ブックス編集室の暴走は止まらない。

 

 

 

高嶋 敏展/たかしま としのぶ

写真家、アートプランナー。1972年出雲市生まれ。1996年大阪芸術大学芸術計画学科卒業。

大 学在学中に阪神淡路大震災が発生。芦屋市ボランティア委員会に所属(写真記録部長)被災地の記録作業や被災者自身が撮影記録を行うプロジェクトを 企画。1995年~「被災者が観た阪神淡路大震災写真展」(全国30か所巡回)、芦屋市立美術博物館ほか主催の「震災から10年」、横浜トリエンナーレ 2005(参加)、2010年「阪神淡路大震災15周年特別企画展」、2012年「阪神大震災回顧展」など多くのプロジェクトに発展する。