気功エッセイ 

第2回 気功ワンダーランドは上昇機運?!              

鳥飼美和子

 

 


エポックメーキングだった年、1989年。日本はこの年に昭和が終わり、平成となった。中国では天安門事件の年、そして、私個人の出来事として中国に初上陸し、気功研修と「神秘学と科学」シンポジウムに参加し、新しい扉が開いたのだった。 1990年にやはり研修とシンポジウムで中国に行った時は、通訳の方が「大きな声で‘民主’と言わないでください」と注意したほど、まだ緊張した空気が漂っていた。

世界中、中国の天安門事件とその後の政府の状態を注視し、非民主的と批判していた。しかし、現在の日本の中国嫌いに比べれば、庶民的レベルではそれほど批判的な機運は強くなかったような気がする。そのころの日本はバブル景気であり、遅れた国中国がドタバタやっているという感じだったかもしれない。自分が脅威や損害を受けない限り無関心ということかもしれない。

 

この年をターニングポントに、中国は紆余曲折を経つつも解放改革へ、現在の中国へと歩みを進めて行った。静かに歴史を振り返ってみれば、中国が弱体化し、東の果ての小さな島国の日本が中国以上の国としてふるまっていたのは、清朝末から20世紀末までの一時期のみとも言える。古代から中国は世界に冠たる文明の中心であった。

空海が入唐したころの長安(現在の西安)は現在のニューヨーク以上に、富も文化も集中していたといえよう。イスラム文化もキリスト教も混在し、そのなかで空海は仏教だけだなく、多様な宗教や様々な文物、人種に触れて自らの宗教観・宇宙観を醸成していったのだろう。

文字や宗教や哲学をはじめ多くの文化文明を大陸から受け入れてきた長い長い歴史。「神秘学と科学」シンポジウムに参加するため、初めて中国に行った時、鎌田東二さんは、「我々は20世紀末の遣唐使である」と語られた。

添付写真A
添付写真A

 

 20世紀の遣唐使が学びに行った気の文化と気功。そのころ「気」という言葉が一般的になり、気功の本が次々出版されるようになり「癒し」という言葉も流行?し始めた。それまで、癒しという言葉は、文語に近く、一般的な会話で使われることは少ない言葉だったはずだ。それが現在のように使われる先鞭となったのが、文化人類学者で「がんばれ仏教」の活動などでも著名な上田紀行さんの著作からだったと言われている。上田さんには東京自由大学の顧問でもある。『覚醒のネットワーク~こころの深層を癒す』(カタツムリ社)や『スリランカの悪魔払い~イメージと癒しのコスモロジー』(1990年徳間書店)(添付写真A)や「世界を癒す・自分を癒す」などの文言は、鮮烈なアピール力を持っていた。それは現在よく会話の中で使われている「癒されるわ~」などというニュアンスとは、ちょっと違って、もっと深くかつ包括的な蘇りの力を意味していたように思う。

 

その癒しは、気功とも地続きのものであった。代替療法や東洋医学の再評価の機運ともあいまって、気功が一部のマニアのものから一般に認知されて行ったときでもある。

専門家の中での動きとしては、現役の医師が「ホリスティック医学協会」や「気の医学会」などを設立し、東洋医学や代替医療を研究たこと、心身症や自律神経失調症などの病が心身の不調和な関係からおこるものであることが判明し、人間の健康は物質レベルの治療だけでは不完全だということがわかった。そこにはもちろん、心理療法が登場するわけだが、さらにその身体と心を結ぶものとして、気という概念が見直されたともいえる。

添付写真B
添付写真B

心理の分野でも「トランスパーソナル心理学」や、見えないものを扱う領域が少しずつ市民権を得て行った。その一証として、気や精神世界関係の雑誌(添付写真B)や書籍が一斉に出版されている。

テレビでも気功が取り上げられ、1992年にはNHK教育テレビで気功の特集番組が放送された。第1シリーズでは外科の医師であり、代替療法を積極的に医療に取り入れた第一人者の帯津良一先生が講師。翌年春には医師ではない、大学教授ではない、気功研究家である津村喬先生(添付写真C)
が講師となり、私がモデルで、第
2シリーズが放送されたのである。帯津良一先生は、東京自由大学の「身体の探究」という講座で2度、気功や代替療法とについての講義していただいた。また、津村喬先生には人類の知の遺産で「毛沢東」を、独自の観点から語っていただいた。


添付写真C
添付写真C

バブルが崩壊したのは1991年だそうだが、1992年末ごろまでには日本の雰囲気としてはまだバブルの余韻が残っていたとも言える。その泡のなかで大きくなっていった、気功やヨガや、精神世界といわれる目に見えないものへの関心は、1990年代の半ばで大きな試練を迎えることとなるのだ・・・。

 

 

つづく

 

 

鳥飼 美和子/とりかい みわこ
気功家・長野県諏訪市出身。立教大学文学部卒。NHK教育テレビ「気功専科Ⅱ」インストラクター、関西気功協会理事を経て、現在NPO法人東京自由大学理事、峨眉功法普及会・関東世話人。日常の健康のための気功クラスの他に、精神神経科のデイケアクラスなどでも気功を指導する。
幼いころ庭石の上で踊っていたのが“気功”のはじめかもしれない。長じて前衛舞踏の活動を経て気功の世界へ。気功は文科系体育、気功はアート、気功は哲学、気功は内なる神仏との出会い、あるいは魔鬼との葛藤?? 身息心の曼荼羅への参入技法にして、天人合一への道程。
著書『きれいになる気功~激動の時代をしなやかに生きる』ちくま文庫(2013年)、『気功エクササイズ』成美堂出版(2005年・絶版)、『気功心法』瑞昇文化事業股份有限公司(2005年・台湾)