神楽と縄文3

三上 敏視

 

 

 

今回は神楽と「柱、棒」について紹介してみたい。

 

縄文文化には信仰と深く関わる「石棒」が存在していて、祭祀の場などの地面に立てていたと考えられ、これは諏訪の「御柱」にもつながっていると言われている。

これは自然信仰の中で巨木をご神体として見るようになったし、そのあとの神道でも神を数える時に「柱」と呼ぶし、伊勢神宮でももっとも重要なものは「心の御柱」だし、この場合の柱は神の依代となるもので、縄文からの信仰を伝える「柱、棒」は「御幣」にもつながっているということになるだろう。アイヌのイナウも囲炉裏に立てるのは棒だし、外の祭壇に並べるヌササンはまさに「柱」だ。

http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/main/aynu/07

だから「柱、棒」は神楽だけでなく、この列島の古来からの信仰と深く関わっているわけだが、縄文の石棒には「男根」の意味も考えられ、女陰を思わせる「女陰石」とセットでの「陰陽石」も各地でプリミティブな信仰の対象になっている。

この「男根」としての「柱、棒」は神楽ではおなじみの存在となっているので「依代」としての「柱、棒」と生殖信仰としての「柱、棒」の例を挙げてみたいと思う。

 

まず依代としての「柱」で最も印象的なものは宮崎県米良地方の西米良村所神楽や東米良の銀鏡神楽、中之又神楽、尾八重神楽などで立てられる「シメ」と呼ばれる巨大な造形だろう。銀鏡ではこれは天照大神をはじめの天神地祇を勧請する柱で、シメの元には山と呼ばれる椎の木を山の形に立て並べられたものがあり、ここにも御幣が差される。「山」と「柱」と古くから信仰されている神の依代が組み合わされているわけだ。

 

椎葉神楽でも願成就の年に大掛かりな「大宝の注連(しめ)」が立てられていたが絶えている地区が多く、今では保存のために数年に一度立てる地区があり、嶽之枝尾では毎年立てている。依代、神籬として大きな注連を立てるところは九州に多いようだ。


それから山口県や福岡県の周防や豊前では、柱を立ててそこに登り綱を伝って下りてくるという演目がある。

もっとも有名なのは岩国の「行波(ゆかば)の神舞(かんまい)」で、ここでは「八関」という演目の中で「松上り」が行われる。今は30メートルほどの赤松の柱(上り松)を立てていて、一本では足りないので二本繋げているようだが、もともとはこれほど高くはなかったと言う。

 

ここに白装束の松上り役が登っていき、円形に張られた赤、白、銀の三色の紙を破り、松の小枝を折って下に投げ落とす。これを地元の人達は縁起物として競って拾う。この神は「日月星」の説もあれば他の神々の説もいくつかある。紙を破るのはそこまで上がった証拠となるのだろうか、この神舞は願舞とも呼ばれていて、強い祈願から生まれた祭りで、上がった松からこれを支える三本の綱のうちの一本を伝ってゆっくりと降りてくるのは命がけである。これにも「生まれ変わる」意味や「神の降臨」など諸説あるが、とにかく巨大な柱が祭りにとって重要なのだ。

 

豊前神楽では高さは10メートルほどと高さでは行波に及ばないが、「湯立」という演目で滑りやすい竹を立て、そこを鬼神の面を着けて登るのである。登った上では紙吹雪を散らしたり、花火をつけたり、逆さになってみたりといろいろ見せ場を作って、やはり綱を使って降りてくる。豊前神楽でも最大の見せ所になっている。


 

そして男根としての棒だが、これは道具として持っているがあまりこれを必ず使うわけではない神楽と、必ず出てくる神楽がある。おおざっぱに言って、前者は早池峰神楽など東日本、北日本の神楽ということに、後者はそれより西に、ということになるだろうか。遠野には金精様信仰があり、これとの関係か早池峰系の神楽では男根状の採り物(道具)を「金精」と呼び、「天王舞」と「橋掛け」で使われる、あと使いはしないがそれを表す所作をする狂言もある。

奥三河の花祭では「味噌塗り」「すりこぎ」などと呼ぶ道化的な面が出てきて棒に塗った味噌を観客の顔に付けて回る。特に女性が対象になるので生殖信仰を表しているのだろう。神楽に分類されていないがいろいろな祭りの要素を持つ長野県の「新野の雪まつり」では「ホッチョウ」と呼び、ここでは女性の顔だけを棒で撫でて、撫でられた女性は必ず妊娠するという言い伝えがある。

 

そして九州、宮崎では米良地方を中心に男根が多く使われている。「へやの神」「ばんぜき」「歳の神」などと呼び方は様々で、なぜかアメノウズメが持ったり、道化が持ったり、いろいろだが、やはり簡単に言えば五穀豊穣、子孫繁栄、陰陽の道を説く、などの意味が考えられていて、子どもたちが見ていようがお構い無しで出てくる。日南市の春神楽、九社神楽では男根に紙が付くようになっていて、子どもたちが喜んでお札を付けていた。

この列島の本来のおおらかな性の文化が残っているとも考えられるし、神楽、祭が盆踊りと同じように「性の解放」の場であったことにも関係があるだろう。

他のエリアでもあるだろうし、神楽以外でも男根の祭りは多様にある。縄文以来の「棒への信仰」がまだまだあり神楽には色濃く残っているのである。

このような習俗がPTAや教育委員会などの馬鹿げた圧力でなくならないことを強く願う、すでに全国的にはそのような理由で禁止させられたり自主規制した祭りがたくさんあるという。

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日 本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別 冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシン グ)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオ ジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉 納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われて いる。多摩美術大学美術学部非常勤講師。