「蒲公英」 イラスト・田園
「蒲公英」 イラスト・田園

 

 

「始まり」の宿命

高橋 あい

 

 

私が住んでいる街の春の訪れは例年よりも遅いらしい。一年という期限付きでアメリカに暮らしている私にとっては、季節を味わうのにちょうどいい速度なのだが、温暖化の兆候だと唱える人もいる。 

 

アメリカにとって、私は"visitor"/"まれびと"だ。だから、迎えれられて見送られるだけの存在だと思っていた。しかし、春が来ると何人かの友人がこの土地を離れた。私も数名を見送らなくてはいけなくなった。死に別れではないから、いつか会いに行けばいいのだと言い聞かせるが、再び会えることを誰も約束してはくれない。再び会えること、それは奇跡や運命という言葉に等しい。

 

別れの日が近くなる。カメラを手に取る。

「Can I take some pictures of you?」私は尋ねる。

「Sure, it's my plesure.」彼、彼女が答える。

カメラ(私)の前に立つ彼、彼女の姿はとても優しかった。

カメラと一緒に対話をした小一時間の温もりは今も消えない。

 

流れ行く時間の中で、カメラが介在していた時間は、時間の速度が落ちる。写真に残る以上の情報が、「記憶」として刻まれている。個人的には、その感覚が好きで、カメラを手放すことが出来ないでいる。

 

言わずと知れたことであるが、写真は記録するメディアだ。私は、撮影をする過程で「私が死んでその写真だけが残ったとき」のことを常に考えている。写真について語れる人を失った写真は、「伝える能力」をどのくらい保持しているのだろうか。写真は、言葉を持っているときと持っていないときでは、役割が違ってくる。言葉を添えることによって、見る側の解釈を固定させてしまう場合もある。偽りの言葉を添えることによって、写真は真実と真逆のことを語る可能性もある。だれになにを伝えたいか、イメージが容易に作り出せる現代だからこそ、その行為は慎重に行わなければならない。「今」が「未来」にどう繋がっていくか、その想像力は計り知れない。

 

 

今の私たちの営みは、1000年後どのような遺跡として表出しているだろうか?一瞬一瞬のこの営みは、未来にどう届くのだろうか?


東京自由大学の理事である宗教学者・鎌田東二先生を筆頭に、大地や身体の声を聞きながら、生きる営みを模索・実践していそうな方々に声をかけた。このウェブマガジンは、大声で人の感情を乱すマスメディアではなく、お互いの経験から自然と共生していく力を分かち合うことを一つの目的として発信していきたい。「過去」からどうして「今」があり、「今」がどう「未来」に繋がるか?おそらく、本当に大切なことというのは、真新しいことではなく、生きることの根底にある脈々としたものだろうと予想している。

 

Web magazine 「the Earth of Free Green (EFG)」の「始まりの宿命」に立ち会って頂いたことに感謝しつつ、いつかくる「終わりの宿命」まで暖かく読んで頂けますように、ささやかな願いを込めて。

 

 


高橋 あい/たかはし あい

東京自由大学ユースメンバー。写真家。多摩美術大学情報デザイン学科卒業。東京芸術大学修士課程修了。沖縄大学地域研究所特別所員。ポーラ美術振興財団の助成を受け、2012年9月から1年間、アメリカ合衆国・インディアナ大学にて写真作品制作と研究を執行中。東京自由大学では、主に「大重潤一郎監督連続上映会」の企画を行っている。また、このウェブマガジンの発案者である。ホームページ