ー天の色ー

 桑原 真知子

 

 

 

    地平線にそって空気がながれる

    空の色はやわらかく

    とおくちかく

    不確かな距離感で 祈りの声がひびいてくる

     

    花の色は 花青素と細胞液できまり

    風の色は 風青素と心の流れでる量できまる

    とおく大地から立ちのぼる祈りは

    青から碧へと深度をます 風の層に溶けこんで

 

    宙にとどこうとしている

 

 

 

「父と暮らせば」のチラシが届きました。井上やすし原作、ヒロシマの原爆を描いた父と娘の朗読劇。送り人の名前を見て、胸が震えました。東日本大震災以降、永らく音信不通になっていた、橋本ちあきさんからです。震災で被災し、関西に避難してました。「無事だったんだ」。

 

橋本宙八さん、ちあきさん夫妻にお会いしたのは、21年前でした。広島にあったシナジェティクス研究所を小田原に移し、リスタートのセッティングをしている時期でした。小田原にある「はじめ塾」という、不登校の子ども達が、集団生活を送りながら共に学んでいる私塾で、宙八さんの講義を聞いたのが始まりです。

福島の自宅兼診療所には、二度お伺いしました。

車で常磐道からはずれ、山道を空に向かって登って行くと、白樺や灰色っぽい幹の、細い枝振りの繊細な木が多くなり、薄い緑の木の葉がサラサラと風に吹かれてる様子は、広葉樹に慣れ親しんでいた目には、「これが東北の木」と印象的でした。急に開けた広い敷地に、診療所の建物と動物を囲う柵があり、その中に、山羊やポニーがいました。

「パスの家」と呼ばれる診療所の治療は、心と体の声に耳を澄ませ、玄米正食と半断食などで体質改善をして、生命のバランスを取っていくものでした。

幾人かの人に混じり、私も玄米正食と、二時間の山の中の散歩を体験させて頂きました。歩きながらベリーの実を摘まんで食べたり、地粉を塩水で練って枝に巻き付け、焚き火であぶったパンを頂いたり、フィトンチットが一杯の新鮮な空気に、体中の細胞が、伸び伸びと喜んでました。宙八さんは、私が玄米を食べ続ける切っ掛けを下さいました。

散歩の途中の休憩で、皆さんとお話してる時に、突然、震度4の地震でグラグラと地面が揺れ動き、こんな山の中でも地震があるんだと、妙な感覚に捕らわれました。それが、後年の東北大震災へと繋がっていたとは。

ちあきさんは、5人の子どもを自然分娩で出産した、自然と繋がっている方です。その5人の子ども達も、体内に自然の力がギュッと凝縮して、宿っているように感じました。

玄米正食を始めて2ヶ月経った頃に、突然、廃毒の為に声が出なくなり、23日そんな状態が続きました。その時、ちあきさんが偶然、研究所を尋ねて来られて、持っていた小さな玄米のお結びを下さいました。そのお結びを頂くと、体の中が楽になり、何時間か後には声が出るようになったのです。ちあきさんのシャーマン的な癒しの力を感じた、不思議な体験でした。

これ迄に、何度もお会いしてない方々なのに、鮮やかに心に残っていました。

 

29日、広島の観音にある真宗学寮であった朗読劇には、パスの家で、「おかげさま」を頂いた方たちも、集まっていました。

宙八さんと娘の朋果さん、松本匠子さん音楽の朗読劇は、圧巻でした。臨場感溢れる原爆の呼び起こしに、すすり泣く人が大勢いました。劇が終わり、宙八さんのお話がありました。

 『福島の山の中にある家は、老朽化してたので、70才、80才ともう一頑張りしようとリフォームし終わったのが、20111月でした。それから3.11があり、いわきの家は原発から24㎞圏内で、昔、チェルノブイリに二度行って原発被害のことを知ってたから、震災があった時、すぐに福島原発が危ないと思い、3.11の夜には、家族、お手伝いをしてた人、隣の友人達と、三台の車で福島を出ました。出発の前に、エスキーモーの人達の知恵で、[何か事があればまずは腹ごしらえ]と、一家でささやかにご飯を食べて、家を後にしました。留学してた子ども達を成田に送り、大阪に辿り着いた時には、被災から逃げてきた何台かの車が、後ろに連なってました。福島では、甲状腺に異常のある子ども達が、75人います。』というお話でした。

天災や人災が続く中で、先人の知恵や自分の体験で、皆の命を繋ぐことができた、その勇気と家族力に感服しました。人の色を決定する要素は、きっとそんなところに在るのでしょう。

現在は、移り住んだ京都で始めた‘Vege Cafe & Dining TOSCA’を拠点に、家族で新たな一歩を踏み出し、活躍されています。

 

 

 

桑原 真知子/くわはら まちこ

広島県生、空見人。多摩美術大学絵画科油画課卒業。広島大学文学部考古学科研究生修了。草戸千軒町遺跡にて、遺物の漆椀の図柄の模写や土器の復元を行う。シナジェティクス研究所にてCG担当とモジュール作成などを経て、現在は魂を宙に通わせながら作家活動を行っている。