ニワトリと家の周りで見られる野鳥たち
手賀沼で鳥を見ること
海津 研
昨年は地元我孫子にあるブックカフェ「NORTH LAKE CAFE AND BOOKS」にて春と秋に絵の展示をさせていただいたのですが、「手賀沼の生き物」、「手賀沼の鳥」と、どちらも「手賀沼の」というテーマを選びました。それは会場のカフェが手賀沼の近くにあることもありますが、あらためて自分と手賀沼との長い関わりを考えたからでした。
その手賀沼と自分の関わりは、我孫子に引っ越して来た中学3年の夏に遡ります。その前も隣の柏市に住んでたのですが、我孫子の家の方がすぐ近くに田んぼが広がり、手賀沼もだいぶ近くにありました。引っ越して来てすぐの夏にその沼のはずれのあたりの水田で蛍(ヘイケボタル)を見たのも驚きでしたが、高校にあった「自由研究」という授業で、手賀沼でのバードウォッチングというテーマを選び、手賀沼通いがはじまりました。
手賀沼と言えばその頃まだ、全国の湖沼水質汚濁ワースト1というイメージが強く持たれていたと思います。その「水の汚れ」の実態として水質の「富栄養化」という言葉を知ったのは、『手賀沼の生態学』(浅間茂著/崙書房)という本でした。それは特別な有害物質が流れ込む「公害」とは違って、適量であれば生物にとって栄養分となる物質が、生活排水の増加などで大量に流れ込んだ結果とされ、私たちの生活の変化がもたらした事とすれば、肥満などの生活習慣病に通じるものかも知れません。
さて、そんな手賀沼でのバードウォッチングですが、望遠レンズ付きのカメラを買い、図鑑を見ながらとにかく沼に足を運ぶうちに、汚れた沼、というイメージの場所にたくさんの種類の鳥が見られることに驚いてしまいました。
昭和の終わり頃、日本の高度成長期の終焉に子供時代を過ごした僕たちの世代は、とにかく大人たちから「自然が少なくなった」と言われ続けて育った気がするのですが、それでも見ようとすればまだこれだけの生き物が見られる事、それが自分にとって大切な事であると気付きました。
それから、美術大学に進み、自分の表現を模索する中で、たまたま「たけしの誰でもピカソ」というテレビ東京でやっていた番組で、一般応募者が作品を発表して審査の点数を競い合うという「アートバトル」というコーナーに出場して、注目を集めたことがありました。その時作ったのが「虫」をモチーフとしたオブジェなどの作品で、それは美大で習った事よりも子供の頃好きだった細かい工作とか、虫そのものに通じるものがあり、あらためて自分のやりたい事に出会った気がしたのです。その時も作品を構想したり、素材を集めるために(本物の虫の死骸なども作品に使っていたので。)自宅の周辺の林や草原が残っている所などをあちこち廻るなかで、やはり家の周りで多くの種類の虫が見られる事に驚いていました。
そして、虫を見るという楽しみを得ることで、手賀沼の周りだけでなく地元の様々な場所に足繁く通ううちに、もうひとつ気付いていったことは、家の周りに昔ながらの雰囲気を持った農家などがまだ多く見られることでした。
手賀沼は江戸時代ごろから、新田開発のため多くの場所が干拓されてきました。その干拓地を流れる水路が利根川に注ぎ込んでる、その川の対岸には民俗学者の柳田国男が少年時代に暮らした家がありました。昨年春の展示の時に、『柳田国男と今和次郎』(平凡社新書)、『災害と妖怪』(亜紀書房)などの著書を出されている畑中章宏さんにトークショーをして頂いたのも、僕が鳥や虫を通じて地元の自然を見て行くなかで、自然と人との関わりとその歴史に興味が向いて来たことに繋がっているのかなあと思っています。
もともとは東京湾に流れる川だった利根川が、江戸時代に大規模に流路を変えられて、今の銚子市から太平洋に注ぐことになり、利根川の水運が栄えることになりましたが、ここ近年手賀沼の水質が最近改善されてきたのも、利根川から取水した水を沼に流すという土木工事の賜物でもあることは、人と水辺環境との関わりの変遷を考えさせられることでもあります。それは「実用」から「癒し」への変化と言えるのかも知れませんが、それによって人と自然との距離は近づいているのか、離れているのか。
冒頭に書いたカフェで秋に展示をした時には、近代詩の楽しみ方を伝える「ポエトリーカフェ」を各地で開催されていて、著書に『心に太陽をくちびるに詩を』(新日本出版社)のある、pippo(ぴっぽ)さんに、「鳥の詩」というテーマでイベントを開催して頂きました。そこで紹介された明治・大正時代から戦前の、鳥の出て来る詩を読んでいると、自然環境は大きく変わったかもしれないけれど、鳥を見る人の気持ちはそんなに変わらないのかなあ、と思います。人の暮らしが近代的になっても、身近な虫や鳥といった野生動物の暮らしは昔から変わらない事、それに触れる事はやっぱり人間にとって何か大切な事を思いださせてくれるような気がするのです。最近では「生物多様性」という言葉を耳にする機会も増えたかと思いますが、様々な生き物の「生き方」の多様性に気付くことは、自分の心の多様性や豊かさに繋がる事であり、それはある意味でとても「社会的」なことではないのかな、というような事を最近は考えています。
海津 研 / かいづ けん
美術作家。千葉県在住。東京芸術大学デザイン科卒業。テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」アートバトルにて第7代グランドチャンピオン。沖縄のひめゆり平和祈念資料館製作の「アニメひめゆり」原画を担当。主な作品に、宮沢賢治の「よだかの星」を原作としたアニメーション「よだか」などがあります。