12年のサイクル 

渡村 マイ

 

 

 

久高オデッセイは人をつなぐ映画だ

同時代に存在する人と人をつなぎ、

また、過去と未来をつなげた。

 

 

 

私が大重監督に出会ったのは

久高オデッセイの撮影が始まった2年目のこと

まさに監督が倒れる直前だった

何度目かに会った時はもう病院で、息子の生さんが 駆けつけてきたところだった

 

その後、第一章が完成した

私は映画そのものの制作に技術的には全く貢献できず

ただ、学生生活の合間に事務所に行き、島の撮影に同行したりしていた

 

そして、単に、

大重監督の言葉や存在自体からたくさんの影響をもらった一人だった

 

今でも監督の言葉を 書き溜めたノートを見ると

グッと胸に迫るものがあり、

鮮明に監督の声が聞こえてくる気がする

 

 

大重監督に初めて出会った時、

私は何の計画もなく2週間も久高島に滞在し続け、

導かれるように、島の祭りを島の人と一緒に楽しんでいた。

そして島で、監督をはじめとする大切な人々に出会った

身体的にも精神的にも、人生が大きく変わった

 

監督と出会った2週間の久高島の旅は

私の人生の中でも大きな変化のタイミング

 

いまでも久高島は私とってひとつの「原点」

私は久高で一度生まれ変わったと思っている

だから、久高の神様には心から感謝している

 

それから私は沖縄を離れ、大学院進学のため東京へ移り住んだ

ちょうど東京へ移住するタイミングで世界宗教学会が開催され、

その学会直前に完成したばかりの第一章~結章~のビデオを持って、

数名の参加パネリストに届けていた

 

そのパネリストの一人が大学院で師事したアメリカ先住民のフィールドワーカーである阿部珠理教授だったのも、ただの偶然ではないような気がする

 

 

タバコを吸いながら

独特の間合いで話す監督

 

ハチャメチャで豪快 嵐か台風か、荒波のように圧倒されることもあれば

 

風に小さく揺れる小さな花や生き物の繊細さや 

その命を慈しみ 心で受け止める

 

大重監督はまさに「大自然」そのもののような人で、

 

その監督の周りにはいつも多くの人が集まっていた

 

 

 

久高オデッセイは、起承転結ならぬ

「結」章からはじまり、「生」章、「風」章で終わる

それは監督が向き合った久高島であり、

また、監督の映画制作のプロセスそのものを現しているようだった

 

人と人を結び集めた第一章~結章~

きっと監督が倒れていなければこれほど多くの人が関り、それぞれの人生を共有することはなかったはずだ

 

そして第二章~生章~ 監督が生死のはざまで

祈りのように映画に息を吹き込んだ

朝日を頼りに消えそうな記憶をたどる監督

「日々生まれ変わっているようだ」と言っていたあの時

 

島の自然や生命と共鳴する“響き”の中に監督自身もいて

島を撮り続けていた

 

第三章~風章~ 監督の手を近くで支える人が強く握りしめながら支えて、

それからたくさんの手が重なり

この久高オデッセイ、まさにオデッセイが完成した。

 

 

島を吹く風がこの映画を運び、人を集めた

都会の真ん中で、映画館に多くの人が詰めかけ、

島の未来を照らす光が映し出された

 

 

 

気集まれば生 気散ずれば死

 

結で始まり、島の息吹を含み、

風となって放たれたこの久高オデッセイ3部作は

監督の生きた証をきざみ

確かな島のあたらしい息吹を映し

そしてこれからの時代へのメッセージとして

私たちそれぞれの頭上に放たれた。

 

 

私は監督にたくさんの言葉と愛をもらった

時折電話をくれる監督に

私は何もすることができなかったけれど

私にとっては監督は偉大な存在だった

 

 

 

久高島に関ること12年、

今回、大重監督とのお別れのための沖縄に行き、

久高島に滞在した。

 

何か自分の中でひとつの巡り、ターンが終わった確かな感覚があった

 

 

それは言葉ではうまく伝えられないけれど

何かの区切りがついて、ストンと、心の中で腑に落ちた感覚

そして、4か月になる自分の子供と一緒に来たことにも

何か意味があるような気がした。

 

私の中で何かが終わった

そして新たにはじまったことを確認した

 

 

 

新しい「いのち」

最終章に映し出された

島の子供達の活き活きとした様子や、赤ちゃんの成長

マニキュア&ピアスの若い女性の神人

 

イザイホーは、イザイホーという形でなくても。

島に息づく日々の祈りは淡々と行われ、「地下水脈」のように湧き出て、流れ続けている。

 

それを見届けた久高オデッセイ

 

それを見届けた大重監督

 

今の時代に伝えたかった、終焉と再生

 

それはこれからの道しるべとして監督が伝えたかったこと

 

 

大重監督の生き様は

まさに「生ききった」というに相応しい

計り知れない強い意志のもと、

その意志を全うするために命を燃やした

 

「生きる」ということを鮮烈に教えてくれた

 

 

そして、監督の意志は

映画という形でこれからも生き続けていくのだと思う

 

 

監督が12年の歳月をかけて完成させた久高オデッセイ

その共鳴する人の繋がりのなかに私も関ることができたことに

心から感謝しています

 

大重監督、ありがとうございました

 

そして、久高オデッセイに宿る監督のいのちが

久高の静かな波のように

次世代のいのちに広がっていきますように

 

 

2015.7.26 久高島にて




渡村 マイ/とむら まい

静岡県藤枝市在住。琉球大学で八重山芸能研究会で活動を行う一方、沖縄映像文化研究所の活動に関わる。立教大学院文学研究科比較文明学専攻にて、アメリカ先住民の文化を学んだ後、故郷である静岡県藤枝市に帰郷。ドキュメンタリー映画上映会などの活動を開始。2009年より地元観光協会に在籍、地域を紹介する「たびいく」冊子を取材・編集。地域素材の魅力発信、地域人に出会う「ローカルツーリズム」を提唱。2012年トヨタカローラコレカラパーソン静岡代表。現在、NPO SACLABOを立ち上げ地域をフィールドに地域活動を展開中。