東京自由大学会員 

リレーエッセイ 第八回

 

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木のおもちゃで人々つなぎ!

曽我部 晃 

 

 

3トントラック1台分の木の移動おもちゃ美術館セットで日本全国各地どこにでも出向き、たくさんの子どもたちと家族を集わせ、地域の人々をつなげている移動おもちゃ美術館がある。『木育キャラバン』と呼ばれるこの移動おもちゃ美術館は、2009年10月のスタートし、今年で8年目を迎え、毎回1500人から5000人の来場者をカウントしながら、2015年度内だけでも43回の開催を重ねた。ほぼ毎週末、日本のどこかで、たくさんの木のおもちゃと出会い、新鮮な体験を楽しむ人々の姿がある。

 

ところで、今これをお読みになっている読者の皆さんは、木のおもちゃで遊んだ体験はお持ちであろうか。遊んだとしたら、それはどのようなおもちゃか。また、木のおもちゃにどのようなイメージを抱いていらっしゃるのだろうか。

『木育キャラバン』の隊長(現場館長)として私は毎回、サポーターとして参加してくれるスタッフにこの質問を投げかける。

木のおもちゃで遊んだ多く方に共通するのは、そのおもちゃが「積み木」であること。そして「今でも実家のどこかにありそうだ」ということ。つまり捨てられていないということ。この「捨てられていないおもちゃ」という事実は凄いことではないだろうか。考えてみてほしい。今までいったいどれだけのおもちゃを買ってもらい、あるいは自分で買ったか、を。そのおもちゃのうち、今、具体的に思い出すことができて、しかも、もう一度、家の中で手に取ることができるのなら、そのおもちゃは、まちがいなく自分の生い立ちにとって、かけがえのない存在となっているのだ。また、「あたたかい」「ぬくもりがある」「手触りがいい」「重さがいい」などは木のおもちゃ経験者の多くが語ってくれる共通イメージだが、こうした感触と実感は、「捨てる/捨てない」という選択に影響を及ぼしていると思えてならない。人間の成長、そして人生に、これまであまり言語化されてこなかったが、確かな「重み」を持って木のおもちゃがあることは、私にとっては経験的に確かなことに感じられる。

 

今から9年前の2009年に、私が『東京おもちゃ美術館』の多田千尋館長からこの移動おもちゃ美術館の企画立案を依頼されたとき、最初に考えたのはこれを「木のおもちゃ専門」とすることだった。その当時、木のおもちゃはおもちゃ屋さんの店頭からほぼ姿を消していた。もし「移動おもちゃ美術館」が社会貢献をできるとすれば、それはデジタルおもちゃは言うに及ばず、ひととき電気仕掛けやプラスチック/金属製のおもちゃから逃れ、木の香りに包まれながら、木のおもちゃだけを遊び尽くす機会を創出すること。そして人々のなかに木のぬくもり、木の感触を復権させることしかないと思った。

 

東京都新宿区四谷にある『東京おもちゃ美術館』。2008年開館の、このアナログおもちゃの殿堂は、廃校となった小学校に居を構え、年間14万人の来館者を数えて、今では東京の新名所として遠方の方にも知られる存在となった。『木育キャラバン』はこちらの移動バージョンという位置づけで活動している。

 

今回、東京自由大学ウェブマガジンというよい機会をいただいて、この『木育キャラバン』を乗り物として、木のおもちゃのこと、木育のこと、そして日本各地の地域起こしのこと等をお伝えしていきたい、と思う。読者のみなさんには、ぜひ木のおもちゃのキャラバン隊の窓から見える世界を共有していただきたい。そこから見えるのは、今の日本の若い家族であり、過疎の山村が再生していこうとするプロセスであり、産官学民の新たな恊働の姿である。なによりスローガンとしての地方創世とはひと味違う、地域の人々のリアルな情熱と意欲をも合わせてお伝えしていきたいと思う。

 

 

 

曽我部 晃 / そがべ こう 1961年、東京都荻窪生まれ。木育キャラバン(グッド・トイ キャラバン隊長(現場館長)プランニング・ディレクター)。東京おもちゃ美術館理事。音楽家としても活動中。神道ソングライターTonyこと鎌田東二氏と共に、タイMAN歌合わせ(ライブ)を10年間行った。 http://mori-zukuri.jp/tsukau/interview_sokabe-akira