<美大生、ベンガルの村で嫁入り修行!>

 

 

プロローグ

 

深紅のサリーが風の中に消えた。

車窓を流れる金色の田畑にはまだ人影が見え、オレンジに染まる村々を容赦なく追い越してゆく。日中とは別人のような優しい太陽が私のあとをつけて来る。キラキラと輝くこの地に住む人々は、どんな一生を過ごすのだろう?

ほんの一瞬、目が合って、ほんの一瞬、私たちは人生を共有する。

手を振り返した少女も、畑仕事のお母さんも、投げキスしてくれた青年たちも、運命が交差した後は、みんな過去に流れていってしまう。なんて切なく、でも満たされた幸福な時間。そんなセンチメンタルな私をよそに、スカイブルーにペイントされた車内は終始騒がしい。

足の不自由な物乞いや、チャイ売りのオッチャンはしょっちゅう来るし、スナックや雑貨売り、のど自慢大会を始める輩、多種多様なパフォーマンスがくり広げられる。左隣には家族連れ。くりくりお目々の女の子の眉間に付けられた真っ赤なティカ(ビンディ)がなんとも愛らしい。

突然、向かいに座っているソムナットが、スパイスたっぷりのインドスナックを分けてくれた。彼はニコニコご機嫌で話しかけてくれているけれど、何を言っているのやらサッパリだ。この頃、私はまだベンガル語があまり分からなかった。

ソムナットは、今回の旅の目的地であるシアラ村の若いリーダー役。東インド、ベンガル地方にある、少数民族サンタル族の住む村だ。ここに東京から辿り着くには、飛行機を3回も乗り継ぎ、自動車と汽車とリキシャと、最後は自転車を使わなければならない長旅だ。

え?何故私がサンタル族の友達とはるばる村を目指し、旅をしているかって?

それには5ヶ月前の六本木に話を戻さなければならないな。

 

 

1章 六本木で見つけたインドへの入り口

 

遡ること5ヶ月。時は913日午前9時半。私は大都会のオアシス、六本木ヒルズの毛利庭園にいた。少しどんよりとした空の下、池のほとりの一角が何だか異様な雰囲気を漂わせている。

インドカレー屋で見るようなインド人とはまったく違うオーラを放つ5人組の黒い集団。地べたに座ってこちらの様子を伺い見ていた。これが私の人生を変える出逢いになるなんて、この時は想像すらしていない。

 

六本木で開催するアートフェスに出品するため、インド先住民族のサンタル族の村人達を日本に招待して作品制作を行うプロジェクトがあり、私はその1日限定ボランティアとしてやって来たのだ。

そのうち代表のイワタさんや他のボランティアのリコが来て、ゆるゆるーっと作業がはじまっていった。

作っているのは、サンタル族の伝統的な家づくりの技術を応用した、小さなお家のような形の作品。

私が来たのはもう完成間近だったので、土で出来た壁には可愛らしい文様のレリーフが施され、屋根にする藁をふいているところだった。私は前にもボランティアに参加した事があるリコの助けを借りつつ、どうにかサンタル族とお近づきになれないかと試みていた。

だんだん天気も良くなって、カレーのお昼休憩の頃には、サンタルのみんなの名前が分かるようになった。

 

太っちょの女性はママと呼ばれていた。本名はバハムニっていうんだけど、みんなの母親的存在だからママなんだって。

小柄な女性はマイノー。男性三人は、ラボン、チャンドゥー、スコールといった。

腹ごしらえも済んだ事だし、さあ!気合い入れて後半戦だ!と思ったら、男3人ごろーんと芝生に横になる。

あれれ?聞けば昼食の後はお昼寝タイムだそうだ。うーむ。午前中は上手にコミュニケーションが取れず役立たずだった為、なんとか午後挽回しようと考えていた私は拍子抜けしてしまった。

そんな私を見かねて、ママとマイノーが手を引いて作りかけの土の家へと案内してくれた。人一人が通れる位の入口を抜けると、そこは別世界だった。ひんやりとした土壁に、ふきかけの藁からさす木漏れ日が優しくゆれる。二畳半ぐらいの小さなその空間は、なぜかとても静かで心地よく、ふと母親の胎内ってこんな感じだろうか、なんて考えがよぎる。すごく懐かしいいい匂いがした。

パティアと呼ばれるサンタル族の手作りのゴザを敷き、ママとマイノーがうつぶせに寝て、自分の背中を指さす。うむ。「マッサージしろよ」と言ってるんだな。

初対面にして、もの凄いコミュ力ではないか。

まあまあ、そこはお礼の気持ちも込めて、私がマイノー、リコがママの担当をする事になった。彼女の濃いこげ茶色の背中に手をおいてみる。

なんじゃ、これ!!固っ!!

この細身の体からは想像もつかない位のパンッパンの筋肉で覆われた背中は、背骨のところでバッチリ2つに割れていた。

よいしょ、よいしょ、と筋肉の塊を押す。そして覚えたての言葉で聞いてみた。

「バロー?(気持ちいい?)」

「バロ、バロ(いい、いい)」

よおっしゃー!言葉通じたー!私のテンションはMAX。がぜんマッサージにも気合いが入る。

そのうち2人はスヤスヤと眠りだし、リコもマッサージを止め、いつしか寝息をたてはじめた。私はと言えば、興奮してちっとも寝つけなかった。興奮って、2時ぐらいなんだから、寝られなくてももっともじゃん??って、そうじゃなくて私の心はすでに六本木からインドへワープしていたからなのだった。

今、私が体験している事がすべて現実だなんて信じられない。手には食べ物や土、藁、そしてマイノーの肌の感触がしっかりと残っている。すぐ左隣にはサリーをまとったインドの少数民族が口を半開きにして寝ている。彼らは何者なんだ?この土の家はどうなっているんだ?私の心に訴えかけてくる、この強い感情は一体何なんだ??

この日一日ですっかり私は魅了されてしまった。

この後、六本木での制作を終えたサンタル族5人と日本人スタッフは、瀬戸内国際芸術祭に新たな作品を発表するべく、瀬戸内海の本島へと旅立っていった。私も、まるで磁石で引っぱられるかのように、一行のあとをつけて瀬戸内へ。学校をこっそり休み、しばらく彼らと寝起きを共にすることとなる。

この時私はもう完全にサンタル族の虜だった。

彼らをもっと深く知りたい!

彼らの本当の姿をこの目で確かめたい!

ほら、恋は盲目っていうじゃない?

今こそインドに行かなくっちゃ。私はついにこの声を聞いてしまったのだ。

 

          “おいで、混沌と魅惑の国へ”

 

六本木から瀬戸内へ。そしてサンタル族の故郷へ!

 

 

 

第2章 いざ!魅惑の国へ 

 

1.  チャンス到来

 

瀬戸内国際芸術祭での制作を終え、サンタル族5人は故郷へと帰って行った…

サンタル、サンタル、って何のことやらさっぱりだろうから、ここで少しサンタル族について、サンタル族の社会学者でタゴール国際大学研究員の、ボロ・バスキの記述を基に少し説明させていただく。

サンタル族は、インドに数多くある少数民族の内の1つ。彼らはインド以外でも、バングラディッシュ、ネパール、ブータンなど近隣諸国にも住んでいる。サンタル族は文字を持たず、その文化は口承、歌、儀式で維持、伝承されている。元々は狩猟民だったけど、今はほとんどが農家だ。彼らはヒンドゥー教ではなく、他のコミュニティとはちょっと距離を置いた存在。貧困コミュニティの一つとみなされているが、素朴で正直、平和的で陽気な性格の持ち主で、冗談が大好き。宗教はアミニズム的で、祖先の霊、家の霊、村ごとに保存されている原始林の霊、山や樹、岩の霊など、霊魂(ボンガ)は至る所に存在する。日本人の私にはすんなり理解する事が出来た。

私は完全に彼らの世界に片思い中。恋焦がれて島で貯めたスケッチを元に、いくつもの作品を制作する日々。あぁ、彼らにもう一度会いたい!!

そうこうしている内に年が明け、ビッグチャンスが訪れる。

3月から新しいアートプロジェクトが始まるため、共に制作する村人を数人スカウトして来なければならない。そのために2月頭からインドの村へスタッフのカオリさんが行くというのだ。

「お供させて下さい!お願いします!」

こうして晴れて、憧れのサンタル族を訪ねる旅が現実のものとなったのである。リコも一緒に行けることになった。

文明の届かないインドの奥地。一体何を持って行けばいいの??

イワタさんに言われた持ち物リストには、今まで私が旅行に持って行っていた物と比べて異次元の物ばかりだった。

寝袋、蚊帳、ヘッドライトにペットボトルホルダー、防寒マット…。一体どんな生活が待っているんだろう。

もちろんスケッチブックや絵の具、沢山の色鉛筆も忘れちゃいけない。

あまりにも未知の世界、55ℓのバックパックには不安がいっぱいいっぱいにつめ込まれて、とても重くなってしまった。

しかし、もう後戻りは出来ない。絵を売り、バイトを多めにやり、貯金を切り崩し、何とかぎりぎりのお金を工面する。あとはどうにかなるだろう‥。

友達と今生の別れのようにハグをかわし、出発する頃にはもう心残りは無い!と前だけを見ていた。

 

 

2. 成田からコルカタへ

 

23日日曜日。成田へ向かうバスの中、昨日の濃霧が晴れきらなくて、どんよりしている。本当にこれから大冒険にでるのか、なんだか嘘みたいだ。

格安航空券のため、ヒヤヒヤしながら中国国内でトランジットを3度くり返し、16時間以上かけて、やっとのことでコルカタに到着。いや、しかしインドへの道のりは遠かった。到着は真夜中だった。

 

出くわすどのノラ犬も低いうなり声を出して私に威嚇している気がする。表通りには次の日が祭りのようで、飾り付けの準備に追われている人々が沢山いた。赤、青、ピンク…極彩色の電飾があちこちでビカビカと光る。

真夜中にもかかわらず、どこからともなく流れるインドポップスが通りに鳴り響く。手頃な宿を見つけ、着くやいなや意識を失うようにベッドへ倒れ込んだ。

 

 

3. コルカタでの日々

 

初日泊まった宿のフロントには、巨大な紫色のターバンをしたおやじが、立派なひげをたくわえて接客にあたっていた。

「グットモ〜ニング!おじょうちゃん!ぐっすり眠れたかなぁ〜??」

「はーい。お陰さまでー。でもここWi-Fi通じるって書いてあるけど、ぜんっぜん通じませんよー??」

「お?そりゃあイカンねぇ!がははっ!!」

うさんくさいを絵に描いたような、しかしチャーミングなオヤジであった。

 

さぁ、爽やかな朝だ!街へくりだそう!

宿から一歩外へ出ると‥そこには夢にまで見たインドがあった。車のクラクションがパーッパーッ、プーップーッ。ひっきりなしの大合奏。縦横無尽に走り回るプリペイドタクシーの鮮やかな黄色がまぶしい。四方八方からの客引きの声。食べ物とゴミと犬と何だかよく分からないものの入り交じった臭い。

うわぁ、本当に来ちゃった!!

昔、インド経験者に言われたことがある。「着いた瞬間にインドは始まるから」まさにその通り。まず驚いたのは音の多さだった。

とにかくクラクションだの、客引きだの、物乞いだの、携帯の音だの話し声だの、犬だの、猫だの、鳥だの、ヤギだの、牛だの、ネズミだのの音が一気に耳の中にだーーっと流れ込んでくる。ガヤガヤうるさい東京だって、こんなバリエーション豊かな音を一度に聞くことはまずない。

祭りのため、街のあちこちで極彩色の女神、ソロソティー像と、祭り囃子の音が大音量で流れている。空気の臭いもかいだことのないものだった。

あちこちの屋台から香る強烈なスパイス臭、砂埃と排気ガスのにおい、生ゴミとオシッコのにおい、かと思えばお香や花のフローラルな香りまで。むせかえるほど、異国。

ニューマーケット内の肉屋街の近くには大きな廃墟があった。骨などの生ゴミやその他様々な廃棄物が何メートルもうず高く積まれ、あたり一面に強烈な腐臭を漂わせている。息を殺して、近くまで行ってのぞいて見ると、なんとまるまる太った大きなブタ達が何やらモリモリ食べているではないか!大都会コルカタでこんな大物にお目にかかれるとは。

魚屋の前は飛びちったウロコが空に舞い、キラキラと輝いていた。

 

めくるめく極彩色の生地屋、鮮やかなプリントや刺繍の施されたサリー。妙に近距離な客引きオヤジの顔と、キツイ体臭。郵便局の前では現役のタイプライターが打つパチパチという音が響く。

朝、道でチャイティーを飲んでいると、ひっきりなしに物乞いや客引きに加え、犬やハトまでにもつつかれる。あんたらも間違いなくインド人だね。

気合いを入れて画材を持って表へ出てみるが、落ちついてスケッチなんてとてもじゃないけど出来ない。1分たりとも放っておいてくれないのだ!

ちなみにチャイのカップは高さ5〜6㎝の赤茶色した素焼き製のもので、飲み終わったらそのへんの道にガチャンと捨てればいいらしい。

もっとも、チャイカップだけでなく、全てのゴミが道に捨てられているけれど。よっ!ポイ捨て大国、インド!

 

ろくにスケッチも出来ないので、私は薬局に行って、オドモスというよく効くと噂の虫よけを買うことにした。歯磨き粉みたいなペースト状の虫よけだ。私は蚊に刺されると、一週間は腫れてかゆみが引かない。虫よけはマストアイテムなのだ。

プロジェクトの今後の活動にも必要、ということで、大量購入することに。出っ歯の薬局のオヤジさんが暇そうに店番をしていた。

「すいませーん。オドモスってありますかー?」

「あるある」

「あ、じゃあ大きいの40本下さい」

「なっ!!なんだって!!??」とオヤジさんがめがねをズッコケさせながら飛び起きた。

「今までそんなに一気に買っていく客はいなかったよ!ちょっと待ってろ、あるか確かめて来るから」とどこかへ消えて行った。しばらくすると、小太りな禿のオヤジさんを一人連れて、両手にチューブの山を抱えて戻って来た。なんとかオドモスの在庫を工面出来たようだ。薬局のオヤジさん2人は歯のぬけた口で大笑い。

「なんでそんなに笑っているの??」

「そりゃあ、こんなに売れて驚いたからさ!だけど、君らがバングラ(ベンガル語)をしゃべってるのも、そーとーイケてるぜ?」

「あっ!そっかー!」

「がはははっ!!」

私、コルカタの街中で、インド人のオヤジさんと爆笑できてる!異国の地でも、ばっちりコミュニケーションとれてるじゃん!そんな些細な事が嬉しくて、私も一緒に笑いが止らなかった。そしてみんなでハイタッチ!イエ〜イ!

「まーまーチャでも飲んでけよ」と、オヤジさんに勧められ、しばらくおしゃべりを楽しんで、店をあとにした。日本の薬局で虫よけをたとえ40個買ったところで、店員さんから「イエ〜イ!」なんてハイタッチを求められることがあるだろうか。

 

他にも面白そうな屋台がずらりと並ぶ。あまり興味があると思われても困るので、両サイドをチラ見しながら、人や動物、荷車をかき分け、混沌とした通りを進んだ。

オレンジやバナナなどの果物を山盛りつるし、その場でしぼってジュースにして売る人。サトウキビをつぶした汁をジュースにして売る人。パクチーをガンガンたたいて何やら売る人。

みんな手押しの荷車を店にして売り歩いている。魅力的な匂いがあちらこちらからプンプン。ハエもブンブン飛び回っている。洗剤や歯磨き粉などの日用品も全て小分けにして、店の天井からぶら下げて売っているので、蒸し暑い風に揺られて、さながらカラフルなモビールのようである。

 

こうして数日都会を堪能した後、私達は次のプロジェクトメンバーに選ばれたソムナット、ラボンの男性二人と、マイノー、マロティの女性コンビ、計4人とコルカタで待ち合わせ、ともに村の最寄り駅、シャンティニケタン駅へ向かう事になる。マイノーとラボンとは5ヶ月ぶりの再会だ。再会の喜びは筆舌に尽くせないほどで、通りの向こうから彼らが歩いて来た時、あまりの神々しさに涙が出そうになった。明らかに他のインド人達とは異質な上品なオーラを放っているように感じる。ソムナットは寄ってきた物乞いに、当然のようにお金を渡していた。インドの物乞いは完全無視して、なるべくきつく当たれという日本で聞いたスタンダードが、がらがらと崩れた瞬間だった。

さぁ、そろそろインドのメガシティー、コルカタに別れを告げ、次なる目的地へ向け出発するとしよう。

                                   

つづく

 

 

 

彩/AYA

東京生まれ、幼少期をフランスのパリで過ごす。祖父が台湾人。3歳の時に画家になる事を決意。

 

東京都立総合芸術高等学校日本画専攻卒。現在多摩美術大学日本画専攻学部在籍。旅とアートを愛する画学生。学生作家として精力的に活動中。特技は指笛と水泳。象使いの免許保持者。時にふらりと冒険に出ることも。HP→http://chacha-portfolio.weebly.com