アースフリーグリーン革命あるいは生態智を求めて 19 

東京自由大学と「自由」

鎌田東二

 

 

NPO法人東京自由大学は、通称「自由大学」という。なぜ「自由」大学なのか? 人が生き、活動していくために、「自由」が何よりも重要と考えるから。

もちろん、その「自由」は自分勝手に何をしてもいい、という傍若無人、無制限の自由ではない。利己的自由ではなく、本来的自由というか、「自己に由る」、自己本来に立脚するという意味の「自由」である。自己に根ざす自由、自己に根付く自由、そして、それを基に、他者と繋がる自由。「自由」の自由性を自己探求する「自由」。自他の自由を担保する「自由」。

そんな「自由」を考えつつ、「東京自由大学」を設立した。その名前を思いつき、設立準備を始めたのが、199855日。あれから19年。来年は20年になる。節目の時を迎え、東京自由大学も20周年の時を記念することになる。

 

そんな節目の時となるのだが、設立時にほぼ予見した通り、時代は混乱を極め、「乱世」と言うほかない情勢になっている。困ったことだが、これも時の流れ、世相、時代というものであろう。

振り返ってみれば、明治、大正、昭和の各時代にもそれぞれ戦争は起こった。明治時代には、西南戦争、日清戦争、日露戦争など。大正時代には、第一次世界大戦。昭和時代には、日中戦争や太平洋戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争など。特に、昭和の太平洋戦争では広島・長崎に二発の原子爆弾が投下され、甚大な被害を被った。その戦争体験の反省から現行の「日本国憲法」はできた。だが今、自民党などが憲法「改正」(本当に「改正」と言えるか?)しようとしている。「日本国憲法」も崖っぷちのところに来ている。

平成となって29年、まもなく30年の節目を迎える。この平成時代には自然災害が相次いだ。1995年阪神淡路大地震、2004年新潟県中越地震、2011年東日本大地震、2016年熊本地震。4回もの大地震。まだ起こってはいないが、近未来的には南海トラフ巨大地震が高確率で予告されている。加えて、竜巻、豪雪、台風・洪水(水害)、とりわけ、201194日の近畿地方大水害は、200ヶ所以上の近畿山林の深層崩壊を伴った。天河大辨財天社も社務所が天井近くまで浸かった。有史始まって以来の大水害と言われ、その爪痕は今なお生々しく残っている。

 

そんな災害多発の自然の乱れが、人心や社会の乱れと微妙に作用し合っているのか、乱れの連鎖は止まらないように見える。そして、そんな混乱に乗じて「自由」が侵害されつつある。

 

明治22年(1889)に公布された大日本帝国憲法の第二章は「臣民権利義務」が記されている。その第22条と第28条と第29条に次のような「自由」が記載されている。

 

「日本臣民ハ法律ノ範囲ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス」(22条)

「日本臣民ハ安秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」(28条)

「日本臣民ハ法律ノ範圍ニ於テ言論作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」(29条)

 

明治時代の大日本帝国憲法において、「日本国民」はいない。もちろん、「基本的人権」もない。そこにいるのは、「大日本帝国天皇の赤子」である「日本臣民」である。そして、法律に定められた「自由」は限定的だ。部分的「信教の自由」「言論・集会・結社の自由」。「法律の範囲内」でとか、「安寧秩序を妨げず、義務に背かない限り」でとかの限定的「自由」。

それに対して、天皇は実に巨大な権力を付与されている。次のように。

 

大日本帝国憲法

第一章 天皇

第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ

第六条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス

第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス

第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス

第九条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス

第十条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各其ノ条項ニ依ル

第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第十二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第十三条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

第十四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第十五条 天皇ハ爵位勳章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス

第十六条 天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス

第十七条 摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル 摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ

 

「日本臣民」の限定的「自由」や権利に対して、この「万世一系」の天皇の権力の巨大さは日本史上でも明治時代以降の大日本帝国憲法での規定が初めてのことである。

大日本帝国憲法の主権は天皇にあった。天皇は国家元首であり、統帥権の総攬者である。その「天皇大権」は、国務大権・統帥大権・皇室大権を内包する。国務大権は律法や行政や司法全般を含む。また陸海軍を統帥する統帥大権。そして皇室典範を自由に改正する権能の皇室大権。ここにおける帝国議会の位置付けはさまざまな大権を持つ天皇の協賛機関にすぎない。そこにおいて、御真影や勅語がいかなる権力を持っていたか、想像に余りある。それらは単なる権威ではない。実効性のある権力の証憑なのである。

 

この世界史的に見ても大変強力無比なる「天皇大権」を規定した大日本帝国憲法が、昭和21年(1946)に「日本国憲法」に改正された。その第一章は、大日本帝国憲法と同様、天皇についての規定であるが、その内容は大きく異なる。

 

日本国憲法

第一章 天皇

第一条 天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。

十 儀式を行ふこと。

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 

大日本帝国憲法第一条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と日本国憲法第一条の「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」との違いは大きい。この天皇大権と国民主権との違い。そして、日本国憲法は「日本国民の総意に基づく」地位として、「日本国の象徴」としての天皇を規定する。この「日本国民の総意」ということが、昔も今もわたしにはよくわからない。何を以て「総意」と言うのか? 憲法学者に訊ねても、明確な答えが返ってきたことがない。曖昧なままである。

日本国憲法は、第一章は天皇条項であるが、第二章は特に「戦争の放棄」を規定する。これも世界の憲法史の中でも大変異例なものであろう。

 

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

こんな憲法を普通の国家も国民も定めることはできないだろう。戦争を永久放棄するなんて、凄すぎる憲法である。この絶対平和主義は世界史上唯一無比のものだろう。かえすがえすも、日本という国は極端から極端に移行する国である。明治の大日本帝国憲法下の「天皇大権」も異例中の異例と言えるものだが、この昭和の日本国憲法の戦争永久放棄も異例中の異例であろう。世界の思想史や精神史を踏まえて、この異例な異様な憲法を未来性を持った憲法として最大限に尊重し価値づけることができれば、この類稀なる理想主義は世界史に燦然たる光を放つと思うが、これを研き、最価値付け、世界発信する者が少なすぎた。その努力も怠った。戦後の日本国民はこの日本国憲法に甘えてきたと言える。

その日本国憲法での「日本国民」の権利と義務は次のように規定される。

 

第三章 国民の権利及び義務

第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。

第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

 

日本国憲法というのは、凄い。「永久」という言葉が何度も使われるのだから。これははたして法律用語と言えるのか? 疑問に思うくらいである。

戦争の「永久放棄」と、基本的人権の「永久権利」が、日本国憲法の二大「永久」価値である。だが、今国会で行なわれつつある、いわゆる「共謀罪」の制定論議も含め、この日本国憲法の二大「永久」価値があっけなく潰え去ろうとしている大変な危機の中にある。

 

日本国憲法というのは、不謹慎だが、読めば読むほど滑稽なくらい、面白すぎるくらいに力みかえっているのがよくわかる。憲法規定としては異例な「永久」概念もそうであるが、次の憲法前文もまたそうである。

 

<日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。>

 

言葉として、神とか絶対とかと同様の究極概念である、「永久」の他に、「永遠」という語や「普遍」という語が強調されているのだから。日本国憲法は、「人類普遍の原理」に基づくとか、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とか、「恒久の平和」を願うとか、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」するとか、凄すぎる究極語のオンパレードである。

その日本国憲法の「永久」性、「恒久」性、「永遠」性、「普遍」性が疑われ、異議が出され、憲法改正に突き進もうとしている。とすれば、その永久も永遠も虚妄であったということだ。

なんたること! この欺瞞。このいい加減さ。この原理原則の無さ。

 

嘆いても始まらないが、この特異な理想主義憲法の思想性とそこに込められた「自由」の深さを祈りを我々は再度再再度何度でも再認識し再確認し再措定していく必要があるのではないか。

確かに、日本国憲法は言葉は力みかえり、ぎくしゃくしている。だが、そこに込められた理想主義の強度は思想として非常に大きく深い世界史的意義と未来性を持っている。1998年に東京「自由」大学を準備し始めた時、やがて「自由」が侵害される時が襲ってくるという予感があった。乱世にはどの国も戦争準備や自国防衛に汲々とする。そして侵略と防衛の間を往復し始める。

だがそこに、戦争の永久放棄をした国が一ヶ国でもあって、その意味を愚鈍で愚直なほどに保持し世界発信し続けたとしたら、未来にどのような燈火となり、力となり、オアシスとなるか。

「自由」が危機にさらされているこの時、東京「自由」大学の「自由」の意味とはたらきと力を再確認する時でもあると思う。

 

 

 

鎌田 東二/かまた とうじ

1951 年徳島県阿南市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科神道学専攻博士課程単位取得退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科 学専攻単位取得退学。武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授を経て武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授、京都大学こころの未来研究センター教授を経て、201641日より上智大学グリーフケア研究所特任教授、放送大学客員教授、京都大学名誉教授、NPO法人東京自由大学名誉理事長。文学博士。宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学などを専攻。神道ソングライター。神仏習合フリーランス神主。石笛・横笛・法螺貝奏者。著書に『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)『翁童論』(新曜社)4部作、『宗教と霊性』『神と仏の出逢う国』『古事記ワンダーランド』(角川選書)『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)『超訳古事記』(ミシマ社)『神と仏の精神史』『現代神道論霊性と生態智の探究』(春秋社)『「呪い」を解く』(文春文庫)『世直しの思想』(春秋社)『世阿弥』(青土社)『日本人は死んだらどこへ行くのか』(PHP新書)など。鎌田東二オフィシャルサイト