「行く」こと「来る」こと

高橋 あい

 

 

 

 

小学1年生の新春、成人の日の祝日に、担任の先生が亡くなった。記憶を溯れることの出来る最も幼い頃の「身近な人の死」の記憶だ。小学校教員のみの新年会の最中、たしか脳梗塞か脳溢血で倒れ、そのまま戻らぬ人となった。国語の教科書には佐野洋子さんの「おじさんのかさ」という童話があり、先生はいつもそのおじさんを真似していた。黒い傘を大切に広げ「あめがふったらぽんぽろぽん、あめがふったらピッチャンチャン」と軽いステップしていた姿は、いまでも鮮明に覚えている。

1月16日、先生は教室には現れず、数日後のお葬式に行くということを当時の教頭先生から告げられた。「人が死ぬ」ということを、6歳の私は理解出来ず、お葬式が終わった後も、毎晩、ベッドの中に入ると、頭の中の先生といつも会話をしている子どもだった。

 

ティク・ナット・ハン氏は、「私達が死んだら、魂は何処へ行くのでしょうか。」という問いに、次のように語る。

 

「一枚の紙に、表と裏があって一体であるように、私達の身体と魂は一体です。 深く見れば、いのちは決して二つに分離できません。同じように、深く見れば、雲と雨を二つに分離することもできません。雲に覆われた空から雨が降ってきたとしても、決して雲がなくなって死ぬわけではありません。雲は、雨の中に生きています。いのちはいつでも、姿形を変容させながら、継続していきます。 条件が整えば姿を現すし、条件が整わなければ、姿を隠す。ただそれだけ。ですから、生まれることも、死ぬこともありません。深く見れば、ただ変容があるだけです。いのちは、絶対に死ぬことが不可能です」

 

 

このEFGにも連載をしてくれている桑原真知子さんとの共通の知人、いさじ章子さんが去る8月19日69歳で他界をした。広島の基町住宅街に暮らすアーティストで、自己紹介には「アーテイスト、チャンゴ打ち。 職業、人生すべてにアマチュアでいること。プロとは物事に慣れてしまうこと。 そこからの弊害は大きいと思っている。(原子力村のプロはその最たるもの)と記し、ジェンダー・慰安婦・原発などをテーマに表現を続けていた。福島原発事故は彼女を未曾有の闇へ導き、そのストレスが影響してか、それから1年以内に膵臓癌が見つかった。

私の母世代であるが、美が合い、私が数年前に表をぱったり辞めたときも、ヨゼフボイス「全て人は芸家である」という言を持ち出し、あいちゃんは旅する芸家よ、物を作ることだけが芸術ではないわ。」と言ってくれた。気を遣わなくてもいい実家のように、私が帰ることの出来る場所として、彼女はいつもそこにいてくれた。

ステージ4に入っても、老人ホームでの仕事を続けていた。けれど、年末には自転車で通うことが出来なくなり、それから数ヶ月後に広島県S病院の緩和ケア病棟へ入院した。高山から広島へお見舞いに行けたのは、入院してから亡くなるまでの半年間のうち、三回だった。

亡くなる二週間前、これが最後の面会になるのだろうか、と内心思いながら、彼女の枕元でいくつかの質問をしていた。そのうちの一つは、「亡くなったら、いさじさんの魂はどこにいきたい?」という質問だった。具体的な場所(思い出のある場所)を期待をしていたが、彼女の答えは「みんなの隣」だった。その答えは、再会出来ることを確認させてくれ、別れの名残惜しさを心持ち軽減されてくれた。病院を去り、被爆者を弔う本安川の精霊流しに手を合わせ、広島を後にした。

8月19日、その日は「臨床瞑想法」の講座を受けるため、地元の袈裟山千光寺へ向かっていた。約40分の山道を歩いている最中、訃報のメールが届いた。「逝った(行った)」という感覚よりも「来た」という不思議な感覚があった。

参加者の要望もあって、千光寺住職の大下大圓さんは「臨床瞑想法」の講座の他に「死生観、49日体験学習」のプログラムを用意してくださった。二人一組になり、余命が数日しか残されていないという仮定で、最後に伝えたい人へ、最後の言葉を語り、また既に亡くなった人へ伝えたい言葉も相手に伝える体験も行う。

その晩に、副住職の大下真海氏の般若心経を枕経として頂いた後、長い回廊を一人で歩き、極楽浄土(本堂)へ行く。阿弥陀如来様のような佇まいで大下大圓師が「待っていましたよ」と迎えて下さり、さらに先に進むと、先に亡くなった知人が「ひさしぶり」などと声をかけてくれる。実際には講座の参加者たちであるが、自由大学で先立たれた吉田美穂子さんや岡野恵美子さん、大重潤一郎監督や私の親友などが現れて、再会を果たした。

「あぁ、いさじさんも今、先に亡くなったご両親や高雄きくえさんらに会えているのだ」とリアルに思う。

 

人間、やがて死ぬときがくる。

この「死ぬ」というときは、人間ギリギリの一番大事なところなのです。

(内山興正)

 

私は、死生観、49日体験学習」でギリギリの大事な経験をさせて頂いた。

現代社会から「老」「病」「死」を遠ざけ、高山の土地でも住宅は空家が目立つことと引き変えに老人ホームが軒並み建つ。自分の家族を看取れない環境が優先し、老人ホームでは事故も相次ぎ、私が働いていた老人ホームでもニュース沙汰が起きてしまった。誰にでも訪れる自分の死、近しい人の死に対して、どこかで自分とは関係のないものだと過信している社会が、今、ここにある。

 

詩人・  加島祥造さんが2013年の新春、脳梗塞で倒れ、仕事を辞めたばかりで時間のあった私は、約二ヶ月病院で付きっきりの看病をしていた。ある日、知り合いの和尚さんから電話があり「高橋さん、最近はどうしていますか?」「こういう事情があって、先生のお世話をさせて頂いています」と答えると、「闘病中の方の姿は、最も尊い姿ですから、その時間を大切にしてください」と仰って頂いた。そのことは、今の介護の仕事へも繋がっている。

 

 

安身立命(あんじんりょうみょう) 

道元禅師


人生に定年はありません
老後も 余生も ないのです

死を迎える その一瞬までは

人生の現役です

人生の現役とは

自らの人生を悔いなく生き切る人のことです

そこには「老い」や「死」への恐れはなく

「尊く美しい老い」と「安らかな死」があるばかりです

 

合掌

 

 

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来る10月22日、関口亮樹さんのお寺、慶福寺(埼玉県蓮田市)にて「久高オデッセイ第三部 風章」の上映会が行われます。ゲストに、助監督比嘉真人さんが映画について語ります。映画の製作にあたり、慶福寺様には協力を賜りました。この場を借り、故大重監督に変わり、御礼申し上げます。

是非、この機会にお出掛け下さい。
イベント詳細(FBページ):
https://goo.gl/eGftuW

 

 

また、2017年度下半期も、講座が続きます。

 

10月28日   「仏教の力」〜いまを生き抜くために 講師:上田紀行

11月3日   「悲しみを分かちあう」〜近代日本人と『うた』 

        講師:島薗進

11月11日   「現代アメリカ神話」 講師:阿部珠理

12月15日〜  「鎌田東二が語る南方熊楠〜森の守護者の教え」全3回

         講師:鎌田東二

12月17日   水木しげる追悼企画

       「日本人の死生観〜妖怪妖精と異界論をめぐって」

詳しくは、東京自由大学ホームページをご覧くださいませ。

 

 

 

高橋 あい/たかはし あい

東京自由大学では、広報を担当している。2002年より元副理事長・大重潤一郎監督と知り合い、「久高オデッセイ第三部」まで、映画制作の助手を行い、東京自由大学においても「大重潤一郎監督連続上映会」の企画を行ってきた。また、このウェブマガジンの発案者である。ホームページ