自然という、命のふるさと

高橋あい

 

 

 

日本のふるさとが、ひとつ、またひとつ、消えていく。

東日本大震災の時に映された「水に流される家の風景」が、伊豆大島や広島の土石流災害の時に映された「集落が土砂で埋もれた風景」が、テレビや新聞で繰り返し映し出す。今年は、雨の少ない梅雨と、降り始めるとその加減をどうにも出来ない集中豪雨が、日本全国を襲いました。テレビを持たないため、普段はこれほどまでに目にしないニュースも、勤め先の老人ホームでは、日中テレビが付けっぱなしになっているため、目や耳が拒むことが出来ず、ただ、流される情報に対して、現地を祈るばかりでした。

 

原子力発電所の安全神話と同様に、コンクリートの強さを過信する時代は、とうに過ぎてもいいこの時代なのに、東北では巨大防潮堤の建設は進み、都市のスクラップ&ビルドをやめることを考えようとしない。

 

かつて、癌手術のために上京していた大重監督と、入院している順天堂大学の周りをよく散歩しました。「もしも、久高オデッセイが完成したあとに、もう一作創れるとしたら『東京原住民』という作品を作りたい。そのときは、また手伝ってくれよ。」と何度か話を聞いていました。東京にも、まだ全滅ではないだろうが、原住民がいる。小さな商店を営んでいたり、土地を持っている人は、そこで農業をやっていた人も少なくなかった。けれど、ほとんど全ての駅と駅周辺は再開発計画がされ、親子代々続いていた商店の後継者問題と道路拡張などいくつかの理由で立ち退く店が増えた。豆腐屋、八百屋、肉屋、魚屋、乾物屋、練り物屋、駄菓子屋、東京でも営みを続けてきた職人たち、都市の中で代々暮らしてきた人たちと、東京の原風景を撮りたかったのだ。

消える風景を目の前に、私たちが孕むストレスは、無意識のうちにどう身体が受取っているか、計り知れない。

 

京都大学こころの未来研究センター刊行「愛する者をストレスから守る」の中に書かれているカール・ベッカー氏著「なぜ、いま、瞑想なのか」という研究論文に、現代人のストレスについての記述があります。(以下一部要約)

 

現代社会は、ストレス過多社会であり、ストレスには二通りある。一つは無意識的なもの、もう一つは意識的なもの。つまり、自覚できないものと自覚出来るものの二種類がある。

無意識的なものには、パソコンや蛍光灯のちらつき、騒音、食品添加物などがあり、これらはストレスと感じなくても、身体にとってはストレスになる事例が上がっている。また、猿が人間と同様なストレスに対面した時の反応として記述されている内容はなるほどと思えるものであった。食事中に天敵のマムシに出くわした時、猿の体内には三つの変化が起きる。1、胃散が増える(消化機能停止)、2、血液がドロドロになる(マムシにかまれた場合に多量出血を防ぐ)、3、血圧と心拍数があがる(2で生まれやドロドロ血液の循環させる)の3つである。大事なのは、このあとで、猿はマムシが見えなくなるまで10分も20分も走ることによって、マムシと対面したことで生まれるストレス(三つの変化)を調整するという。

私たち人間は、無意識的にも意識的にも抱えるストレスを、飲酒やカラオケなどでストレス発散をしていると思っていても、身体には残り、病気という症状が出るまでになるというものでした。

 

大重監督の「光りの島」を、15年前に初めて見たときの感覚は、今も身体に鮮明で、それがなんだったのだろうか、と、いまでもその時間について考えます。それは、無意識的に潜在的に抱え込んでいたストレスを癒すものだったのではないか。沖縄県八重山諸島にある新城島の時間と、編集を行った阪神淡路大震災の時間と、大重監督の完成が良い形で重り、私の身体に沁みたのだろう。その「光りの島」の時空間を、久高島を舞台に撮る動機はとても自然の流れと感じます。

阪神淡路大震災が起こったあと、「光りの島」の上映会で800人を動員したという高木慶子シスターは、「映像を見ていると、自然の時の流れと一体となったような感じがし、つらい喪失体験や強い悲しみを忘れてほっと一息つける」という言葉を残した。大重監督の映画には、「癒し」の力があるの

 

 

故郷を見つめていた。

海の道を見つめていた。

縄文から続く命を見つめていた。

 

 

『「海民」シンポジウム』企画書は、実現しなかったものの、久高島にそのことを盛り込みたかったのだろうと、今になって思います。亡き今、大重監督の許可を口頭でもらうことは出来ないけれど、今回、盛り込むことにしました。

 

「久高オデッセイ」を、震災でふるさとに帰ることが難しくなった人々や、闘病をしている人に見てもらいたいと語っていた大重監督。自ら、11年の闘病生活で久高島に癒されてきたことを作品を通して全うした。

いまこそ、多くの人に見て感じてもらいたいと、心から希います。

 

鎌田東二先生の寄稿文に、先日行われた「大重祭り」については丁寧に記録されていますので、是非ご一読下さい。

2017年8月1日は、民俗学者・宮本常一氏生誕110年記念イベントが山口県周防大島にて行われていました。人と人の繋がりを大切にし、最もよく歩き、聞き、記録していた宮本先生の著作が受け継がれるように、大重監督の残したものも、代々受け継ぎ、未来の命に繋がっていくことを願って。

オウン コロコロ センダギ マトゥギー ソワーカー

 

 

 

高橋 あい/たかはし あい

写真家。多摩美術大学情報デザイン学科卒業。東京芸術大学修士課程修了。ポーラ美術振興財団の助成を受け、2012年9月から1年間、アメリカ合衆国・インディアナ大学にて写真作品制作と研究を行い、2013年10月に帰国。現在は飛騨高山を拠点としている。東京自由大学では、主に 「大重潤一郎監督連続上映会」の企画を行ってきた。また、このウェブマガジンの発案者である。ホームページ