フェアリーの羽根

いぬまかおり

 


フェアリーなんていない。いつからだろう、小さな頃からずっとそう思ってた。
フェアリーとの最初の出会いは、ディズニー映画『ピーター・パン』に出てくるティンカー・ベルだったと思う。子どもたちがピーターに連れられて、決して大人になることのない世界、ネバーランドへ飛んでいき、海賊のフック船長を倒す冒険物語。近所のビデオ屋さんに足しげく通っては、テープが擦り切れるほど観た記憶がある。当時一番お気に入りだったシーンは、映画の最初の方、ピーターたちが子供部屋の窓から飛び出し、ネバーランドへ向かう道中の景色だった。綺麗な夜空に浮かぶ、まん丸に輝く大きな月と、そのまわりを薄暗く漂う雲。大きな時計台をなぞるように飛ぶ彼らの下に広がる、美しいヨーロッパの街並み。私にとってその光景は、ネバーランド以上に憧れて、でも手が届かない、まさに「どこでもない国(Neverland)」、夢の国だった。
映画の登場人物のなかでは、ピーターよりも、ヒロインのウェンディよりも、断然脇役のティンカー・ベルがお気に入りだった。小さくて、羽が生えていて、キラキラと輝きながら空を飛ぶフェアリー。宝石のような彼女の存在感は、幼い私を魅了した。そして、彼女の粉をふりかけてもらえさえすれば、誰でも空が飛べるようになるという。けれど、彼女が現れるのは綺麗なヨーロッパの高級住宅街。そこは、私が住んでいた神奈川県の下町からはあまりにも遠い。加えて、目が青く金髪の美しい彼女は、真っ黒な瞳で鼻が低く、目尻が垂れ下がった自分とはあまりにも違いすぎた。彼女とは、住む世界が違うのだ。それは現実と空想というだけの違いだけではない。むしろ、フェアリーに限らず、ヨーロッパの国の景色や人すらも、どこか空想的な、夢の世界のように思えていた。そこは心のなかで密かに想いを馳せる憧れの国。実際にそこに行けるだなんて信じられない、願ってはいけない世界。
そういうわけでフェアリーは、心のなかの、「別世界」という頑丈な枠で何重にも囲われた場所に入れられることになった。けれどどういうわけか、同じく「空想の産物」であるはずの小人は、そこに閉じ込められるようなことはなかった。小人との出会い、それは、故佐藤みのるさんの児童文学『だれも知らない小さな国』に出てくるコロボックルだった。主人公で小学三年生の「ぼく」が、美しい泉が湧き花咲き誇る「ぼくの小山」で、小指ほどしかない小さな人たちに出会うファンタジー小説。少し足を伸ばせば行くことができそうななんでもない小山で、自分と同い年ほどの少年に、ある日突然小指ほどの人たちが、川を流れてきた靴の中にすっかりおさまって手を振ってくる。ピーター・パンと違って、この物語は正真正銘日常の、現実の一部のように思えた。小人は、気付いていないだけで、まだ出会っていないだけで、本当はいつもすぐそばにいるのではないか。背の低い葉っぱを見るたびに、きらきらと流れる小川を見るたびに、もしかしたらいるかもしれない、隠れているかもしれない、と思っては胸を躍らせた。小人はフェアリーと同じように、一度も目の前に現れたことはなかったけれど、彼らは、夢でも空想ではなく、いつか来るかもしれない、でも単純にまだ来ていない「未来」のように、この現実の世界に住んでいるように思えたのだった。
アラサーになった私は、あの頃からちっとも変わらず今でも小人はどこかにいてもおかしくはないだろうと思っている。それどころか小人に限らず、フェアリーさえそうだと思うようになってしまった。それはついに彼らに出会ったから。ではなくて、フランシスに出会ってしまったからだ。フランシス・グリフィスは、今からちょうど100年前の1917年、イングランドのヨークシャー地方コティングリー村でフェアリーの写真を撮影した少女だ。写真が世界的な探偵小説家アーサー・コナン・ドイルの目に留まり、雑誌や本で紹介されたことで、これが本物かどうか、フェアリーはいるのかいないのかが長い間世界中で論争となった「コティングリーフェアリー写真事件」の張本人である。撮られた写真は、絵本を真似して切り絵にしたフェアリーを、後ろにつけたハットピンで固定したものだったことが後から明らかになると(1982年のことだった)、以降議論の場は、世論やメディアから学術界へ、論点は、写真の真偽という次元を離れて、事件が生じた背景や事件そのものの意味を論じるものへと移っていった。一体なぜ、「近代」を先駆けたイギリスで、しかも20世紀初頭に、人々はフェアリーなどというありもしない存在を信じたのだろう?と。この時、原因の筆頭に挙げられるのは「戦間期の社会不安」だ。イギリスは、第二次よりも第一次世界大戦の方が甚大な被害を受け、沢山の若者が戦死した。これに相まって、一次的に衰退したスピリチュアリズムの波が再び盛り上がる。事件に中心的に関与した人物にも神智学協会の幹部がおり、事件とスピリチュアリズムとは切っても切れない深い関係にあることは明らかだ。また、これには戦争経験だけでなく、急速に発展した科学主義や合理主義への反発という側面もあったことだろう。
しかし、こうした社会的意味が文化論、社会学的に究明されるなか、当の本人のフランシスの声はすっかり無視されてしまっているように思える。彼女は、写真が偽作であったことは認めても、フェアリーを見たこと自体は最期まで否定しなかった。それとはコロボックルが現れる「ぼくの小山」よろしく「わたしの小川」で出会ったのだという。彼女の死後、その娘によって出版された書きかけの回想録には、「私は、白昼夢を見ていたのだと思います」というシンプルな言葉をなかばエクスキューズとして使いながら、当時出会った小人やフェアリーの様子が一度ならず何度も繰り返し出てくる。そしてそこには、「いいかい、みんなよくお聞き。これから小人に会った話をするからね!」というような具合のドヤ感など一切ない。あまりにもささやかすぎる日常と、たまに見え隠れする戦争の影が丁寧に、とりとめもなく回想されるなかで、さも当然のように彼女がフェアリーに出会った話が、まるで近所のおばさんに会ったような調子で淡々と書かれているのだ。
「フェアリーなどいない」という価値観を崩さなければ、この本は最後まで現実と空想がちぐはぐな、未完成の夢物語にしか見られないだろう。けれどその価値観を一皮剥いてしまえば、物語にさーっと風が吹き抜け、言葉が呼吸をしはじめる。
今月から、私は博士課程に入学した。3年前、修士課程にいたときに出会ってしまったフランシスの言葉に応えるために。「フェアリーなどいない」という世間一般では当たり前の価値観の向こう側にはどんな世界が、言葉が、論理が眠っているのかを知るために。
フェアリー研究をしているというと、フェアリーはいるのか、いないのかと聞かれることがある。ばつの悪い気持ちになるけれど、正直、私にとってはフェアリーなんていてもいなくてもどっちでもいい。私はただ、「フェアリーなんていない」、この言葉が捨象する世界の広さに魅了されているだけなのだと思う。そこにはまるで「日本は単一民族国家だ」という言葉の陰で小さく聴こえる切実な悲鳴に向き合うような、そんな真剣さも控えめながら持ち合せているつもりだ。実際この研究を始めてから、それまで付き合いのあった友人・知人から、フェアリーを見たことがある、気配を感じたことがある、という「告白」を7人以上(そこからはカウントすることをやめてしまった)からされたことがある。この研究を始めるまで一切そんな話題は出なかったのに、彼らが隠していた(という意識もなかっただろうけれど)過去が、体験が、目の前に開かれる瞬間に何度も立ち会うことができた。
世界は広い。興味が変わったときに見える世界がそれまでと一つの面で続いているとしたら、価値観が変わったときに見える世界は、自分が背をもたせかけていた面がいきなり後ろにがーっと引き下がって空間が拡張し、危うく倒れそうになるような、そんな不意打ちの広さを露呈する。けれど世界は同時に狭い。100年前の史料を紐解いて、紡がれている言葉から風景や心を読み取る度に、そこに今を生きる自分自身を容易に重ねられてしまうから。
この研究が、さながらフェアリーの羽のように、私をどこまで連れて行ってくれるのかは分からない。けれど積み重ねたと思ったもの、拠り所や価値観を、ごっそり奪われる体験があと何回できるのだろうか。世界はどこまで果てがなくて、それでも一つに感じられるのだろうか。そんな、環境が変わった4月ならではのそわそわした期待をここに記しておきたくて、今回はエッセイをしたためてみたのでした。

 

 

 

いぬま かおり/Inuma Kaori

2012年立教大学社会学部社会学科卒業、2015年一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻修了。現在一橋大学大学院言語社会研究科博士課程在籍。東京自由大学研究員。コティングリーフェアリー写真事件を事例に、英文学、人類学、宗教学、哲学の知見を模索しながらフェアリーの「存在論」を学際的に研究中。